すとう功の周回遅れ

元駅伝選手の「いろんなことに走り続けます」

キリンビールに行って

2012年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 前回のブログに、批判的なご意見が書き込まれました。投稿者は「弁護士との打ち合わせ大変ですね」さんは、いつも文章がわかりにくくとあります。いつも読んでいただいていることに感謝です。

 ただ、ついに負けたようですねは、何に負けたのか具体的に書いていただければもっと良かったと思います。拙ブログの愛好者にもわかるように、何ががっかりですなのか? 貴殿のコメントはより分かりにくいですよ。

 今日は「西部地区町内会長連絡協議会 移動研修会」があり、キリンビール仙台工場に行ってきました。講演内容は「震災の復興と防災対策について」です。

 昨年の大震災では工場に大きな被害がありました。当日は近隣の住民や工場内の従業員が40分後に全員が避難したことを確認しています。普段の訓練が生きていました。1時間後に津波は押し寄せています。

 キリンビールは震災復旧がおぼつかない状況で、一か月後に本社の社長が仙台工場再開に向けて継続することを表明しました。私は質問で「本社よりも現場が継続に向けてどのような意識を持ったのか」伺いました。

 近隣の工場などは継続の意向を出していない中での判断です。講師からは建物に被害を受けていないこと(設備は被害大)と、社員のやる気が本社に伝わったのではないか、とのことでした。

 雇用の確保や震災復興の観点から見れば、自治体としてはこんなにありがたい話はありません。復興のために手作業によるがれきを除去し、一歩一歩ビールづくりに邁進してきたとの話を伺った。

 津波を経験し励ましの言葉を多くいただいたことで、工場独自の復興支援活動を行ってきたそうです。小中学校の体育館が被災で使えないこともあり、工場内の体育館を開放したり、様々な交流を大切にしています。

 最後に「従業員がビールを創ることがこんなにもありがたい」と言っていると近況を述べられた。大きな被害で様々な挫折を乗り越えた喜びが垣間見えた。

 地元との絆を大きくすることで復興が進んでいる。


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