ようやく読み終わった「エレミヤ書」の分かりやすい解説文書をネットで見つけました
佐々木明さんという牧師さんの「聖書を読むぞー(36)」の文書です。
少し長いのですが、ここに転載させていただきます。
(佐々木先生のコメント欄に転載の許可をお願いしてありますが、もし不都合がある場合はこの記事は削除いたします。)
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この書物は、紀元前627年からおよそ50年にわたって、南朝ユダで活躍した預言者エレミヤの預言を記したものです。
北の強国アッシリヤがすっかり衰え、代わりにバビロンが台頭してきていました。事実、エレミヤが神の召命を受けてから2年ほどすると、
アッシリヤはバビロンとの戦いにも敗れ、もはやユダを脅かすことも出来なくなってしまいました。
そのために、弱小国ユダはつかの間の自由と独立を享受することができたのです。
しかし、その平穏も長くは続きませんでした。たちまち南のエジプトがユダ王国と周辺の部族に触手を伸ばしてきたかと思うと、
北の覇者バビロンも隙をうかがうようになって来ました。そのような不安定な中でエレミヤは、祖国の救いを預言する代わりに、
神に告げられたように滅亡を預言し続けるのです。
当然、エレミヤは「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、嫌われ、憎まれ、排斥されるようになってしまいます。
人々はエレミヤの預言を受け入れなかっただけではありません。「神は必ずユダ王国をお守りになるのだから、心配してはならない」という、
まったく反対の預言をする偽預言者たちまで現れて、人々の人気を集めだしたのです。
しかも、その偽預言者たちの言葉のとおりに、ユダ王国はいくつもの危機を乗り越えて、存続し続けたのです。
そのために、ユダの人々の罪を責め、王国の滅亡を告げるエレミヤの預言は、いく度も外れたと言われるようになり、
ついには偽預言者と断じられ、処刑されそうにさえなるのです。神の哀れみと忍耐がユダ王国の滅亡を遅らせていたために、
エレミヤは神に裏切られる形になってしまったのです。
人々は「本物の偽預言者」の安易な慰めと励ましによって、自分たちの背信の罪を軽く見過ごし、ますます堕落を加速させて行きました。
真の愛国者であったエレミヤは、自分こそ神の守りと助けを預言し、ユダの人々に「安心せよ」と語りたかったにもかかわらず、
彼らの罪を糾弾し、王国の滅亡を告げなければならなかったのです。
ユダ王国は南のエジプト、北の新興勢力のバビロン、そして東側で力を付け始めたメディヤに囲まれながら、たとえつかの間であったとしても、
偽預言者たちが預言したように平穏を楽しみながら、その実、坂道を転げ落ちるように滅亡に向かって進んで行ったのです。
神に背き、滅びに向かって転げながら、まったくそれに気づこうとしないユダ王国のために、エレミヤはしばしば涙を流しました。
彼が憂国の預言者、涙の預言者と呼ばれるのはそのためです。
紀元前605年になると、バビロンはエジプトを破り、パレスチナとその周辺をエジプトから奪って支配下に置くようになりました。
弱小国のユダはバビロンを恐れ、進んで貢物を納めて恭順のそぶりを見せるのですが、前601年にもう一度バビロンとエジプトの戦いがあって、
今度はエジプトが勝ってバビロンの王ネブカデネザルは負傷して一時帰国しました。
すると、ユダ王国の人々は王も民もエレミヤの度重なる警告に反して、エジプトに多大の期待を寄せるようになっていき、彼らは、
エジプトの支援を信じてバビロンへ貢物を送ることを止めてしまいました。
それから2年後の紀元前599年、傷が癒えたネブカデネザルは軍を整え、ユダ王国の北東に位置する諸国へ進撃し、
これらを征服して略奪をほしいままにし、貢物を取り立てて行きました。
年を越して前598年になると、ネブカデネザルはさらに西に向かい、ユダ王国を攻め立てました。
明らかに、貢物を送ることをやめてバビロンを裏切ったユダに報復するためでした。
このときも、ユダの人々はエジプトからの救援を期待していましたが、エジプトは最後まで腰を上げることがありませんでした。
このもっとも大きな危機に当たって、エレミヤが預言した通りになったのです。 バビロンに反旗を翻したユダの王エホヤキムは、ネブカデネザル王が
バビロンから出陣したとき不慮の死を遂げていますが、たぶん、側近に暗殺されたのではないかと思われます。
バビロンに反逆した王を殺して、ネブカデネザルの怒りを和らげようとしたのかもしれません。
しかし、ネブカデネザルの怒りはおさまらず、前597年のはじめついにエルサレムを攻略し、エホヤキムについで王となったエホヤキンを捕らえ、
捕虜としてバビロンに連れ去ってしまいました。
このときネブカデネザルはユダの王だけではなく、すべての有力者たち、すなわち身分の高い者、学者、技術者などを、根こそぎバビロンに連れ去りました。
その中には後に出てくる、ダニエルとその3人の友人やエゼキエルなども含まれていました。
列王記の記録によると総勢10,000人、エレミヤによると3,023人の人々が捕囚となっています。
また、1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは3,000人と言っています。列王記とエレミヤの記録の違いは、エレミヤが特に身分の高い者たちだけを数えたか、
無事にバビロンまで到着したものを数えたためだと考えられます。
どちらにしても、女子供を入れるともっともっと多くの者だったに違いありません。これが70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。
ネブカデネザルはこのとき、ゼデキアを傀儡政権の王として、絶対の忠誠を約束させてユダに残して行きました。
ところがこのゼデキアを始め残された人々は、ユダ王国が完全な壊滅を免れ、まだ王国として存在できたことに胸をなでおろし、
バビロンはたいしたことないと間違った感覚を持ってしまいました。彼らはエレミヤの預言に耳を貸さず、エジプトに期待を寄せ続けたのです。
捕囚としてバビロンに連れ去られた人々の間にさえ偽預言者が起こり、エジプトが助けてくれるから希望を失うなと預言する始末でした。
怒ったネブカデネザルが、これらの預言者を処刑したほどです。
前589年になると、傀儡政権の王として任命されたユダ王ゼデキアは、ついに周囲のエドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの諸国諸部族と図って、
バビロンへの反乱を企てます。あるいはこのとき、エジプトからの支援の約束があったのかも知れません。
このときもエレミヤは、ゼデキアを始めユダの人々の激しい憎しみと迫害を受けながら、エジプトへのはかない期待を抱くな、と預言し続けました。
反乱の企てを聞いたネブカデネザルは、紀元前588年、ユダを攻め、町々を攻略し、再びエルサレムを包囲してしまいます。
ところがこのとき、ユダの人々が狂喜するニュースがもたらされます。ついにエジプトが救援に来るというのです。
ネブカデネザルは、エジプト軍を迎え撃つためにエルサレムをはじめとした町々の包囲網を、解かなければならなくなりました。
これを見たユダの人々はますます楽観的になり、エジプトへの期待を募らせ、とうとうエジプトに頼ることに反対し続けたエレミヤを捕らえ、投獄してしまったのです。
ところが、期待のエジプトはバビロン軍に撃退されて退却し、ネブカデネザルはまたもエルサレムを包囲し、兵糧攻め作戦をとりました。
エルサレムはよく耐え持ちこたえましたが、ついに、紀元前586年の7月、城壁が落ち、ここに抵抗は終焉を迎えます。
ゼデキア王はわずかの手勢と共に夜陰に逃れ出ますが、すぐに捕らえられてしまいます。
ネブカデネザルの怒りはすさまじく、ゼデキアは自分の子供たちが目の前で処刑されるのを見せられた上、両目をえぐり出され、
鎖につながれてバビロンに引き行かれ、そこで惨めに死んでしまいます。
このときのバビロン軍の攻撃はものすごく、エルサレムだけではなく、周辺の町々のほとんどはその後数世紀にわたって再建が不可能なほど破壊されてしまいました。
ユダの多くの人々は戦死し、他の者は餓死し、外国に逃れたものもいました。残された者の多くもバビロンに引いて行かれ、
わずかの貧しい者たちだけがユダの地に留まることとなりました。
このとき、エジプトに頼ることを止めるように預言し続けたために親バビロンと思われていたエレミヤは、バビロンの親衛隊長だったネブダルアダンによって、
バビロンに来て手厚いもてなしを受けるように勧められたのですが、エレミヤはそれを断り、自分を迫害し続けている人々と共にユダの地に残ることを選びました。
エレミヤは決して親バビロンだったのではなく、ただ、神の言葉を語り続けただけだったからです。
こうしてユダの国はバビロンの州のひとつとなり、バビロンの支配を受けることになるのですが、残された人々はまだエジプトに期待し続けます。
そのような時、近隣のアモン人が起した反乱に驚いたユダの人々は、こぞってエジプトに逃走したのです。
このとき、彼らは無理やりにエレミヤをエジプトに連れて行きました。
その途中でエレミヤは、バビロンがここまで攻めてくると、またもや預言をするのですが、その預言は紀元前568年に成就されています。
この預言の後のエレミヤの足跡をたどることはできません。おそらく、エジプトにおいて客死したのだと思われます。
エレミヤ書は、このような実情の中で書き記されたエレミヤの預言と、彼の働きを記したものです。
全般的に見ると、エレミヤは悲劇の預言者でした。意に反して、愛する祖国の繁栄ではなく滅亡を預言し続けなければなりませんでした。
しかもその預言は、短期間で見るとしばしばはずれて偽預言者のレッテルを貼られて、いわば神に裏切られたようなかたちで迫害され続けました。
そして最後には悲劇的な死を迎えるのです。しかもエレミヤは毅然とした鋼鉄の意志の人ではなく、涙の人だったのです。
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親鳥について何とか岸に上がれた雛です。
佐々木明さんという牧師さんの「聖書を読むぞー(36)」の文書です。
少し長いのですが、ここに転載させていただきます。
(佐々木先生のコメント欄に転載の許可をお願いしてありますが、もし不都合がある場合はこの記事は削除いたします。)
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この書物は、紀元前627年からおよそ50年にわたって、南朝ユダで活躍した預言者エレミヤの預言を記したものです。
北の強国アッシリヤがすっかり衰え、代わりにバビロンが台頭してきていました。事実、エレミヤが神の召命を受けてから2年ほどすると、
アッシリヤはバビロンとの戦いにも敗れ、もはやユダを脅かすことも出来なくなってしまいました。
そのために、弱小国ユダはつかの間の自由と独立を享受することができたのです。
しかし、その平穏も長くは続きませんでした。たちまち南のエジプトがユダ王国と周辺の部族に触手を伸ばしてきたかと思うと、
北の覇者バビロンも隙をうかがうようになって来ました。そのような不安定な中でエレミヤは、祖国の救いを預言する代わりに、
神に告げられたように滅亡を預言し続けるのです。
当然、エレミヤは「非国民」「売国奴」のレッテルを貼られ、嫌われ、憎まれ、排斥されるようになってしまいます。
人々はエレミヤの預言を受け入れなかっただけではありません。「神は必ずユダ王国をお守りになるのだから、心配してはならない」という、
まったく反対の預言をする偽預言者たちまで現れて、人々の人気を集めだしたのです。
しかも、その偽預言者たちの言葉のとおりに、ユダ王国はいくつもの危機を乗り越えて、存続し続けたのです。
そのために、ユダの人々の罪を責め、王国の滅亡を告げるエレミヤの預言は、いく度も外れたと言われるようになり、
ついには偽預言者と断じられ、処刑されそうにさえなるのです。神の哀れみと忍耐がユダ王国の滅亡を遅らせていたために、
エレミヤは神に裏切られる形になってしまったのです。
人々は「本物の偽預言者」の安易な慰めと励ましによって、自分たちの背信の罪を軽く見過ごし、ますます堕落を加速させて行きました。
真の愛国者であったエレミヤは、自分こそ神の守りと助けを預言し、ユダの人々に「安心せよ」と語りたかったにもかかわらず、
彼らの罪を糾弾し、王国の滅亡を告げなければならなかったのです。
ユダ王国は南のエジプト、北の新興勢力のバビロン、そして東側で力を付け始めたメディヤに囲まれながら、たとえつかの間であったとしても、
偽預言者たちが預言したように平穏を楽しみながら、その実、坂道を転げ落ちるように滅亡に向かって進んで行ったのです。
神に背き、滅びに向かって転げながら、まったくそれに気づこうとしないユダ王国のために、エレミヤはしばしば涙を流しました。
彼が憂国の預言者、涙の預言者と呼ばれるのはそのためです。
紀元前605年になると、バビロンはエジプトを破り、パレスチナとその周辺をエジプトから奪って支配下に置くようになりました。
弱小国のユダはバビロンを恐れ、進んで貢物を納めて恭順のそぶりを見せるのですが、前601年にもう一度バビロンとエジプトの戦いがあって、
今度はエジプトが勝ってバビロンの王ネブカデネザルは負傷して一時帰国しました。
すると、ユダ王国の人々は王も民もエレミヤの度重なる警告に反して、エジプトに多大の期待を寄せるようになっていき、彼らは、
エジプトの支援を信じてバビロンへ貢物を送ることを止めてしまいました。
それから2年後の紀元前599年、傷が癒えたネブカデネザルは軍を整え、ユダ王国の北東に位置する諸国へ進撃し、
これらを征服して略奪をほしいままにし、貢物を取り立てて行きました。
年を越して前598年になると、ネブカデネザルはさらに西に向かい、ユダ王国を攻め立てました。
明らかに、貢物を送ることをやめてバビロンを裏切ったユダに報復するためでした。
このときも、ユダの人々はエジプトからの救援を期待していましたが、エジプトは最後まで腰を上げることがありませんでした。
このもっとも大きな危機に当たって、エレミヤが預言した通りになったのです。 バビロンに反旗を翻したユダの王エホヤキムは、ネブカデネザル王が
バビロンから出陣したとき不慮の死を遂げていますが、たぶん、側近に暗殺されたのではないかと思われます。
バビロンに反逆した王を殺して、ネブカデネザルの怒りを和らげようとしたのかもしれません。
しかし、ネブカデネザルの怒りはおさまらず、前597年のはじめついにエルサレムを攻略し、エホヤキムについで王となったエホヤキンを捕らえ、
捕虜としてバビロンに連れ去ってしまいました。
このときネブカデネザルはユダの王だけではなく、すべての有力者たち、すなわち身分の高い者、学者、技術者などを、根こそぎバビロンに連れ去りました。
その中には後に出てくる、ダニエルとその3人の友人やエゼキエルなども含まれていました。
列王記の記録によると総勢10,000人、エレミヤによると3,023人の人々が捕囚となっています。
また、1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは3,000人と言っています。列王記とエレミヤの記録の違いは、エレミヤが特に身分の高い者たちだけを数えたか、
無事にバビロンまで到着したものを数えたためだと考えられます。
どちらにしても、女子供を入れるともっともっと多くの者だったに違いありません。これが70年にわたるバビロン捕囚の始まりです。
ネブカデネザルはこのとき、ゼデキアを傀儡政権の王として、絶対の忠誠を約束させてユダに残して行きました。
ところがこのゼデキアを始め残された人々は、ユダ王国が完全な壊滅を免れ、まだ王国として存在できたことに胸をなでおろし、
バビロンはたいしたことないと間違った感覚を持ってしまいました。彼らはエレミヤの預言に耳を貸さず、エジプトに期待を寄せ続けたのです。
捕囚としてバビロンに連れ去られた人々の間にさえ偽預言者が起こり、エジプトが助けてくれるから希望を失うなと預言する始末でした。
怒ったネブカデネザルが、これらの預言者を処刑したほどです。
前589年になると、傀儡政権の王として任命されたユダ王ゼデキアは、ついに周囲のエドム、モアブ、アモン、ツロ、シドンなどの諸国諸部族と図って、
バビロンへの反乱を企てます。あるいはこのとき、エジプトからの支援の約束があったのかも知れません。
このときもエレミヤは、ゼデキアを始めユダの人々の激しい憎しみと迫害を受けながら、エジプトへのはかない期待を抱くな、と預言し続けました。
反乱の企てを聞いたネブカデネザルは、紀元前588年、ユダを攻め、町々を攻略し、再びエルサレムを包囲してしまいます。
ところがこのとき、ユダの人々が狂喜するニュースがもたらされます。ついにエジプトが救援に来るというのです。
ネブカデネザルは、エジプト軍を迎え撃つためにエルサレムをはじめとした町々の包囲網を、解かなければならなくなりました。
これを見たユダの人々はますます楽観的になり、エジプトへの期待を募らせ、とうとうエジプトに頼ることに反対し続けたエレミヤを捕らえ、投獄してしまったのです。
ところが、期待のエジプトはバビロン軍に撃退されて退却し、ネブカデネザルはまたもエルサレムを包囲し、兵糧攻め作戦をとりました。
エルサレムはよく耐え持ちこたえましたが、ついに、紀元前586年の7月、城壁が落ち、ここに抵抗は終焉を迎えます。
ゼデキア王はわずかの手勢と共に夜陰に逃れ出ますが、すぐに捕らえられてしまいます。
ネブカデネザルの怒りはすさまじく、ゼデキアは自分の子供たちが目の前で処刑されるのを見せられた上、両目をえぐり出され、
鎖につながれてバビロンに引き行かれ、そこで惨めに死んでしまいます。
このときのバビロン軍の攻撃はものすごく、エルサレムだけではなく、周辺の町々のほとんどはその後数世紀にわたって再建が不可能なほど破壊されてしまいました。
ユダの多くの人々は戦死し、他の者は餓死し、外国に逃れたものもいました。残された者の多くもバビロンに引いて行かれ、
わずかの貧しい者たちだけがユダの地に留まることとなりました。
このとき、エジプトに頼ることを止めるように預言し続けたために親バビロンと思われていたエレミヤは、バビロンの親衛隊長だったネブダルアダンによって、
バビロンに来て手厚いもてなしを受けるように勧められたのですが、エレミヤはそれを断り、自分を迫害し続けている人々と共にユダの地に残ることを選びました。
エレミヤは決して親バビロンだったのではなく、ただ、神の言葉を語り続けただけだったからです。
こうしてユダの国はバビロンの州のひとつとなり、バビロンの支配を受けることになるのですが、残された人々はまだエジプトに期待し続けます。
そのような時、近隣のアモン人が起した反乱に驚いたユダの人々は、こぞってエジプトに逃走したのです。
このとき、彼らは無理やりにエレミヤをエジプトに連れて行きました。
その途中でエレミヤは、バビロンがここまで攻めてくると、またもや預言をするのですが、その預言は紀元前568年に成就されています。
この預言の後のエレミヤの足跡をたどることはできません。おそらく、エジプトにおいて客死したのだと思われます。
エレミヤ書は、このような実情の中で書き記されたエレミヤの預言と、彼の働きを記したものです。
全般的に見ると、エレミヤは悲劇の預言者でした。意に反して、愛する祖国の繁栄ではなく滅亡を預言し続けなければなりませんでした。
しかもその預言は、短期間で見るとしばしばはずれて偽預言者のレッテルを貼られて、いわば神に裏切られたようなかたちで迫害され続けました。
そして最後には悲劇的な死を迎えるのです。しかもエレミヤは毅然とした鋼鉄の意志の人ではなく、涙の人だったのです。
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親鳥について何とか岸に上がれた雛です。
嬉しいですが、恐縮です!
今、読み直してみましたが、本当に分かりやすくて
ドラマチックな解説ですね~