ゆうゆうの教会便り

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讃美歌217番

2014-03-03 20:02:41 | 讃美歌
昨日の礼拝で歌いました。 讃美歌217番 「あまつましみず」 です。


1 天(あま)つ真清水(ましみず)流れきて
  あまねく世をぞ うるおせる
  ながく渇きし わが魂も
  汲みて命に かえりけり

2 天(あま)つ真清水(ましみず) 飲むままに
  渇きをしらぬ 身となりぬ
  つきぬ恵みは 心のうちに
  泉(いずみ)となりて 湧きあふる

3 天(あま)つ真清水(ましみず)受けずして
  罪に枯れたる ひとくさの
  さかえの花は いかで咲くべき
  そそげ命の 真清水(ましみず)を



ヨハネによる福音書4章「イエスとサマリアの女」の物語を背景にして作詞された。
13節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者は誰でもまた渇く。
14節 しかし、私が与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出でる。」
15節 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

この賛美歌は日本人の作詞による賛美歌の作品の中でも最も古いものの一つである。

作詞者 永井えい子(1866-1928)は、千葉県に生まれ、幼時から文学を学び、書をよくし、和歌を作った。
当時芝の三田にあった救世学校(青山女学院の前身の一つ)に学び、17歳の頃、メソジスト派の宣教師ジャン・キャロル・デビソンを助け、
1884年に最初のメソジスト教会の讃美歌集「譜付 基督教聖歌集」の編纂に貢献した

。賛美歌217番の歌詞はこの歌集に組み込まれたものである。
1891年、華族女学校(学習院の前身)、高等女子師範学校(お茶の水大学)などの教師を経て、
毎日新聞の記者時代、足尾銅山鉱毒事件のルポルタージュを連載したが、この記事が反響を呼び被害者支援の推進力となった。
1906年、サンフランシスコ大地震の救済を契機に渡米し1928年、サンフランシスコにて63歳の人生を閉じた。

尚、永井えい子の歌詩はその後更に改変が加えられ、永井の原作は各節の冒頭句しか残っていない。

曲名となっている“HOME”を作詞作曲した(実際の曲名はLove at Home)のはJohn Hugh McNaughton(1829-1901、米国)である。
彼は19世紀後半のアメリカの作曲家であるが、主要な讃美歌集には作品がこの他に一つもなく、
彼は2冊の日曜学校用の歌集を出しているので、この曲も日曜学校用の讃美歌と思われる。
この曲の歌詞は「家庭が愛に満ちている限り、平和があり喜びがあり、憎しみは去り世界が愛で満たされる」といった歌詞である。

この旋律は、賛美歌430番の結婚式の歌“妹背をちぎる 家のうち、”にも配されているが、
むしろこちらの方が先で,この旋律が217番に後で配されたのではなかろうか?

↑ 以上、ネットからの引用です。


讃美歌217番 「あまつましみず」はココをクリックすると聴かれます。



<コゲラ>
日本で一番小さな啄木鳥(きつつき)類です。


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