ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「ただ約束を信じて」

2013-05-12 23:11:51 | 説教
今日の説教 テキストは「創世記」15章1節~6節 でした。

これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラム(アブラハム)に臨んだ。
「恐れるな、アブラムよ。 わたしはあなたの盾である。 あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。
わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
アブラムは言葉をついだ。「ご覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、
家の僕が跡を継ぐことになっています。」
見よ、主の言葉があった。
「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
主は彼を外に連れ出して言われた。
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。



私たち、明日の命の保証もなく頼りない生活を送っている人間に、本当の生活はできるのでしょうか。
先の見えない不安な生活の中で、主は私たちに恐れるなと言われています。
15章1節の神の言葉「恐れるな、私はあなたの盾である」
この言葉を神は毎日毎日、私たちに語りかけています、これを聞きながら生きることが信仰生活です。

故郷を捨てて20年近く経ち、神の約束は果たされないまま、子供も持たず、自分も妻も年老いたアブラハムは意気消沈し、
神への疑惑すら涌いていたかもしれません。

子供を持つということは神が私たちに辛うじて許された慰めです。
しかし子や孫もいつかは死ぬ、この世のものはいつか消えるものであり、本当の救いにはなりません。

アブラハムの恐怖は自分が何も持たないということではなく、神の真実を信じられるかどうかが問題だったのです。
神の真実を信じられるかどうかが人生の唯一の基盤です。

アブラハムは神に率直に自分の疑問をぶつけました。
わが子イサクさえ神に差し出し、信仰の父と言われるアブラハムですが、決して自分を押し殺して信仰していたのではなく、
疑いや躓きもあり忍耐の時も過ごしました。
彼は神を信じるがゆえに神に問いかけ祈り続けました。
アブラハムは神に問い、筋が通るなら神にすべてを委ねたのですが、この時は多少のわだかまりがあったことでしょう。

神はそのアブラハムを天幕から満点の星空の下に誘い出し、慈しみに満ちた光景の中できっぱりと約束を述べました。
あなたの子孫は浜の砂粒のように増えると言ったのと同じ約束をアブラハムに伝えました。

6節には「アブラハムは主を信じた」とあります。
この神を信じよう、裏切られて野垂れ死んでもよい、もう一度神を信じて待ち続けようと思ったのです。

そしてこの、信じる気持ちというものは神が私たちに与えてくださるのです。
アブラハムの物語の中心テーマは「アブラハムの信仰は神が作られた」ということです。
アブラハムはただ受け取るだけなのです。

「ローマ信徒への手紙」4章には、主を信じる、神への信頼が述べられていますが、
「アブラハムの信仰」こそが聖書の信仰であり、カルヴァンの宗教改革の起爆剤ともなったものです。

どんな事があっても神は盾となって私たちに平安を与えてくださるという約束・・・・・・
「わたしはあなたの盾である」と約束してくださった神を信じることによって、確かな生活が与えられます。

                                (以上、文責はゆうゆうにあります。)



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