ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

七を七十倍せよ

2012-11-18 22:19:50 | 説教
今日の礼拝の説教
テキストは「マタイによる福音書」18章21節~35節 でした。

「わたしに対して罪を犯した兄弟を何回赦すべきでしょうか、七回までですか」というペトロの問いに対して
イエスは「七の七十倍までも赦しなさい」と言います。

そしてイエスは・・・・・

1マンタラントン(物凄い額)の借金をしている家来を憐れまれた王はその家来の借金を帳消しにしてあげました。
ところが、この家来は自分に100デナリオンの借金をしている仲間を赦せず借金を返すまでと、牢に入れてしまいました。
王である主君は怒って「お前を憐れんで借金を帳消しにしたのに、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったか」と
借金を返済するまでと、家来を役人に引き渡しました・・・・・というたとえ話をされ・・・・・

「あたながたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」
と結ばれました。

ここからが上田先生のお説教です *************

王は神、家来は私たち人間をさしています。

この家来の犯した罪は、自分が莫大な借金を赦されたことを忘れていたことのように思いますが「赦された自分が仲間を
赦さない、そのことを神がいかに悲しむか」ということを忘れていることが罪なのです。
家来は仲間に対してではなく、神に対して罪を犯しているのです。

そして、35節の「心から」兄弟を赦す、ということが大切なのです。

この時の「赦す」という行為は、徳や修行による赦す/赦さないを問われているのではなく、日々神の前に祈り、
隣人のために祈るか、が問われているのです。

私たちの無限の借金(罪)はイエスの十字架で帳消しにされた、つまり贖われたのです。
これは神の全き恵みです。
そして神は私たちに期待しています。 期待しているからこそ悲しまれるのです。
上の家来が犯した罪を私たちは犯さないように、神の赦しと期待を忘れずに日々を過ごしましょう。
*****************

罪の問題は難しい、人に対する罪は勿論、神への罪はさらに分かりにくい、と上田牧師が言われていましたが
今日の説教は(も!)難しかったです。
説教で話された罪は「原罪」というものとは違う、単に人間的な道徳的な罪なのでしょうか? 




    <翡翠(カワセミ)>
     カワセミというと水清き所に住む野鳥のように思いますが、
     最近は都市公園の少し濁った水でも(餌の小魚がいれば)営巣もすれば子育てもします。



美竹教会のホームページには1週間くらいのタイムラグがありますが、先生の説教全文が載ります。
よろしかったら是非お読みください
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