ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「焼き魚とキリスト」

2018-04-21 21:53:56 | 説教
4月15日(日)主日礼拝 説教は左近豊牧師によるものでした。
テキストは「ルカによる福音書」24章36節~43節
タイトルは「焼き魚とキリスト」 でした。

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今年度はルカによって証しされるイエスを学んでゆく予定
医者であったと言われるルカ、彼はしっかりした歴史観を持っていた
「ルカによる福音書」→「使徒言行録」へと、歴史観が共通した一続きのもの
ルカによる福音書1章『敬愛するティオフィロさま、わたしもすべてのことを
はじめから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのが
よいと思いました。』
使徒言行録1章『ティオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、
また教え始めてから、・・・・・すべてのことについて書き記しました。』
2巻本の証言集とみられる。 始めがあれば終わりがあるという直線的な歴史観
夫々の地域、編む人によって異なる歴史観があるが、ルカは歴史を三つの区分
(旧約の時代/イエスの時代/教会の時代)に分けたとみる神学者もいる
ルカの語るキリストを礼拝してゆきたい
「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ24:36)
これは弟子だけでなく、読み手にむかっても言われている(現在形で書かれている)
イエスの弟子たちへの言葉を私たちも聞いているのが礼拝
「平安あれ、あなたがたに」とイエスは教会の群れに語られ、そこに立たれている
『エゴ・エイミー(わたしは在る)』(出エジプト3:14)
「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20:24-28)
この言葉はトマスに続く私たち、現代の人に向かって言われている

今日の聖書箇所は後の信仰者への招きにつながる
焼き魚を食されたイエスは、パン5個と二匹の魚で5千人を満ちたらせたイエスや、
復活の朝の海辺での食事(ヨハネ21:9-13)や、最後の晩餐を思い起こさせる
礼拝の度に主の食卓を思い、先達に連なるものとして共に感謝したい
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自分の興味ある部分だけを書いておいたあやふやな私のメモから強引にまとめました。
特に最後の方は自信ありません。
私のまとめでは全くお伝えしきれず残念ですが、左近豊牧師の説教は本当に勉強に
なります、というと堅苦しく聞こえるかもしれませんが、聖書の様々な箇所が引用されて、
聖書に疎く読みこなせていない私は新しい発見に気付かされとてもワクワクします。
深恵子牧師と豊牧師、お二人の説き明かしを聴けるなんて感謝です。

それにしても、説教プリントはいただけないとしたら、カテゴリ「説教」の今後は
危うくなりました。
カテゴリ「讃美歌」も出尽くした感があり、サテ、このブログ、これから何を
書いていこうかなぁ・・・・「今日の聖句」は多分続けられそうだけど・・・・

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公園で<ゴマダラチョウ>の蛹(さなぎ)を見つけました。
美しいです。
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