ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

讃美歌234番 A

2014-07-22 10:01:07 | 讃美歌
先日の礼拝で歌いました。

 1、昔 主イエスの 播きたまいし  いとも小さき 命のたね
   芽生え育ちて 地のはてまで  その枝を張る 樹とはなりぬ。

 2、歴史の流れ 旧きものを  返らぬ過去へ 押しやる間に
   主イエスの建てし 愛の国は  民よりたみへ 広がりゆく。

 3、時代の風は 吹きたけりて  思想の波はあいうてども
   すべての物を 超えてすすむ  主イエスの国は 永久に栄えん。

 4、父なる神よ み名によりて  世界の民を ひとつとなし
   地をばあまねく み国とする  みちかいをとく はたしたまえ。

↓ ネットからの引用です。
作詩者由木康(1896-?)氏は関西学院文学部を卒業、日本キリスト教団東中野教会牧師を務めた。
その間、青山学院神学部その他で聖歌学を講じた。
この歌は彼が昭和6年版「讃美歌」の編集に携わっていた時、社会的な歌の少ないことに気づき、
それを補うつもりで作ったものである。
イエスのからしだねの譬えを主題とし、それを展開していくうちにおのずから一篇の歌ができた。
「歴史」「過去」「時代」「思想」「世界」等の漢語を用いたのも、当時としては新しい試みであった。
Vibbertの明るい曲を配せられて、出版後まもなく全日本に行きわたった。
作曲者W.H.Vibbertは1839年生まれのアメリカの牧師であるが、ワッソンの讃美歌曲目索引に載っている
彼の作品はこの曲のみであり、収録讃美歌集も1点しか挙げられていない。

「からし種」のたとえ   マルコによる福音書4章30-32節
更に、イエスは言われた。「神の国は何にたとえようか。 どのようなたとえで示そうか。 それは、
からし種のようなものである。 土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長して
どんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」



この讃美歌のメロディを Youtube で探したのですが、見つけられませんでした。 探し続けているうちに
下の素晴らしい絵に行き当たりました。 「春ケ丘バプテスト教会」のページに載っていたものです。


この『朝の祈り』を描いた画家は、北海道の近代洋画壇をリードした林竹治郎で、
本物は北海道立美術館に保存されています。 実際、この絵の中で母親の膝に伏せて
祈っていた幼い子どもは、医師となられた林文雄氏で、生涯をらい病の治療にあたられました。
当時、療養施設の患者であった人は「林先生は医者であられましたが、
私たち患者の仲間のような生活をされていました。」と証言されたそうです。
この絵に添えられている言葉があります。・・・
子らに残すことば一つ―――キリストは私の家の主です。
毎日の食卓に迎える見えない客です。私たちの会話の静かな聞きてです。 林竹次郎 1904年


思わず背すじを延ばし(遅きに失するものではありますが)自らの愚かだった子育てを改めて深く反省いたしました。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
幼い日に神様を知る、すべてを造り見守っていられる方の存在を知ることほど大きな宝はないように思います。
お父様、お母様、教会の扉を押して、お子様を是非教会にお連れください。
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