讃美歌94番 「久しく待ちにし」 昨日の礼拝で歌った「待降節」の歌です。
1)久しく待ちにし 主よ、とく来たりて
御民(みたみ)の縄目(なわめ)を 解き放ち給え
(繰り返し)
主よ、主よ、御民を 救わせ給えや
2)朝(あした)の星なる 主よ、とく来たりて
お暗きこの世に 御光を賜(たま)え
(繰り返し)
3)ダビデの裔(すえ)なる 主よ、とく来たりて
平和の花咲く 国を建て給え
(繰り返し)
4)力の君なる 主よ、とく来たりて
輝くみくらに 永久(とわ)に即(つ)き給え
(繰り返し)
作詞は12世紀のラテン語の讃美歌“Veni, Veni,Emmanuel”(来たれ、来たれ、インマヌエル)となっている。
中世以来うたいつがれた古い待降節の歌で、バビロン捕囚の悲しみの中からメシアの来臨を待望するこの歌の精神は
旧教徒だけでなく、新教徒の心をも捉え、19世紀の中頃、讃美歌作詞者ジョン・メーソン・ニールが英訳してから
急速に普及し、今ではこの歌を収録しない讃美歌集はほとんどないまでになった。
斉唱でうたうところに古典的な美しさがあり、歌い方としてしては、グレゴリウス聖歌のように、
滑らかにそして割合に速く歌い、各フレーズの終わりでは拍数に拘泥せず、オルガニストと会衆とが呼吸を合わせて
延ばせばよいとされている。
ニールのオリジナルの翻訳では、出だしの部分が Draw nigh, draw nigh, Emmanuel となっていたが、
その後 O Come, O Come, Emmanuel に変更され、アドベントの時期に広く歌われるようになった。
ニールは元々イギリス国教会司祭であったが、オックスフォード運動*1) に関わったことで国教会の上層部と対立し、
1846年、サキヴィル大学の指導教官に就任後は、不遇な生活を送った。
しかし現在、彼の作品は高く評価されている。 ニールは他にも『ウェンセスラスはよい王様』などの代表作がある。
この讃美歌の出だしの箇所 O Come, O Come, Emmanuel(来(きた)れ、来れ、インマニュエル)とは、
旧約聖書のイザヤ書第7章14節にある預言である。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。」
インマヌエル(インマニュエル)とは、「主は我らと共にあり」の意味で、メシアであるイエス・キリストの
呼び名の一つである。
マタイによる福音書第1章23節にもこういう記述がある。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
この名は、神は我々と共におられるという意味である。」
(以上、解説はネットからの引用です。)
魅力的な美しい調べですね~
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*1) オックスフォード運動 The Oxford Movementとは・・・・・
19世紀前半,オックスフォード大学関係の英国国教会聖職神学者たちによって行われた国教会再建運動。
当時の国教会は規律の弛緩,神学上のリベラリズムの影響,カトリック教会の勢力強化などにより危機的状態に
あったが,キーブル John Keble(1792‐1866)のオックスフォードにおける〈国民的背教〉と題する説教(1833年7月14日)を
きっかけとして英国国教会を17世紀の国教会神学者たちのかかげる高教会の理想に従って改革再建する運動がおこった。
(世界大百科事典第2版より)

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1)久しく待ちにし 主よ、とく来たりて
御民(みたみ)の縄目(なわめ)を 解き放ち給え
(繰り返し)
主よ、主よ、御民を 救わせ給えや
2)朝(あした)の星なる 主よ、とく来たりて
お暗きこの世に 御光を賜(たま)え
(繰り返し)
3)ダビデの裔(すえ)なる 主よ、とく来たりて
平和の花咲く 国を建て給え
(繰り返し)
4)力の君なる 主よ、とく来たりて
輝くみくらに 永久(とわ)に即(つ)き給え
(繰り返し)
作詞は12世紀のラテン語の讃美歌“Veni, Veni,Emmanuel”(来たれ、来たれ、インマヌエル)となっている。
中世以来うたいつがれた古い待降節の歌で、バビロン捕囚の悲しみの中からメシアの来臨を待望するこの歌の精神は
旧教徒だけでなく、新教徒の心をも捉え、19世紀の中頃、讃美歌作詞者ジョン・メーソン・ニールが英訳してから
急速に普及し、今ではこの歌を収録しない讃美歌集はほとんどないまでになった。
斉唱でうたうところに古典的な美しさがあり、歌い方としてしては、グレゴリウス聖歌のように、
滑らかにそして割合に速く歌い、各フレーズの終わりでは拍数に拘泥せず、オルガニストと会衆とが呼吸を合わせて
延ばせばよいとされている。
ニールのオリジナルの翻訳では、出だしの部分が Draw nigh, draw nigh, Emmanuel となっていたが、
その後 O Come, O Come, Emmanuel に変更され、アドベントの時期に広く歌われるようになった。
ニールは元々イギリス国教会司祭であったが、オックスフォード運動*1) に関わったことで国教会の上層部と対立し、
1846年、サキヴィル大学の指導教官に就任後は、不遇な生活を送った。
しかし現在、彼の作品は高く評価されている。 ニールは他にも『ウェンセスラスはよい王様』などの代表作がある。
この讃美歌の出だしの箇所 O Come, O Come, Emmanuel(来(きた)れ、来れ、インマニュエル)とは、
旧約聖書のイザヤ書第7章14節にある預言である。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産み、その名はインマヌエルと呼ぶ。」
インマヌエル(インマニュエル)とは、「主は我らと共にあり」の意味で、メシアであるイエス・キリストの
呼び名の一つである。
マタイによる福音書第1章23節にもこういう記述がある。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
この名は、神は我々と共におられるという意味である。」
(以上、解説はネットからの引用です。)
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*1) オックスフォード運動 The Oxford Movementとは・・・・・
19世紀前半,オックスフォード大学関係の英国国教会聖職神学者たちによって行われた国教会再建運動。
当時の国教会は規律の弛緩,神学上のリベラリズムの影響,カトリック教会の勢力強化などにより危機的状態に
あったが,キーブル John Keble(1792‐1866)のオックスフォードにおける〈国民的背教〉と題する説教(1833年7月14日)を
きっかけとして英国国教会を17世紀の国教会神学者たちのかかげる高教会の理想に従って改革再建する運動がおこった。
(世界大百科事典第2版より)

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