その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

黒子役に徹する…

2023-02-09 10:12:14 | 転職

「白子」を黒く着色したら…

これを「黒子」と呼ぶようになるのだろうか?集落会計の仮決算をまとめ終え、そろそろ確定申告の決算に取り掛かろうと思ったものの、今ひとつ気持ちが乗って来ない。(いつでもまとめられるという過信が死を招くんだよなぁ^^;)ということで、また下らない妄想をしていたところであります。
「黒子=くろこ」で、歌舞伎などに出て来る黒装束の補助者をイメージしていたのでありますが、「黒子」と書いて「ほくろ」と読むのが正しく、イメージしていた補助者のことは「黒衣」と書いて「くろご」と読むのが正しいらしい。「今回は、黒子役に徹する。」などと言うと、「私は裏方に回ります。」と控え目な言動にも思えますが、言葉の裏には「舞台回しは、私が行っている。」という自負が見え隠れしますけれどねぇ…「黒衣・黒子」は、演者と観客の間で『見えない(そこに存在しない)』という約束事で成り立っている役どころであるから、確かに見えているし、存在するのでありますよ。
こうして朝から、言葉遊びと妄想を繰り返していると、「性的少数者への不適切発言」に行きついてしまうのでありますよ。オジサンたちの『潜在意識』が口をついて出てしまった結果かなぁ。「自己」と「他己」に違いがあるのは当然だから、趣向や思考を『区別』するのは当然だと思うのだけれど、かと言って、『差別』という言葉を『区別』という言葉に置き換えたところで、『差別意識(潜在意識)』が無くなったりはしない。結局のところ、『自己の心(内心)』に黒装束を纏わせて、『見えない(存在しない)』約束事として、体裁を取り繕うのが『大人の世界』というものであるということかなぁ?


今夜も続く『なべ焼きうどん療法』^^;

子どもたちの言葉は、見たものをそのまま言葉にして口に出してしまうから、『大人の世界』からしたら、ハッとするような言動がある…それでも子どものことだからと許容され、大人たちは『いけないこと』とたしなめるのでありますよ。なぜ『いけないこと』なのかの理由も知らせられないままに…。しかし、子どもたちは『目に見える』自己との違いを、目に見えるままに『区別』しているだけであって、そこに『差別』する心があるとも思えない場合が多々ありましてねぇ…。「王様の耳はロバの耳!」とか「王様が裸のまま歩いている!」なんてね…権力におもねって、言ってはいけないという『大人の常識』は通用しないのでありますよ。はてさて、こうしてみると『区別(事実)』が、いつの時点から『差別(感情)』に置き換わって行くのかが問題のような気もするが…。
「現実には存在する」のに、約束事(法律)で『見えないこと(存在しないこと)』にしよう…何せ、舞台回しは『大多数派』であるはずの私たちが行うのだからでは何の問題解決にもならないと思えるのだけれど。
真意は別にして「社会が変わってしまう。」と発言した岸田首相も、「不適切発言である。」と断じるマスコミも、結局のところ、『根』はひとつのところにあるような気がしてならないのでありますよ。『差別』する心は、誰にでも存在し、黒装束を着せているに過ぎないのではないかなんてね。根深いねぇこの問題…子どもたちが「今回は黒子役に徹します。」なんて言ったら、それこそゾッとするけれど。

 

コメント
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