その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

餅つき その2

2008-12-30 20:02:44 | 食とレシピ

我が家の取り餅(鏡もち)は、八つ。
お供えをする場所を再確認してみました。
「竃(かまど)の神様=火の神」、「歳得神(としとくじん)=大黒様」…我が家では神棚。
「仏壇=仏様」…仏教で鏡もちかい? 「床の間=神の座」、「籾の保管庫=米倉」
「農機具…鍬や鎌」、「井戸…家では、地下水を利用してます。」
「便所」……そうなんです。便所にお供えをするんです。
我が家の古老たるオヤジに尋ねてみました。「なぜ、便所に供えるんだ?」
応えは、「わがんねぇ。昔からそうしった。」
実に単純明快な応え(答えではない。)である。
しばらくしてから、「ん~。世話に(使っている)なっているから。」
そう、確かに世話になっている。
ご不浄なものではあるが、無くてはならないものでもある。
日本には、八百万(やおよろず)の神々がいて、『神(髪)が無いのは、坊主の頭くらいだ。』
と、言われるくらいだから、便所にも便所の紙(神)が居ても良いではないか。
総ての事物に謙虚な態度をもって接する。
火や水、先祖、収穫物、耕作するための道具、そして用を足す場所までも
一年に一度くらい感謝の気持ちをもって崇め、新たな一年を迎える。
これが日本の心じゃ。などと愛国心を持ち出す気持ちはありませんが、
トゲトゲした暗い世相の中で、森羅万象に畏敬の念を忘れないこと。
ん~。必要だよなぁ。
あ、一年間お世話になった「へらウキ」にも感謝しよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餅つき

2008-12-30 09:00:00 | 食とレシピ

本日の我が家は、東京に遊学している娘も帰ってきたので、餅つき。
12月29日に餅をつかないのは、山形の我が在所の習慣と思ってましたが、
Wikipediaにも記載されているくらいですから、全国的なものなのでしょうか?
さほど気にするわけでもないのですが、古老から良くないと言われていることを
敢えてやる必要もないというのが、私のスタンス。
29日は、「苦がつくから…。」 まったくのゲン担ぎではあるのだけれども、
結局、もち米の量も、ニ升五合を2回ついて、五升。
「升(益す)、升(益す)、半升(繁盛)」で、2升五合。
つきあがりは、まず「竃の神様」に、取り餅(鏡餅)は、「歳とく神」 「神棚」 「床の間」
「モミ倉」 「井戸」 「農器具」 「便所??」 なんで「便所」なんでしょう?
今度、オヤジに聞いておきます。
メニューは、雑煮・あんこ・納豆・じんだん(枝豆)、気が向けば、クルミも入れたい。
子どもたちに鏡もちを作らせると、団子を丸めるように手を動かすわけです。
「鏡もちはねぇ、表面をきれいにするように、内側から餅を包み込むようにまとめるべし。」
決して、餅屋に就職させるつもりはないのですが、世の中で役には立たないことも
経験や知識として持っていることは、損にはならないと思いますよ。

吹雪の3日間が過ぎ、束の間の晴れ間が見られた県内、
振り返れば、重ね餅のような雲が、昨日の夕方ぽっかり浮かんでおりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする