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知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

目的と手段。

2013年10月07日 | 国家論
目的を達成するために、
 複数の手段が存在する。

時間がかかったり、労力がかかったりするが、
 どの手段でもゴールにたどり着くことができる
ということが多い。

人生において、途切れている道は、存在しない。

 脇道に入ったり、戻ったりしながら、
 最終的にはゴールにたどり着くと考える道に巡り合える。
 
これは、結構大切なことです。

例えば、大学受験。
よくお勧めの参考書がベストセラーになり、
 受験生がみんな使っている
という現象が起きます。

しかし、その参考書を使わないと合格できないわけではない。

予備校で勉強するか、自習を中心とするのか。

すべて、合格という目的の達成の為の手段であるわけですが、
 唯一絶対
というものはない。

自分にあっている者、
予算の関係で取りうる手段が限られている者。

必ずしも、
 取りうる手段はみな同じではなく、公平ではない
かもしれないものの、
 自分が取りうる手段で最善のものを選択し、努力をすれば、
 その目的を達成することは可能。

そう考えると、希望が生まれてくるはずです。

逆に、
 手段が合っていても、別のボトルネックが存在する場合、
 目的を達成することはできなくなる。

最高の参考書を使っていても、
 読み込みが甘ければ、合格できない。
最高の予備校も、最高の先生も同じ。

かつて日本の最難関と言われた司法試験では、
 3%くらいしか合格できない
ので、
 不合格になると別の予備校に通い出す
人がいました。

そういう人は、合格しにくい。

それは、予備校という手段が間違っていたから、合格できなかったわけではなく、
 試験の問題を解けなかった
という別の原因(ボトルネック)で不合格になっているので、
 なぜ、問題が解けなかったのか(ボトルネックはどこか)
を検討し、
 ボトルネックの排除(体調管理、ケアレスミスの防止、必要な知識の補充)
に力を入れたほうが、目的達成に近づくわけです。

何年も落ち続けた人が、
 自分は知識不足で落ちているんじゃないんだな
とボトルネックの存在に気が付いたとたんに合格することは、
 意外と多かった
と思います。

勉強仲間の一人が合格すると、
 他のメンバーも合格し出す
というのも、
 あいつの程度の知識で合格できる
ということは、
 知識が問題なんじゃないんだな

 ボトルネックの存在を意識できる
からです。

身近に合格者がいないと、
 知識不足が原因で落ちているのではないのに、
 合格に必要な知識をさらに上のラインに設定し、
 全ての予備校を回って、
 あらゆる判例や学説の知識を入れようと躍起になる。
そのため、
 ゴールから外れて行ってしまう
ということです。


この発想を前提に、
 国家についてみてみると、色々なことが見えてきます。

例えば、
 大きな国家と小さな国家。

これも、
 国民を幸せにするための手段の違い
にすぎません。

目的は、国民を幸せにする。

どちらを選択しても、
 うまく機能すれば、目的を達成できる。

大きな国家は、税金をたくさん取るけれど、
 福祉が充実しているので、安心して生活できる。
 教育関連の費用もかからないので、知的に成長し、自分のやりたい仕事を目指せる。
 自分の仕事で頑張って稼いで、税金をたくさん支払う。

つまり、大きな国家を成立させるためには、
 税金をたくさん払うことに理解を示す自立した国民が必要となる
わけです。


小さな国家は、税金はあまり払わなくてよいけれど、
 福祉は充実しておらず、セーフティーネット程度。
 そのため、自分で保険をかけたり、個人年金を設定したりしなければならない。
 しかし、国家の役割が小さければ、民間の仕事が増えることになる。
 また、みんなで助け合わなければ生活できないことから、
 かつての日本のように、町内会や自治会などの活動がさかんにならざるをえない。
 近所づきあいなどやずらわしいことも増えて行く。
 問題が存在することが前提の国家であるため、社会企業やNPOなど、志を同じくする人達の活動も活発になる。
 
つまり、小さな国家で国民を幸せにするという目的を達成するためには、
 国家は最低限のサービスを提供しないということに理解を示す自立した国民が必要となり、
 かつ、問題解決のためには自治会やボランティアの存在が不可欠だから協力しようという共助精神を有する国民の存在が不可欠となる。

 小さな国家、かつ、共助精神の欠如
ということになると、
 弱肉強食で、町中に餓死者や生活できない人があふれる
ことになるので、
 治安も衛生面も悪くなり、最終的に全ての国民にとって不幸な結果になる。

貧民救済における教会などの活動は、小さな国家の問題点の是正という側面を有していたといえます。

大きな国家は、国家が行い、
小さな国家は、自分や仲間(ボランティア)が行うということ。

今の日本は、どんどん大きな国家へと向かっていますが、
僕は、小さな国家+共助の精神というスタイルが、日本には望ましいと思っています。

 新自由主義+社会企業家の促進
というスタイルです。

基本は、競争社会。
競争から漏れても大丈夫なように、社会企業家やNPO、ボランティア、自治会など
 余力がある者が少しずつ自分たちの時間やお金やスキルを出し合って、
 よりよい社会を築くための活動を行う。

そこには、感謝のつながりが生まれ、自尊心も高まるというメリットも生まれる。
これを、国家がやると、「当たり前」という感覚と、「なんで俺がやらないといけないんだ」という
 自己中心的な考え
が一般的になってしまう。

 大きな国家は、自分勝手で努力しない国民を生む
というリスクがあります。

 何でも国に頼ろうとする。
 自分で考え、努力しようという自立の精神が失われる。

大きな国家の最大の問題は、
 国民が努力をしなくなる
ということ。

これは、社会主義の崩壊とリンクする。
大きな国家と社会主義は、根っこの部分は同じ。


そして、気がつかないうちに国民の精神性は、
 サービスは受けたい
が、
 対価は払わない
というものへと切り替わっていく。

 違法のダウンロードの抵抗感がない
のも、同じ精神性。

 払いたいやつが払えばよい。

大きな国家では、
 そういう精神性が広まると、一気に財政破綻を起こす
ことになります。


小さな国家の利点は、
 お金を払っていないから、これだけのサービスでも仕方ない
という市場経済の原則が前提となるということ。

 お金がないから、ブランドは買えない。

市場経済の普通の原則。

国家も同じ。

誰かが支払っているから、
 行政のサービスが受けられる。

そして、
 自分が支払っていることを理解する
ようになると、人々はこう思うわけです。
 
 なんで、こんな行政サービスにカネを払わなければならないんだ!

 費用対効果はどうなんだ!

こうなると、
 人々が予算に厳しい目を向けるようになる。
 会計監査院の報告書をチェックするようになり、行政を批判するようになる。
 行政に罰則や懲戒を加えられるような法案を作るよう、議員に詰め寄るようになる。

その結果、
 仕分け作業に向かう
ことになり、
 最終的には小さな国家に向かうようになる
わけです。
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