車にナビを付けてから、いつもそうなのだが、何処をどう走っていたのかは、よく判らない、特に近畿以外の土地では全く土地勘がないので尚更、東を向いてるのか西を向いているのかも、時として定かではない。
遠出の時はいつもそうであるように前日の夜遅くに家を出かけて、夜明け、日が昇る頃に第一目的地に着くようにしている。
今回、この宇美八幡宮は、初日3番目の訪問先、2番目の訪問先飯塚、遠賀川堤からの山越えでこの宇美の地に着いた。
朝9時過ぎで有っただろうか?参拝客も全く居なく、神社の人達が広い境内を清掃中だった。
此処は凡そ巨楠の境内で、近畿では巨の付くと思われる楠ばかりが、広い境内のあちこちに何本も 見える、といってもそれほど森閑とした境内ではなく広く開けた明るい境内です。
鳥井脇の神社入り口には「日本第一樟の森」との看板が有って、なるほどそんな言い方も有るんだと妙に納得したりする。
宇美八幡は神功皇后が応神天皇を産んだ土地、そこから「産み」となり、いつしか「宇美」の字を当てるようになり、地名として残ったとされている。
それにより宇美八幡は、安産のご利益があるという信仰が現在にまで伝わり、此処では八幡宮本来の武運長久よりも、安産信仰の神社として名高いようである。
境内の中で尤も巨大な楠がこの拝殿左奥に鎮座する「衣掛の森」と呼ばれる楠の木で、応神天皇の産着をかけたと伝えられ、一本の楠であるが、あまりの巨木ゆえ森のように見える所からそう呼ばれている。
樹齢、凡そ2000年、根元で幹は写真のように二本に別れ主幹の方はひどく大きな洞を抱え、表皮のみで生きている様にも見える痛々しさだが、根元から立ち上がった副幹が主幹にとって代わって若葉を大量に茂らせ樹勢は悪くない。
主幹の木肌にはごつごつした樹瘤が累々と脈打って、まだまだ力強さと尊厳は感じるものの、根元は白く枯れ死化が進行しているようにも見える。
大正十一年三月、国指定天然記念物、目通り幹周り18.2m、根回り24.7m、樹高18.3m、樹齢約2000年
撮影2010.4.30
きっと「速鳥」と同じ頃に生まれたんでしょうね。