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巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

愛媛県内子町 三嶋神社の乳出の公孫樹

2011-03-15 | 愛媛県

東日本大震災被災者の方々には心よりお見舞い申しあげます。

前回紹介の広瀬神社から県道211号線を小田川沿いに約1.5kmほど遡ると中川の集落があってちょうど屋並みの途絶える辺り、県道左手脇にそれと解る大きな鳥居と巨大な公孫樹が見える。

県道から真正面に見る三嶋神社の鳥居、その奥に続く石段右脇に大公孫樹、その奥には随身門。

県道脇下方から見上げる大公孫樹は・・・

その根元に小さな祠を持ち、威厳に満ち々てまるで野武士の風貌。

参道石段から見上げると大きな乳首のような気根・・・・・その下には鞠持ち狛犬。

集落を見下ろす公孫樹は愛媛県下第一の巨木で根廻15m、目通り11.5m、推定樹齢1300年。

随身門脇の大公孫樹は乳出し公孫樹と呼ばれ、この気根の皮を煎じて飲むと乳の出がよくなると言い伝えられています。

なんと云ってもこの鄙びた集落の古社にはこの大公孫樹がとても良く似合う。

乳出しの大公孫樹根元でから五本の株立ち、主幹頂部は欠損、根幹部は1300年の歴史に耐えて神々しい。

随身門越しに望む公孫樹の巨木は黄葉を全て落とし、冬の到来を告げる時雨に煙る集落を見守るように立ち尽くしている。

愛媛県の天然記念物指定。

社殿左側、境内の片隅には榧の大木、「兄弟カヤ」と書かれた説明板。

こちらが兄の木、目通り4.7m、樹高25m、推定樹齢800年弱、榧の木らしからぬ樹姿です。

こちら弟、目通り4m、樹齢は兄の木に同じようです。

奥の木は榧の木では無いようです。

撮影2008.12.22


内子町小田 広瀬神社のケヤキ、イチイガシ

2011-03-12 | 愛媛県

前回訪ねた高知県境「松野町」から約2時間弱、90kmの長丁場、この日は移動の時間が多すぎたかな??

南北にも意外と広い愛媛県のほぼ中央部、石鎚山系の真っ只中「内子町」にやってきた

国道56号線と分かれて小田川沿いに走る国道380号線を遡ること40分、やっぱり此処も相当山深い辺境の地。

それでも此処は内子町と合併する前には旧小田町という小さな町として独立していた中心部に近く、近くには高校まである。

<これは逆方向から>

小田町の中心部を抜け県道52号線で更に小田川沿いに2kmも遡れば左手にそれと解る大きなケヤキのある神社が見えてくる

笠屋根付きの両部鳥居と石垣に挟まれる様に巨大な根をはっている。

樹齢約1000年、目通り約7m、県指定天然記念物と成っているようですが樹勢は余り芳しく無さそうにも見える。

痛々しく大枝を払われても立派な楼門や鳥居と相対峙している。

広い境内の真ん中にどんと陣取る様に腰を据えてるのがこのケヤキ。

こちらの方は鳥居横のケヤキの親分、まさしく大きな痛手を負った孤高の野武士、根元には大きな洞が有ったのかしっかり合成樹脂??で塞がれている。

苔むし、大きな樹瘤を一杯ためた巨大な主幹は寄る年波には勝てないのか??やっぱり樹勢は芳しく無さそう???しかしそれも、もう2年前、まだ大丈夫だろうか??

こちらやっぱり県天で目通り7mと鳥居横と変わらないが根回りは一回り大きい13m・・・・、確かに巨大ですがちょっと心配。

この境内にはもう1本県天が有って、境内脇、土蔵の横に巨大なイチイガシが枝一杯の葉を広げている。

2本のケヤキに比べるとこちらは樹勢も旺盛、主幹にも大きいダメージは無さそうな・・・

それと云うのもケヤキは落葉でイチイガシは常緑・・・・、この差は冬に見ると大きいかもですが??

まあこちらはとにかく元気で、目通り6.7m、根回り約10m、樹高約30m。

広い境内ですが県天の巨木が3本も立ち並ぶ景観はやっぱり壮観。

因みに樹齢は3本共に1000年以上と成っている。

撮影2008.12.21


松野町 逆杖(さかづえ)の大公孫樹

2011-03-11 | 愛媛県

四国一晩目の宿は四万十市の中村駅近くで取り、朝早くに足摺岬先端のアコウの巨木と対面、その足でここ愛媛県松野町の山奥へとやって来た。

年の瀬のそぼ降る小雨にけむる四万十沿いに遡る事約100km約2時間強の長丁場・・・・。

途中四万十の一つ支流広見川と別れ更にその支流の奥の川を県道106号で遡り、まだ山間の谷川沿いをを遡る・・・・やっぱっりここまで来ると辺境感は拭えない。

谷沿い道を詰めて行くと民家が点在、何軒もない集落の途切れる辺りに一段と高い石垣が有って、素朴な薬師堂と共に、この逆杖の大公孫樹が冬枯れの枝を一杯に広げているがやっぱり冬場は物哀しく見える。

この公孫樹は関西でも巨樹伝説によく登場する弘法大師が杖を差し、根付いたと言い伝えられているようです。

この辺境の地に中国原産と言われる樹齢1000年とも言われる公孫樹が有るというのはちょっと不思議な気もしないではない。

この地は1000年以上も続く集落なのだろうか??

しかしそんな事はさておき、薬師堂の狭い境内に大きく枝を広げて鄙びた山間集落を見下ろす姿は確かに孤高、なんとも言えない存在感がある。

薬師堂をバックにするとこんな感じ・・・

反対側には集落・・・・と言っても家は少ない。

石垣下から見上げて見ると・・

推定樹齢1000年、目通り約12m、樹高約32m。

樹齢の1000年はともかくとして相当歳を重ね世代交代も果たしてるようです。

 撮影2008.12.21


 新浜市一宮神社(いっくじんじゃ)の大楠群

2011-01-16 | 愛媛県

剣の山を下ってその日の宿泊地に決めていた新居浜市までひとっ走り・・・・・・。

このままホテルに入るには少し時間の余裕が在ったので近くの一宮神社に寄る事にした。

新居浜市の学校や官庁が建ち並ぶ中心街に在って、その参道を途中で切り裂いて県道13号線が走っている。

<ちょっと他所では見かけない形の随身門>

それでも長い参道の脇には大きな楠が並びちょっと特異な楼門の奥には大きい楠の杜を持った広い境内、奥まった一宮神社(いっくじんじゃ)の拝殿横に「一番楠」と呼ばれる国天の巨楠が特別な存在感で周囲を威圧するかの様に聳えている。

この杜や参道の神域には目通り3m以上の楠が29本をも有るが、中でも一番楠と呼ばれるこの巨楠は樹齢約1000年、目通り9.4m、樹高29m。

この大楠にはその昔、狸が住み着いていて、とて も利口で人の助けをしたということから祭神としてこの楠の根元に祀られている。

小女郎たぬきがこの一番楠に住んでいたとされるため、その狸を祭神とする祠が楠の根元に祀られている。

曰く、「小女郎大明神」として根元には小祠も有ってこの日も、この祠の前で拝礼をする老婦人を見かけた。

現在に至るまでこの大楠は多くの信仰を集めてまだまだ若々しい力を秘めて元気そのもの・・・

二番楠と呼ばれる大楠は拝殿を挟んで一番楠の反対側

 

二番楠とは言えこの巨大さ、目通り7.1m、樹高27mまだまだ若々しく全く衰えは見えない。

撮影2008.11.1


初瀬(ういせ)の大桂・・・(大成の大桂)

2008-12-28 | 愛媛県


四国の代表的な桂の巨木の三本目は愛媛県久万高原町大成の初背の大桂。


地元では日本一の大桂という触れ込みですが、桂の大きさの定義が良くわかりません。


この大桂も株立ちするひこばえの集合体で全体の周囲は約30mも有る馬鹿でかさです。


しかし主幹となる幹もわからず支幹が何十本も谷の崖淵から天を目指して延びる姿は圧巻です。



松山市内からR494でやく1時間ほどで久万町面川地区へと入るが、すぐ左手にわきみちに道路を跨ぐ大看板があって、四国最後の秘境、大成の看板が見える。


落武者の拓いた隠れ里、ここから車で10分とあり、天然記念物日本一の大桂の文字も見える。


四国最後の秘境にしては走りやすい道路で看板どおりに大成の集落が5~6軒見えて、集落の途切れる右手、集会所のような建物横にそれと解る看板が立っている。


前の道を少し進むと谷口の崖から突き出したあの桂独特の巨大な姿が見えてくる。



以前に観光地として売り出そうとしたのか?桂付近はよく整備されているが、思うように人を呼ぶことが出来なかったのか崖下に有る遊歩道の階段には枯葉がうずたかく積もり、危険なため立ち入り禁止の表示板などもあってひどく荒れていました。



そんなわけで下からこの桂を仰いだ写真は手に入れることが適わなかったが桂のすぐ傍までは立派な遊歩道があって真近で見るこの桂は悠久のロマンを秘めていそうに思えます。


桂の根元には小さな祠が祀られて、幹周りにはやっぱり注連縄が渡され信仰の対象として大切にされていることがわかる。



名称が「初瀬の大桂」となっているが何故そう呼ばれるのかは良くわからなかった。


僕の想像ではこの桂の有る谷を初瀬と呼ぶのかもしれない。



国の天然記念物に指定されていて、推定樹齢1000年、幹周り29.5m.。樹高32mとなっている。



集落からの景色


ふと若葉の頃にはどんなすがたなのだろうかと思ったりもしたがやっぱり京都からは、はるかに遠い。


撮影2008.12.22


MAP


玉取山(上猿田)の大カツラ

2008-12-23 | 愛媛県

このカツラの樹の前に立つのはそうたやすいことではなかった。

四国中央市富郷町上猿田と言う地名はわかっていたのだが、さて実際に地図を当たると上猿田は山中のかなり広い地域のようで、これを探すのは大変そうだと最初から解っていた。

当然現地で人に出会えるなどと言うことは皆無だと過去の経験からも充分承知していて、こういう場合一番いいのは地元の市役所なり、町役場に行く前にチェックを入れておくに限る。

上猿田へ向かう道路脇には山ミツバチの巣箱があちこちで見られる

しかしいつもと違ってたまたまここを訪れた12月22日は月曜日、公的施設は休みではなく、麓には四国中央市の富郷支所の有ることがわかっていた。

R11号線の伊予三島から、R319号線に乗り換え稜線を一気に駆け上がり真新しく広いいトンネルと、暗くて離合困難なような恐怖の狭いい長いトンネルを越えると富郷町に着く。

富郷支所は誰でもわかる国道沿いにあって、昼休み時間中にも係わらず気軽に入って訪ねることが出来たし、丁寧に道順も教えていただけた。

ここから旧別子銅山方面に向かい、途中上猿田方面への県道を進んでいくが道はかなり狭いところもあるが、ここは四国当たり前のことだと思える。

別れ道から10分も走るとこの県道では愛媛最後の集落と成る上猿田集落につくが目指す大カツラはこの先が大変でした。

県道は上猿田集落を過ぎた辺りからどんどん狭くなり途中ダートも何箇所かある酷道と成る。

集落から15分ぐらい走って右手に大カツラの看板を見てダートの林道へと入っていくことになるが、当然この先はとてもセダン車では入っていくのは困難、勿論僕の車は四駈なので問題なく進む。

1.5kmほど進むとやがて三叉路に突き当たるが不親切にもここには何の看板も無い、仕方なく車から降りて周りを伺うと、直進奥の方にそれと思える大きな木立が見えるのでそのまま直進してやっとこの大カツラの下に到着することとなる。

集落では小雨だったがここまで来ると雪に変わっていて高度が高いことを確認させられた。

右手杉木立のガレ沢に何本もの大枝を広げ、降り仕切る粉雪の中で立ち尽くす桂独特の冬姿は、威厳を持って聳えていた。

多分永らく人など訪れたことも無いのだろうか??、カツラの周りは下草こそ枯れてないのだが、足の踏み場にも困るほどに枯れ枝や、ガレ岩がゴロゴロしている。

薄っすらと雪化粧をして立つ桂の老木と対峙してるとその場を離れがたくなってしまうのだがこんな山中で雪が強くなるのを恐れて早々に退却を余儀なくされた。

看板には近くにイタヤカエデの巨木も在ると書いては有るけどまったく不親切で場所の表示がまったくされていません。

この雪の中長い時間は探せないのでこっちはあきらめて帰って来ました。

資料に依ると、目通り15m、樹高30m、樹齢800年、トチノキとの合体木とある。

しかし僕の確認したところに依るとトチノキはもう相当以前に朽ち果てたようで、木株だけが大きな口を空けて要るのが確認できた。

若芽の芽吹く頃に又来て見たい思いの強いカツラの木です。

このカツラにまつわる昔話を見つけたので下記に転載させていただきます。

昔、上猿田の集落には、とても仲の良い二人の姉妹が住んでいた。 ある年、その娘たちの家は兵庫山に近いごぜんの森で焼き畑を行い粟(アワ)を蒔いたところ、秋には立派な粟が実ったという。 そこで姉妹は両親とともにごぜんの森に出かけ、大喜びで粟の穂を刈り始めた。 しばらく刈り進んで、ふと畑の中央を見ると、2メートルほどにも伸びた大きく立派な粟の穂が見えたので、二人の娘たちは喜び急いで駆け寄り先を争って粟の穂に鎌をかけた。 ところがあわてていた二人は、なんと、過ってお互いの首に鎌をかけ力の限り引っ張ったため、二人の首はころりと切り落とされてしまった。 両親はこれを見て大変悲しみ、二人の亡くなった所に桂の木を植え、小さな祠を建てて娘たちの霊を慰めたという。 爾来、村人たちはこの地をごぜんの森と呼んで畏れたが、両親の植えたという栃の木と桂の木は、ぐんぐん太り続け、今では天を突くほどに大きく成長し、天然記念物に指定されるまでになったといわれる。 (参考-ごぜんの森の物語を秘めた桂の木-「伊予三島市の歴史と伝統」より)

撮影2008.12.22

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