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巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

北九州市小倉南区呼野(よぶの) 大山祇神社の公孫樹

2013-08-03 | 福岡県

前回紹介の長行(おさゆき)貴船神社より国道322号線を南下する事約15分、呼野大山祇(おおやまづみ)神社の大公孫樹です。

呼野(よぶの)大山祇神社は、山合いの谷間を走るJR日田彦山線呼野駅の南西寄り、山裾斜面に鎮座する古社。

集落は長い参道の下に甍を並べて居る。

大公孫樹は境内への最後の石鳥居潜った左手、一段高い境内の石垣上にどっしり腰を据えて居る。

この地を訪れたのは12月中旬、九州の遅い黄葉もいくばくかを残し、梢迄見仰げる裸樹になって居た。

説明板に拠ると、目通り8.5m、樹高37mと有るがちょっと大げさな感じ・・・・、実際はもう一回り小さいかも??

方向を変えれば主幹はすっかりこの様、すっかり枯骸化が進みコールタールで固められて居る。

説明板には二度の治療の甲斐有って蘇ったとあるように境内一面黄金の絨毯を敷き詰めたように黄金色に輝いて居た。

足元は心もとないが、これだけ葉を付けて居たのなら持ち直して居る様です。

撮影2011.12.15


北九州市 長行(おさゆき)貴船神社の大楠

2013-07-23 | 福岡県

一昨年の暮れ、京都から一目散に夜を徹して車を飛ばし、夜明けの遅いこの地に着いたのが7時過ぎ、なんとか撮影出来る明るさに成っていた。

九州自動車道小倉南ICでドロップ、北方へ約2.5km、周りに新興団地の押し寄せるなだらかな山裾の里山、「長行(おさゆき)集落」

集落の中程、神社とは名ばかり、大楠の根元に小さな祠が祀られて居ます。

一見スマートに見える楠の巨木は方向を変えれば・・・

根元が異様に膨らみ合体木でもあるかの様に根元から二幹に岐れて居る。

元々三本の大楠が有り、寛政の頃(1800年頃)、小倉城の用材として伐採したところ、村中の牛馬が悉く死に、村人も悪疫にかかり、天守も焼失しまったため、伐採は中止・・・・、この一本が難を逃れた。

目通り8.3m、樹 高18m、小倉市の保存樹に指定され大切にされています。

撮影2011.12.15


福岡県朝倉市山田 隠れ家の森 

2012-12-29 | 福岡県

物凄い迫力で存在感の塊のような・・・、又々楠の巨樹です。

「一樹を持って森と為す 」そんな言葉がぴったり当嵌りそうな、巨大老楠が筑後川の堤を背にして立って居る。

その巨大な幹や樹冠からの様相から「隠れ家の森」と呼ばれる様に成ったのかと誰しも思いがちなのですが・・・、実際は往時この地には関所が在り、関所破りが夜まで身を潜めた森の一株が、今に残った物の様です。

見ると巨大な主幹は地上3m付近で亡失、輪切りにされてデッキ状になり脇から三本に分かれた太枝が起ち上がり大きな樹冠を造っています。

正面から見ると下半身の大部分は白骨化して痛々しくも見えますが・・・・、 祠や七五三縄などが無くても神が宿る木だと言うことは誰の目にもよくわかるほどに「気」を感じます。

白骨化が気になるのは正面だけ、裏側に廻るとまるで別人、いや別樹です。

その根回りの巨大さ、力強さはずば抜けて居ます。

樹齢1500年、根回り約35m、目通り18m、樹高21m・・・・・、こんな数字を聴いても素直に納得出来る力を持って居る楠です。

勿論国の天然記念物に指定されている。

ただ・・・・巨楠と共生するように大きなムクの木が一本生育していて、今後、この関係がどうなって行くのかちょっと気掛かりです。

撮影2010.5.1


朝倉市甘木 祇園社の大樟

2012-12-27 | 福岡県

前回紹介の「安長寺の大樟」とは夫婦樟と称される祇園社の大樟です。

安長寺門前道を道なりに300mも進むと朝倉高校手前、左側に楠の杜が見える。

現在の社号は須賀神社ですが、明治廃仏毀釈で廃寺とされた祇園寺と併存、今にその歴史を伝えて居る。

朝一番に訪れた境内は広く明るく、清々しく掃き清められ、神聖さが感じられ身の引き締まる思いがする。

神殿、左脇にどっしりと威容を見せる大樟は、隣国豊後、玖珠郡切株山に有った大樟の幼苗を持ち帰り安長寺と此処に植栽したものだと伝えられ、切っても切れない夫婦樟と呼ばれて居る。(それなら兄弟樟だろうと突っ込みたくなりますが・・・・)

主幹には七五三縄(しめなわ)が巻かれ、根元の洞や小さな襞には、小石仏や供養塔らしき石造物が置かれ、この大樟が信仰の対象として崇められて居るのがよく解る。

<正面の小石仏は三猿を足下に置青面金剛像>

目通りは13.7m、樹高28m、樹齢はとなって居ますが、途中主幹が分岐する辺りではもっと巨大な岩塊の様です。

根元で大きく洞になって居ますが、樹勢は問題なく旺盛・・・・福岡県指定天然記念物になって居ます。

境内の摂社脇にもこんな根張りの見事な樟もありました。

これだけみたら結構立派ですが目の前の大樟があまりにデカイ・・・・・。

撮影2010.5.1


朝倉市甘木 安長寺の大樟

2012-12-24 | 福岡県

九州の巨木では何と言っても先ず筆頭に上がるのは樟の木・・・・九州、どこへ行こうが樟がついてくる。

朝倉市は福岡県南部を横断、有明海に注ぐ九州きっての大河、筑後川沿いに位置し、合併以前は甘木市と呼ばれ、この「甘木」という地名は、この寺「甘木山安長寺(かんぼくざんあんちょうじ)」に由来すると言われている。

そんな名古刹「安長寺」地蔵堂背後から建物を覆い尽くすかのように、見事な樹冠の大樟が聳えて居る。

延喜二十年(920)、南都よりこの地管理のため移り住んだ甘木安長(遠江守安長)により創建、地蔵堂には何と矢田寺より請来の地蔵が祀られ天然痘予防に霊験あらたかとされ、「バタバタ市」として、今に信仰が伝えられて居る。

そんあ地蔵堂背後に聳える大樟は伝承樹齢700年、目通り約12m、樹高32mと、九州の大樟としては特別飛びぬけたものでは無いが、目の当たりにすると馬鹿でかい。

姿の良い緑泥片岩の自然板碑を前にどっしり根を下ろした大樟は、100m程も離れた道路工事の際に確認された程、その根を伸ばしている。

根元の大きい洞には小さな祠が祀られ、この樟自身も信仰の対象に成っているようだが・・・、天正14年(1586)、羽柴秀吉と戦った島津軍がこの地に侵入放火、その傷跡が今に残ったものだそうです。

しかし、そんな事はものともせずに樹勢は益々旺盛、ここより400m程離れて対峙する須賀神社(祇園社)の大樟とは「夫婦樟」と呼ばれ、こちらは芽起ちが「赤芽」なので「女樟」と呼ばれています。

因に、二樹共に福岡県の天然記念物に指定されて居ます。

撮影2011.12.16


直方市植木 花の木堰の大公孫樹

2012-12-10 | 福岡県

前回の水巻町八剣神社から遠賀川沿いに遡ること10km足らず、遠賀川と犬鳴川の合流地点から犬鳴川を右岸の県道27号線に入れば直ぐ目に飛び込んでくる。

往時、遠賀川を上下する石炭運搬船の船頭たちから目印の公孫樹として親しまれたという。

公孫樹は広々と広がる河川敷にあり、灌漑用水用の「花の木堰」傍にある事から、「花の木堰の大公孫樹」と呼ばれています。

4月30日、大公孫樹の浅い若葉が濃い緑色に変わり諸手を挙げ、陽の光を目一杯に受けている 。

均整が取れているのか?遠目にはそれほど巨体には映らない。

福岡県指定天然記念物、樹齢約1000年、目通り8.3m、樹高28.4mとある。

株元には石祠が祀られ、神格化された公孫樹だと云う事が容易に納得出来る威厳を醸し出して居る。

数多く分岐した太枝には巨大な気根が垂れ、ここでも子育てや安産のご利益があると祈願の対象になっているようです。

真近まで近づくと圧倒される迫力を持っています。

撮影2010.4.30


水巻町 八剣(ヤツルギ)神社の大公孫樹

2012-12-06 | 福岡県

九州まで夜中を徹して走り、夜明け最初に出遭った公孫樹の巨樹です。

関門海峡を越へ九州に入って直ぐ高速道を降り、ひたすら国道3号線を走り続けて約1時間強、遠賀川に掛かる遠賀大橋の手前で遠賀川右岸、堤防上を走る県道73号線へ左折すると前方眼下に大きな公孫樹の木が聳えている。

晩春の四月末、いくら朝が早いとは言え六時前、明るく拓けた境内に人影はなく、清々しい朝の空気が辺りを包んで居た。

木々は若葉をいっぱいに芽吹きその緑を一層際出させる頃・・・・。

大公孫樹は南面して建つ八剱(ヤツルギ)神社の小さな社に向かて左側、遠賀川堤防下から諸手を挙げる様に聳えて居る。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)お手植え伝承を持つこの銀杏は、地上2m程から大きく四本の支幹に岐れ、目通り9.7m、樹高約22m。

太枝からはやっぱり気根が垂れ下がり、何処も同じ「乳公孫樹」信仰も盛んだった様です。

樹齢1900年と云う夢の様な推定樹齢で語られるこの大公孫樹は大主幹部に相当腐朽が進んでいるのか?大きく樹脂で固められてる様だった。

まあ、何れにしても日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説からの推定樹齢1900年だろうがちょっとオーバーな気がする。

因にこの大公孫樹は、福岡県の天然記念物に指定されている。 

撮影2010.4.30


大宰府天満宮の楠

2010-05-17 | 福岡県

 言わずと知れた大宰府天満宮は前回紹介の宇美八幡からなだらかな山を一山越えて南側、時間にして約く20分足らず,車を走らせば到着する。
 此処はさすがの大宰府天満宮、駐車場は全て有料、まあこれだけの有名社になると仕方無いのかも知れないが、神社で有料駐車場も珍しいので少少 戸惑うが、有名寺院のように拝観料は取らない。

勿論誰もが承知のようにこの地は菅原道真の墓所、その上に建てられたのが大宰府天満宮で、その神霊を御奉祀する為のものと言う事になって居る。

神社側のパンフに依ると・・・・・・。

延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺)において清らかな御生涯を終えられました。その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなりました。これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬りました。


京より追従した、門弟味酒安行(うまさけのやすゆき)は延喜5年ここに祠廟(しびょう)を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて大宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立しました。

醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追懐されて、延長元年(923)に本官を復されました。そして、一条天皇正暦4年(993)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められました。その後、度重なる勅使の下向があり、22社に準ぜられました。

明治4年、国幣小社に、同15年には官幣小社、同28年には官幣中社に社格を進められ、天神さまの聖廟(せいびょう)の地と称えられて年間700万余の参拝があり、日本全国より尊崇を集めています

 

大宰府天満宮は100本以上のクスが生い茂り、中でも本殿に向かって左手、誠心館と呼ばれる建物脇にこの地で一番の大楠が有る。

大楠は太く張りのある主幹から分岐した数本の支幹を立ち上げ、樹勢も旺盛、根元はどっしりとして大地を捕まえる根張りも見事で安定感がある。



樹齢 1000~1500年、樹高 :39m、幹回り 12m、根回り 20mと成っていて、国指定天然記念物。



菅原道真没後1100年、もし樹齢が事実だったらこの楠に当時の様子を聞きたいものです。



太鼓橋を渡って、楼門の続く参道の石鳥居横にも大楠が有って、これもかなりなものです。





また太鼓橋手前の延寿王院の土塀横には2本立した大楠、シダをその太い幹に一杯蓄えているのが印象的です。



 「東風吹かば匂いおこせよ・・・」で名高い飛梅は本殿正面の向かって右側、にひっそりたっていた。

撮影2010.4.30


宇美八幡宮 湯蓋の森

2010-05-11 | 福岡県

 前回に引き続き宇美八幡宮、湯蓋の森と呼ばれる楠の巨木です。

参道から門をくぐって直ぐ目に飛び込んで来る大楠で、拝殿の右脇に大きく地上に蓋をするようにその巨大な樹冠を広げています。 応神天皇がここで産湯につかった際、蓋をするように枝が覆っていたとされていて、その名が残っているとか??

「湯蓋の森」は、樹齢2000年、樹高20m、目通り幹周15.7mと記されているが、もう一本の巨楠「衣掛の森」と比べると明らかに樹齢も若く、1000年には足りないんじゃ無いかな??

しかし、やっぱりその巨漢ぶりは見事で天を覆うばかりに葉をひろげているが主幹から分れた大枝の一本が折損している。

主幹にはこれと言った傷も洞も見当たらず、今の処樹勢ははこの上なく、根張りや株元の力強さには目を見張る物が有る。

 衣掛の森と同じく国指定天然記念物。

同じく境内、受付横に有る無名の巨楠、これなど他の場所に有ったら堂々の県指定天然記念物ぐらいには成っているだろうに??

ここではこんな楠が何本も有って目立った存在では無いのか何の表示も無い。

境内には何本もの巨楠

撮影2010.4.30


宇美八幡宮、衣掛の森

2010-05-09 | 福岡県


車にナビを付けてから、いつもそうなのだが、何処をどう走っていたのかは、よく判らない、特に近畿以外の土地では全く土地勘がないので尚更、東を向いてるのか西を向いているのかも、時として定かではない。



遠出の時はいつもそうであるように前日の夜遅くに家を出かけて、夜明け、日が昇る頃に第一目的地に着くようにしている。


今回、この宇美八幡宮は、初日3番目の訪問先、2番目の訪問先飯塚、遠賀川堤からの山越えでこの宇美の地に着いた。


朝9時過ぎで有っただろうか?参拝客も全く居なく、神社の人達が広い境内を清掃中だった。



此処は凡そ巨楠の境内で、近畿では巨の付くと思われる楠ばかりが、広い境内のあちこちに何本も 見える、といってもそれほど森閑とした境内ではなく広く開けた明るい境内です。



鳥井脇の神社入り口には「日本第一樟の森」との看板が有って、なるほどそんな言い方も有るんだと妙に納得したりする。 



宇美八幡は神功皇后が応神天皇を産んだ土地、そこから「産み」となり、いつしか「宇美」の字を当てるようになり、地名として残ったとされている。



それにより宇美八幡は、安産のご利益があるという信仰が現在にまで伝わり、此処では八幡宮本来の武運長久よりも、安産信仰の神社として名高いようである。



境内の中で尤も巨大な楠がこの拝殿左奥に鎮座する「衣掛の森」と呼ばれる楠の木で、応神天皇の産着をかけたと伝えられ、一本の楠であるが、あまりの巨木ゆえ森のように見える所からそう呼ばれている。



樹齢、凡そ2000年、根元で幹は写真のように二本に別れ主幹の方はひどく大きな洞を抱え、表皮のみで生きている様にも見える痛々しさだが、根元から立ち上がった副幹が主幹にとって代わって若葉を大量に茂らせ樹勢は悪くない。



主幹の木肌にはごつごつした樹瘤が累々と脈打って、まだまだ力強さと尊厳は感じるものの、根元は白く枯れ死化が進行しているようにも見える。


大正十一年三月、国指定天然記念物、目通り幹周り18.2m、根回り24.7m、樹高18.3m、樹齢約2000年 


撮影2010.4.30



本庄の大楠(国指定天然記念物)

2010-02-06 | 福岡県

前日の夜9時過ぎに京都の自宅を出て名神、中国、山陽自動車道を突っ走り、途中山口県防府を過ぎた辺りのSAで小休止、その先中国道と合流、関門橋を越え、九州道、東九州道と走り切 、行橋を越え、築上町本庄のこの地近くに着いたのはまだまだ夜明けまでは有り余る程の時間があるAM5時過ぎ。

周りがまだまだ真っ暗で何処に神社があるのかも解らないので道路端にある広場でしばし小休止、眠ろうとしたが眠れなかった。

九州の夜明けは遅く、周りが明るくなるまで眠れぬ無駄な時間を2時間近くも潰した。 

本庄の大楠は小休止した広場から目と鼻の先、周りが明るくなると目の前に楠への道案内表示が有って、広くて新しい道路がそのまま大楠前の精一杯駄々広い駐車場へとつながっていた。

まだ日が昇りきるまでのぼんやりした光の中に 精一杯背伸びをするように枝枝を伸ばしているように見えた。

この楠は大楠神社の境内にデンと腰を据えている、というより大楠の脇にこの大楠を神格化した社を建てたもの、古文書によれば、景行天皇が九州平定のため行宮を造営したとき山河清浄の地に常磐木の楠を植え、戦勝を祈願したという謂れの楠で、推定樹齢1900年と言われるが定かではない。

奈良時代に始まったという宇佐神宮の30年毎に行われる遷宮造営は、この大楠の下で「御杣始(みそまはじめ)祭」が執行される。御杣始祭は、安政年間で途絶えていたが、平成7年に復活したそうです。

表側から見る限り樹勢は旺盛、根元は隆々と盛り上がり力強く,巨大な生あるモニュメントの様です。

幹周り21m、樹高26m、樹齢は1900年と伝えられる大楠ですが、明治34年に浮浪者の火の不始末により空洞内が火災に逢い大半を焼失、十畳敷きも有るという裏側根元は表側とは全く違った哀れな姿になっていますが。「寿命長久の霊験あらたか」と言われ、幹に触れ長寿にあやかろうとする人も多く、築上町のシンボルになっています。

日本三大楠の一つとして 大正11年に国の天然記念物に指定、環境庁が実施した全国巨樹巨木調査で全国第五位の巨木と認定されて居るようです。  

撮影2009.12.26

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