記憶障害により過去の考察の事は大半を忘れているが
このブログのバックアップを読み返すことにより状況等を思い出している。
『縄文神霊の系統』を記載したのは一か月前の事なのだが
もう中身を忘れている状況だ。
二日程度で記事をまとめないと記憶から失われた考察は戻ってくることがない。
昨日寝ていて『金の神座(みくら)の神籬』について
御神霊が思い出せ想い出せと囁いてくる。
思い出せと囁かれても記憶障害で霞が掛かっている。
それでとりあえず自分のブログを検索しながら縄文神霊の系統の記事を書き始めた。
そこでハタと理解した。
八王子山の牛尾神社にある金大巌を記事にしないといけないようである。
それでいろいろと検索してネタを見つけやっとこの記事が出来上がった。
過去において縄文神について考察しているので
まずそこから掘り起こしてブログ記事にしていきたい。
『封印された縄文神と蘇我氏の信仰 No003』に面白い記載がある。
日本古来の原初の荒ぶる縄文神をどう祭祀していくかは
ひとえに蘇我氏に係っていた。
蘇我氏が縄文神に繋がるお守りとしての勾玉製作にかかわったのも
そのような経緯からだと思われる。
これは古い時代の八大龍王神信仰が縄文神である八岐大蛇の封印と昇華を意味しているが
これに蘇我氏が関わったから
蘇我氏はお守りとしての勾玉が必要であったのだろうと推察する。
また縄文神の祟りについては
「封印された縄文神の祟り」に記載しているが
古い記事で修正が必要だと思っている。
ただ「縄文神とは間違いなく祟り続ける神であり祟り神に落とされた神の事ではない。
その区別は重要だと思っている。」
また日本の縄文神の祟りの顕現として
「ひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると祟られる。」
という記載には今も納得させられる。
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』筆者上記HPのまとめ記事となっている。
『海神族と出雲族と日向族 No215』縄文神と呼ぶべき存在の
神霊の氣配を感じた場所についての記載
『海音寺潮五郎 悪人伝 蘇我入鹿を読んで No281』に筆者の覚悟を記載している。
「霊的には道君首名公の神霊からの啓示では
古代大王の家系である道君氏は継体天皇擁立時に蘇我氏と
協力したという歴史を持ち
同時に蘇我氏も道君氏も真実が封印されてしまった歴史を持つ。
そして更に古い縄文神の封印に対する責任がカルマとして残っている。
今後の日本の発展のためにはそれの開示が避けて通れない岩戸となっている。」
『屋久島の縄文神霊 No283』
『やまとは くにのまほろば No321』縄文神から弥生の神への変遷
「大蛇伝承の一部分は縄文神や八岐大蛇に繋がる。」
さて今回の中心的話題は
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』の記事となる。
「滋賀県の日吉大社には八王子山に金大巌という磐座があり奥宮ともなっているが
ここは牛尾神社と呼ばれる。
もともとの大山咋神の降臨した磐座は鯛釣岩=二宮釣垂岩と呼ばれる磐座であろう。」
「もともとは素戔嗚尊を祀る金大巌の根底にある神威は
天叢雲の神剣をもたらした八岐大蛇の霊を
八大龍王神として封印祭祀することにあった訳である。
滋賀の磐座祭祀が縄文祭祀につながり
建速須佐乃男大神による縄文神封印であることは間違いない。」
『八岐大蛇の封印のほころび No322』
「建速須佐乃男命による八岐大蛇の封印であるが
滋賀県大津市山上町の早尾神社
滋賀県大津市三井寺町の長等神社の一帯での磐座祭祀の封印にてほころびが出ている。
具体的な場所として太古に日吉八王子山の磐座を初めとして
八つか九つの磐座で八岐大蛇は封印されていたようだ。。」
「20071215に日吉大社『金大巌』に素盞鳴尊の神霊を調査した時に
あやしげなオロチの影を見ている。
※イメージを映像化したものがあるので添付しておく。
その時には霊的研鑽が不足していて
そのオロチの影を八岐大蛇に結びつけることが出来なかった。」
まず最初に現れた蛇
捕縛された大蛇に見える写真
この具現化系能力は同行したゐ師によるもの
この写真はその後に同じ場所を撮影したもの
『今必要とされる護符 No325』に重要なことを記していた。
「日吉大社の八王子山の金大巌で素盞鳴尊の封印開封を行った際にも
松尾大社の大杉谷の磐座でもあるものの気配を感じている。
これらの神事は少彦名神による熊本霊ラインの再構築の一環で行ったものだ。
今考えるとその気配というものが太古に封印された八岐大蛇であったものと思われる。」
このブログ記事は2012-08-04に記載しているので
このころに八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封したと思う。
この時、同時に八岐大蛇は再封印されたことになる。
現在は2020年なので八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封後
8年間見守ってきたがなかなか牛尾宮と金大巌での
建速須佐乃男大神による八岐大蛇の封印の話をする記事等に出会わなかったが
今日やっとその話がされた記事(漫画)を見つけた。
しかもそれはつい最近書かれたもののようだ。
このブログのバックアップを読み返すことにより状況等を思い出している。
『縄文神霊の系統』を記載したのは一か月前の事なのだが
もう中身を忘れている状況だ。
二日程度で記事をまとめないと記憶から失われた考察は戻ってくることがない。
昨日寝ていて『金の神座(みくら)の神籬』について
御神霊が思い出せ想い出せと囁いてくる。
思い出せと囁かれても記憶障害で霞が掛かっている。
それでとりあえず自分のブログを検索しながら縄文神霊の系統の記事を書き始めた。
そこでハタと理解した。
八王子山の牛尾神社にある金大巌を記事にしないといけないようである。
それでいろいろと検索してネタを見つけやっとこの記事が出来上がった。
過去において縄文神について考察しているので
まずそこから掘り起こしてブログ記事にしていきたい。
『封印された縄文神と蘇我氏の信仰 No003』に面白い記載がある。
日本古来の原初の荒ぶる縄文神をどう祭祀していくかは
ひとえに蘇我氏に係っていた。
蘇我氏が縄文神に繋がるお守りとしての勾玉製作にかかわったのも
そのような経緯からだと思われる。
これは古い時代の八大龍王神信仰が縄文神である八岐大蛇の封印と昇華を意味しているが
これに蘇我氏が関わったから
蘇我氏はお守りとしての勾玉が必要であったのだろうと推察する。
また縄文神の祟りについては
「封印された縄文神の祟り」に記載しているが
古い記事で修正が必要だと思っている。
ただ「縄文神とは間違いなく祟り続ける神であり祟り神に落とされた神の事ではない。
その区別は重要だと思っている。」
また日本の縄文神の祟りの顕現として
「ひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると祟られる。」
という記載には今も納得させられる。
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』筆者上記HPのまとめ記事となっている。
『海神族と出雲族と日向族 No215』縄文神と呼ぶべき存在の
神霊の氣配を感じた場所についての記載
『海音寺潮五郎 悪人伝 蘇我入鹿を読んで No281』に筆者の覚悟を記載している。
「霊的には道君首名公の神霊からの啓示では
古代大王の家系である道君氏は継体天皇擁立時に蘇我氏と
協力したという歴史を持ち
同時に蘇我氏も道君氏も真実が封印されてしまった歴史を持つ。
そして更に古い縄文神の封印に対する責任がカルマとして残っている。
今後の日本の発展のためにはそれの開示が避けて通れない岩戸となっている。」
『屋久島の縄文神霊 No283』
『やまとは くにのまほろば No321』縄文神から弥生の神への変遷
「大蛇伝承の一部分は縄文神や八岐大蛇に繋がる。」
さて今回の中心的話題は
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』の記事となる。
「滋賀県の日吉大社には八王子山に金大巌という磐座があり奥宮ともなっているが
ここは牛尾神社と呼ばれる。
もともとの大山咋神の降臨した磐座は鯛釣岩=二宮釣垂岩と呼ばれる磐座であろう。」
「もともとは素戔嗚尊を祀る金大巌の根底にある神威は
天叢雲の神剣をもたらした八岐大蛇の霊を
八大龍王神として封印祭祀することにあった訳である。
滋賀の磐座祭祀が縄文祭祀につながり
建速須佐乃男大神による縄文神封印であることは間違いない。」
『八岐大蛇の封印のほころび No322』
「建速須佐乃男命による八岐大蛇の封印であるが
滋賀県大津市山上町の早尾神社
滋賀県大津市三井寺町の長等神社の一帯での磐座祭祀の封印にてほころびが出ている。
具体的な場所として太古に日吉八王子山の磐座を初めとして
八つか九つの磐座で八岐大蛇は封印されていたようだ。。」
「20071215に日吉大社『金大巌』に素盞鳴尊の神霊を調査した時に
あやしげなオロチの影を見ている。
※イメージを映像化したものがあるので添付しておく。
その時には霊的研鑽が不足していて
そのオロチの影を八岐大蛇に結びつけることが出来なかった。」
まず最初に現れた蛇
捕縛された大蛇に見える写真
この具現化系能力は同行したゐ師によるもの
この写真はその後に同じ場所を撮影したもの
『今必要とされる護符 No325』に重要なことを記していた。
「日吉大社の八王子山の金大巌で素盞鳴尊の封印開封を行った際にも
松尾大社の大杉谷の磐座でもあるものの気配を感じている。
これらの神事は少彦名神による熊本霊ラインの再構築の一環で行ったものだ。
今考えるとその気配というものが太古に封印された八岐大蛇であったものと思われる。」
このブログ記事は2012-08-04に記載しているので
このころに八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封したと思う。
この時、同時に八岐大蛇は再封印されたことになる。
現在は2020年なので八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封後
8年間見守ってきたがなかなか牛尾宮と金大巌での
建速須佐乃男大神による八岐大蛇の封印の話をする記事等に出会わなかったが
今日やっとその話がされた記事(漫画)を見つけた。
しかもそれはつい最近書かれたもののようだ。
自分ではこちらの記事へのコメントと思っていますが、支障があれば、移していただいて構いません。
11月に入って、立て続けに縄文関係の場所に出掛けており、はっきりさせたいことも自分の中で見えてきました。
私は、今までの経緯から自分の興味の対象がこちらでは威奴神関連のことだと認識しています。八岐大蛇に関わるのはニギハヤヒ(スサノオ系譜)への追求からになるのかな?と思っていました。
最近、ネット情報に気になるものがあり、
①熊野神は水神で、縄文時代の湧き水聖地に熊野神が祀られていることが多い。
②鹿島、香取の武甕槌神はもともと蘇我氏が祭祀していた。
①について
熊野神は素戔嗚尊とされますが、吉田様は「熊野信仰は初期は威奴神信仰」とおっしゃっています。
私のイメージだと威奴神は水神ではないです。水場を好みますが、恐らく生み出す方でしょう。五行で言えば金気。熊野の伝承で本体が水晶であるとの話も納得です。
素戔嗚尊も水神っていうイメージではないんです。素戔嗚尊が熊野神とされたのは水神である八岐大蛇を封印・昇華したからでしょうが、じゃあ、素戔嗚尊って火なの?というとちょっと違う気がしてモヤモヤします。
以前、スサノオが熊野で大火事を起こして、それが原因でイザナミが亡くなったと何かで読んだ気もするのですが・・・。
②について
武甕槌神は春日神の一柱として歴史を考えると鹿島の地で蘇我氏が祭祀していてもおかしくはない・・・。蘇我氏が祭祀していたとすると火の神の日本書紀の系譜に武甕槌神が出てくるのもわかる気がします。鹿島神宮の十拳剣は素戔嗚尊に関係ありますし。
吉田様のご記事https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/e6eb97aef8d76ac31701fcb83a648f1f
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/2baceb7968853fdabcd761e179cdc95f
も気になります。
結局のところ、素戔嗚尊のことをはっきりさせる時期に来ているのでは?と感じています。
関東でのキーパーソンはヤマトタケルになるのでしょうか。
認証番号:1273
あたらずといえども遠からずでしょうか。肝心なところは封印されていますかね?
最近では、金の御坐で祈願しました。
豊玉姫は熊本博物館に保管されているのかも?より
バイデン開始 (さくら)2020-11-06 13:08:44
SDGsの工事・自家発電(9月29日)
色々な手続きを経て、漸く11月5日から
売電できるようになりました。
略
お坊さんがお経を練習しているところで、真ん中に座り一人で熱心に「越」の「「八岐大蛇霊」の事を祈りました。
☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡
このことについて、私も色々と書き残すように指示されていました。
「金の神坐」として、金のたまゆらりんを紹介されたときに。本物の金で、158万で販売されていることを目撃します。
それで、ああ~御神霊からの指示だと分かりました。
仕方ないと、老舗金販売店を探して出向きます。
そこで、本物の金のたまゆらりんの値段が、169万(1689580円)税込みでした。
それで、、、169万かぁ・・・158万より値上がりしてる。
棒、バーなら投資感覚でカエルのだけれど、、、
と躊躇していました。
偶然なんですが、このSDGs関連発電装置総額169万支払ったのです。振込手数料を引いたので、実際の振込額は169万より少しだけ安いのです。
つまり、私は本物の金のたまゆらりんの代わりに、売電(梅田・ばいでん)システムを購入したという経緯になります。
エネルックというのがあり、画面で随時買電、売電等監視できるのです。資源の循環など見れます。
自粛警察のような節電警察が私の中で発動して、常に画面をみて、家族に口うるさく指導、補導などに至ってます。これで、元を取り返すしかない!!
と心を燃やしているのですけどね。
実際に相手は家族なので、立場や健康状態など色々と慮っています。
ところで、この記事中にある、
鯛釣磐とかが気になります。
石山寺で絵巻をみたのです。
比良明神。それに、息長丹生真人氏三蔵法師。
八大龍王神の光が半端なかったですし、、
金龍神も居たのです。
大山クイ神が、もしかして比良明神?
とか思いまして、、検索してみました。
香取本「大江山絵詞の平野山「近江国かが山」: 比叡山延暦寺による土地領有権説話としての酒呑童子譚」
https://wisdommingle.com/enryakuji-temple-on-mount-hieizan-claim-sovereignty-over-mount-hiranoyama-area-and-ominokuni-mount-kagayama-area-in-the-tale-of-oeyama-ekotoba-the-picture-scroll-of-shuten-doji-the-oni-king/
酒呑童子のことが沢山書かれているサイトになりますので、これから勉強していきたいと思います。
橘姓、島田麿の血筋の性空上人、増賀上人が比叡山元三大師良源の元を去って行ったのがよくわかりそうです。
清水寺の奥の院、牛尾山についても調べていました。
背伸びをせずに地道にいきます。
東京都埋蔵文化財センターの縄文の村には湧き水がありました。今は宅地開発で水が枯れていますが、祠がありオオクルミの木之本に水神が祀られています。ここ、何で水枯れしているんだろう?と思うほど、瑞々しい水気に満ちています。自然に手を合わせ神恩感謝と国防祈願をしたくなります。
とりあえず今は威奴神は渡来神で縄文の火神を押さえた(封印した?)火属性と仮定しているのですが、湧き出る水神が近くに祀られているのです。
私の訪れた威奴神関係の場所では、威奴神あるところに縄文の水神ありというイメージです。これが火と水のクロスになるのかなぁ。
雷神乙護法童子が関係する威奴神は斎姫山門五音大神を構成する一柱という認識ですが、八岐大蛇が縄文の呪ともに祭祀による昇華で八大龍王神へと神上がりしたように、斎姫山門五音大神は自身と共にサイの神を昇華・神上がりさせてきたのかな~と考えています。でも苛烈なサイの神が猿田彦神、白鬚神、比良神などに昇華されても、斎姫山門五音大神は鬼に貶められちゃったのが問題ですね。
吉田様が気になっていた佐賀の天山もネット情報では『天山に天御中主を祀ったところ、光が飛んできて四方を照らし、童女が神懸かりして国家鎮護を約束すると、泉が湧き出した。』との話があるようです。
佐賀の天山ももともと乙護法童子が祀られていたのかもしれませんね。
認証番号:9872⇒6116
どう解釈するか難しい番号になりました。
二番目「八角神輿の蕨手の正体が八頭の龍を表す。牛尾宮の正体が牛頭天王でスサノオ命で、八王子山のご神体が八岐大蛇となる」
※この八角神輿に蕨手があることを知らなかったのです。
それで、そうなんだ・・・と新たな知識を得たと思っていました。
以前、坐摩神社訪問後に、八角墓についての考察を考えていたことがありました。
三番目「八本頸の八岐大蛇である八咫烏が天皇陛下を守護する象徴。その具現化が神輿であり、高御坐である」
※これも、知らなかったことです。
八岐大蛇=八咫烏
一緒だったのです。八が重なっているとは思っていましたが、鳥=蛇OR龍となっています。
それから、偶然にも先祖の菩提寺系統を調べていました。そしたら、文化財でそこのお寺の宝篋印塔が珍しいと書かれているのです。
☆ 隅飾(すみかざり)の内、蓮華座上に他に類を見ない蕨手文(わらびてもん)という珍しい文様を持つ宝篋印塔
蕨手紋を持つらしく、、、これは龍を表すとすると。。。
と八岐大蛇か八咫烏と何らかの接点があるのではないかと。
この蕨手紋は蓮華の花とくるくる渦巻き状です。
伏見稲荷の神宝神社の隼人の盾は、蕨手紋でしょう。
あの模様は、一つの図で二つの蕨手が書かれているのです。
ですので、八岐大蛇を蓮華の花で抑えている状態だと思います。
蓮華の花といえば、法華経という事になるのでしょう。
隼人も八岐大蛇と関わるようです。
それで、同じ蕨手紋をもつ宝篋印塔を調べました。
出雲、松江の武将がヒットしました。
宝篋印塔とは・・・
中国の呉越王銭弘俶が延命を願って、諸国に配った8万4千塔(金塗塔・銭弘俶塔)が原型だと言われている。※呉越?らしく、銭氏が祖みたいです。
この蕨手紋の隅飾りは「耳」とも呼ばれています。
石塔のデザインでは、笠の部分に「蕨手」を装飾するらしいです。
笠とは、蘇我氏を表すのではないかと吉田さまは教えてくれました。
ということからも、蘇我氏は八岐大蛇を制御する方法を知っていたと考えられますね。
早良平野の遺跡では、蕨手渦巻き状の鏡が出現しています。
http://wi12000.starfree.jp/forGmap/html/sawara_iseki.html
この蕨手、渦巻きはうずまさの「うず」とも関連しているでしょう。
つまり、「韓国宇豆峯神社」の渦、太、そして、珍彦とも一緒でしょうね。
清園寺(せいおんじ)の石燈籠
http://kawai25.sakura.ne.jp/hyougo-tanba-seionji.html
ここは八この蕨手が見事です。
大江山の鬼退治、マロコ皇子のお話しがあるお寺です。
蘇我氏本家を継いだのは「まろこ」皇子だと仮定しています。7676
調べているのですが、、、なかなかヒットせず。
まず、この画風は名探偵コナンかウシオトトラだと思い、、、
コナン作者の青山さんを調べます。
そういえば、、鳥取に旅行すると・・・長男に話したら、「名探偵コナン」と言われたのです。
急に何故、湖南?コナン?木南。
どうも、コナンの作者が鳥取出身らしいとのことでした。
そして、作者青山さんを調べてみると「ヤイバ」と言う漫画を描いていて、、
Aが逆さまで、角を表しているのよね。
そこに八岐大蛇などでてくるようです。
でも、この記事中の漫画ではない感じです。
昔の作品です。
私の鳥取での出来事、キモイカエルの手から、八頭で智頭で雛流しで鉄(くろがね)勤務のウサギの角でした。
何故か、広島芸大も絡む。
りんごうさぎがモチーフ・・・は鳥取の神話、ウサギの皮を鰐がはぐことから、、、リンゴの皮でウサギを創るというのと重ね合わせたと言っていました。
リンゴの皮をむく=うさぎ
梨の皮をむく=母神、親神とか思っていました。
リンゴで、、気になることがありました。
定期健診の日で、血液検査などしました。
そこで、今回は真面目に薬を飲んだので、、数値が良くて、主治医もご機嫌でした。
結果良好と大きく書いて、、少し雑談などして、、、
コロナには罹らないように気を付けて!と何度も念を押されました。
珍しく良い感じで病院を後にしたので、、近くでお茶をします。
そこで、焼きリンゴのパフェを頼みました。今思うと、値段は880でしたね。
なんとなく、紅くて綺麗なので
写真を撮りました。
構図は、赤リンゴパフェとそばの樹木です。
そのお店から見える風景の樹木が、大きな手の形の葉っぱで、トゲトゲの木の実がなっているのです。
クリスマスっぽい木で、いいなぁと眺めていると、紅い鳥居が見えます。
後から行ってみようと、、、
調べると、「市杵島姫」を単独でお祀りする神社でした。でも、厄神となっています。
感想は舌の神となっています。弁舌。声楽、音のようです。このような場所にひっそり存在して、リンゴとクリスマス樹木から偶然気がついたことになります。
久那土神って、、船戸で、フザイトで、ベザイトで弁財天となっているのよね。だから、古代魚の形象が思い浮かぶのかな?とか考えていました。
ただ、不思議なことに、、、青山 コナン ヤイバ 八岐大蛇と検索すると、、JR西日本の脱線事故が書かれたコラムを読んでしまい、、、
熊本霊ライン大阪篇を思い出しました。
誰かが勝手に焚きつけた火を消す為にやらされてないかな?と感じる今日この頃です。7041
先日参拝した府中天神社の横の祠の前に蝉の抜け殻が置かれていました。そしてその後金木犀のようなレモンのような香がしました。
え~今の時期に蝉の抜け殻?と思ったのですが・・・さくら様が以前蝉が脱皮?して龍になる考察をされています。ネット情報によると蛇が脱皮して龍になる話もあるそうな。
土蜘蛛さんは縄文直系だと思っていたのですが、今までの経緯から、土蜘蛛さんは縄文と呉系姫氏の末裔と従来の一般的な考えを覆すに至っており・・・。あわせて、八岐大蛇が水神というのがまだ自分の中で消化しきれていないのが、今回の英彦山断念の原因だと思っているのですが・・・。
関東で八岐大蛇といえば埼玉の氷川神社。縄文遺跡や遊水池を擁し、門客社でアラハバキ神との関係が囁かれますが、氷川=日川とする説もあるようです。
方角を気にする氷川神社 (アラハバキ神と高尾にある氷川神社を考える) 様
https://sites.google.com/site/hikawajinnja1/takaohikawa
上記に紹介されているほとんどの場所に過去に自発的にしかも何回も訪れており、確かに八岐大蛇を考えると多摩川沿いとか散策したくなるので、関東で八岐大蛇が水神は比較的納得できるのですが、神話的な話や場所が変わると途端に水神??となってしまいます。
英彦山が宿題になっているのですが、求菩提山と背振山にも機会があればもう一度登りたい。
自分でも不思議ですが、犬ヶ岳には登りたいと思わないので、英彦山に行っても鬼神社、玉屋神社、岩屋神社だけで英彦山神宮には行かないかもしれないですね。
それにしても威奴神の謎の探求をはじめてから、自分の守護者がどんどん過保護になっている気がしています。蛍追っかけて崖から落ちるうっかりさんだと確実に思われていると実感する今日この頃・・・。
6193⇒6698
今日はあきる野市の二宮考古館に蛇の把手の勝坂式土器が展示されていると聞いて、見学に行ってきました。あきる野市の二宮神社に併設されており、摂社にアラハバキ神社があるくらいの情報しかなかったのですが、古墳の上に鎮座し、雨乞いの池があり、ご祭神は国常立尊でした。国常立尊が単体でお祀りされているって珍しいと思いつつ、二宮考古館を見学。
あきる野市は縄文遺跡の宝庫です。埋蔵遺跡分布図を見ていて、引田という地名の近くに貴志嶋神社を発見。奥宮の洞窟に弁財天が祀られていたとのこと。喜志嶋神社なんて珍しいと思いつつ、土器を見学したのですが、蛇の把手の土器の並びに片目の土偶?仮面?把手?が展示されており目が点に・・・。二宮神社のご祭神は片目という伝承が地元にあるそうです。
喜志嶋神社には同じあきる野市内の雨武主神社のご祭神が蛇になって訪ねていく話があり、この雨武主神社の神様は麻で片目を怪我した話があり、麻が禁忌となっているそうです。
あきる野市は以前から温泉、鍾乳洞、巨木を見に訪れていたのですが、これは知らなかった・・・。週末、貴志嶋神社と雨武主神社探索に行ってみようと思っています。
貴志嶋神社へご参拝して来ました。
最寄り駅からの最短ルートは落橋しているとのことで迂回ルートで向かいましたが、迂回ルートは夕日橋を通って貴志嶋神社へ行くよう示されていました。貴志嶋神社のご祭神は市杵島姫一柱。本殿脇に大樹に抱かれた磐が聖別されており、磐の根本は水はありませんでしたが、水場のように感じました。そしてその奥の院の洞窟。富士山の竜宮洞窟や求菩提山の岩洞窟と同じ雰囲気がします。鍾乳洞ではなく洞窟。入り口は小さいのですが、中は想像以上に広々しており、毘沙門天と大黒天がお祀りされています。一人だと流石に怖いです。たまたまハイキング中のご夫婦がこの洞窟を見に来た~ということでご一緒させていただきました。
低山ですが見晴らしがいい!そして、帰りはちょっと近道を見つけ、夕日橋を通らず日の出町に向かって道を進んで帰宅。
あれ?夕日⇒貴志嶋⇒日の出(朝日)ってことで結局567⇒576ってこと??と唸ってしまいました。
片目の把手の土器を見てから考えていたのですが、片目というと製鉄と結び付けられがちですが、縄文時代に製鉄が伝わっていなかったとすると片目の神が製鉄の神で縄文神というのはハテナ?にならないかな?
ただ、土器になるくらいだから、片目を特別とする信仰がもともと縄文時代からあって、それに製鉄にかかわる人達が目をやられることが多いから、片目の神様≒製鉄の神様と習合していったのかと思いました。水神の氏子は片目が小さいとかそういう言い伝えもあるし、片目って何を意味しているんだろ?
認証番号が4755。うーん、意味深だ・・・。
あきる野市の二宮考古館にあったのですね。
国道16号から国道411号を通って奥多摩には
何度か行ったことがありましたが、
あきる野市の記憶はあまりありません。
でもなかなか興味深い場所のようですね。
https://www.travel.co.jp/guide/article/17349/
上記ブログに二宮考古館の土器について記載がありましたが
「二宮神社には関東では珍しい”アラハバキ(片目の神様ともいわれる)
神社”が境内ある」との記載がありました。
アラハバキが片目というのはあまり記憶がないです。
もう少し探ってみます。
貴志嶋神社の奥宮にも縄文人が住んでいたのかもしれないですね。
波波迦 ハハカの木ってって堅いので
金剛桜ともいうそうですね。
実物の木の輪切りサンプルを観たいので
現在探しているところです。
波波迦木と波波木(箒・法起)が同類なら
アラハバキにも繋がるという不思議を感じています。
もとの「波波木神」が後に「顕れる」という接頭語が付いて、
「顕波波木神」アラハバキになり、
アレが荒に変化してハハキが取れたものが荒神という説もなんとなく理解できます。