吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

偶像崇拝の可否 No079

2010-01-11 23:49:04 | 日記
筆者はこのブログページでも
狛犬や貔貅等の偶像を紹介してきたが
偶像崇拝の可否について説明させていただきたい。
まずユダヤ教で偶像崇拝禁止の第一の理由が
神というものを勝手に姿形を決めつけて創造し
崇める事を禁止したものだということだ。
第二の理由が、ユダヤの民が黄金の子牛の偶像を造り
これを礼拝する事件が旧約聖書に載っているが
山から降りてきてこれを知ったモーゼは怒り、
神から授かった十戒石版を投げて砕くことになる。
これは古代シリアの神であるバアル神信仰のことだから
怒るのも当然かもしれない。
しかし旧約聖書では、こういう記載もある。
モーセは神の言葉に従って青銅で蛇を作り旗ざおの先に掲げた。
この青銅の蛇はネフシュタンと呼ばれている。
ギリシア神話でアスクレピオスの杖と呼ばれるものと似ているし
薬学のシンボルのヒュギエイアの杯にも繋がる。
これは偶像ではないのか?
つまり偶像禁止というのは唯一の神を似せることが
罪に値するということが第一の教義で、
別の宗教の神の像を崇拝することは言語道断と言っているにすぎないようだ。
宗教において視覚イメージは重要な要素なのでそれ抜きには
成り立たないというのが現実問題としてある。
視覚イメージが重要なのは、実際に偶像がパフォーマンスを示すからだ。
吸血鬼が十字架を恐れるのは虚構としても
我々の潜在意識に植え付けられた十字架ロザリオの効果は
誰も虚構とは笑えないはずである。
人類の集合意識体としてアカシックレコードに刻み込まれたものは
偶像としてそれなりの効果を現実世界にもたらすということだろう。
縄文より我々は偶像を宗教的儀式に用いてきた永い歴史がある。
その歴史は、たかだか数千年の信仰で否定出来る訳が無い。
つまり効果はあるし活用できるということである。
決して神の摂理を汚すものではないということである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パワーストーンブレスレット... | トップ | 偶像崇拝と芸術 No080 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事