吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流 No245

2011-03-28 16:44:08 | 日記
前回『宝冠弥勒と宝髻弥勒菩薩半跏思惟像 No189』
宝髻弥勒菩薩半跏思惟像には聖徳太子への思慕がにじみ出ていると記載しているが
この像の原形がどこに由来しているのか気になっていた。

上記写真は北魏時代の石像である。
半跏像で右手は失われているが思惟像であったと考えられる。
この像は現在『九州新幹線全線開業記念 細川コレクション 永青文庫の至宝展』で展示されている。
これを見たときに宝髻弥勒菩薩半跏思惟像の源流はここにあったと理解した。
この石像は西安の宝慶寺にあったものだそうだ。
東京国立博物館の東洋館には西安の宝慶寺にあったとされる
「如来三尊・阿弥陀三尊仏龕」等が展示されているが、それとは全然意匠が違う。
北魏といえば雲崗石窟や龍門洞窟が出来た時代である。
そちらのほうに似た意匠のものがあるのだろうか?
今後もさらに調査していきたい。

『宝髻弥勒菩薩半跏思惟像』




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1 コメント

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豊玉姫 (はいせ)
2020-01-26 22:08:59
仏像の好き嫌いが激しい私ですが、(たにし髪は平気だけど螺髪は苦手など)こちらの仏像は見ていてとても落ち着きます。ずっと見ていられます。
包み込まれる優しさを感じると言うか、豊玉姫を仏像で表現したらこんな感じになるのかなぁと感じます。

宝髻弥勒菩薩半跏思惟像はちょっと厳しい感じがするのです。決意が漲っているというか・・・
聖徳太子への思慕が滲み出ているというのも頷けます。和を保つことに並々ならぬ決意があったのだろうなぁと思量します。
しかし土蜘蛛さん達の記憶を継ぐもの達からすると「そうは言ってもさ・・・」という思いがあったのかもしれません。
雲崗石窟や龍門洞窟も気になりました。ちょっと調べてみたいと思います。
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