吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243

2011-03-21 23:38:42 | 日記
ちょうど6年前の1985年3月20日に福岡市の玄界灘でM7.0の大地震が起きている。
福岡市内でも震度6弱を記録している。
ところが被害はそれほど大きくは無かったので福岡以外では忘れている方も多いかもしれない。
その地震からちょうど1ヵ月後の4月20日に再びM5.8の地震が志賀島を震源として起こっている。
最大震度は5強となっている。
志賀島では志賀海神社の石垣に大きな被害が生じている。
この福岡は地震がもともと少ない地域であり
M7.0の地震は有史以来初めての規模の地震と云われている。
これは福岡市沖の玄界灘から同県筑紫野市までの
長さ約55kmの活断層である警固断層(けごだんそう)によるものだった。
志賀海神社が被害を受けたことはどういうことかと当時考えたことを思い出す。

今回東北地方太平洋沖地震では震災の前の3月9日にM7.3の地震が発生している。
この時は最大震度は5弱となっていた。
昼前に地震が起こりニュースを見ていよいよ東海地震が起こるのではないかと危惧した。
そして3月11日に同じ地域で東北地方太平洋沖地震が発生した。

この地震をTVで見て一番に理解したのは、
6年前の福岡の地震では志賀海神社の神霊が被害を縮小してくださっているという事だった。
津波は起こっていないが、これは北西と南東の方向への横ズレだったために
海底を震源地としながらも起こらなかった。
また震度6弱という揺れに関しても波長が短くて1秒未満の短周期だったために被害が少なかったらしい。
周期が2秒近ければ阪神大震災のような大規模な被害が出ていたかもしれない。
また津波が発生していれば大規模な被害となった可能性がある。
それを理解して、今回志賀島の志賀海神社にその時の神御感謝と
今後の地震災害復興祈願のために参拝してきた。

最初の地震が起こった後に
福岡のように次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
これだけの被害の違いが生じるという訳だ。
そこに太古からの祈りの力の確固たる存在というものを
志賀海神社に参拝して感じてきた。
志賀海神社は元寇の際に国防の要となったと
『龍神信仰 2 No159』で記載しているが、
今後も日本の国防と震災復興祈願の地として大切にしていきたい。


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6 コメント

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そうでした。 (虹色巫女)
2011-03-23 00:39:24
そのときの地震はほんとうに激しく 天井にたたきつけられておしまいかと思いました。なのに我が家の被害はほんのわずかでほぼ無傷。こわれたものがあまりに少なかっただけに象徴的な印象がいまでも残っています。食器棚の一番上の段に置いていた紅茶の陶器ツボが落下して下の段に置いていた珈琲豆保存用陶器ポットの蓋を真っ二つに割って紅茶の陶器ツボは無傷のまま床に転がっていました。ツボが落下する軌跡上にあった六角形のハナエモリのカップ&ソーサーの六角形の皿の端を若干欠けさせていたので物的損傷は実質この2つだけでした。これをみたとき感じたのは、天界の植物発酵系が「6」という獣の次元に終わりをつげるために 底のクニに封印された火で焼かれた種を割って開放した。ってことなのかなと。私は地震の前年にパニック障がいでたおれたこともあってスローに生きるしかなくなった直後の地震で、これが福岡人の意識のシフトがおきたことはたしか。それまで集っていた人々がだんだんどこかに行ってしまった。福岡は地震の経験がほとんどないのでしばらくトラウマになって私も睡眠障害で大変でした。お風呂にはいるのもおちつかず、未だにそうですが。志賀海神社は一緒に行った方が ふと ここに行けば べつにわざわざ伊勢にいかなくてもいいね と言ったのが 今思うと もしかするとここが古代の伊勢っぽい場所(元伊勢?)だったんじゃなんじゃなかろーかと いうファンタジーもうかんだり。
返信する
虹色巫女さまへ (吉田一気)
2011-03-24 10:39:58
月日が経つのは早いものであっという間に
福岡の地震から6年も過ぎてしまいました。
しかし今考えると福岡に津波来なくて
本当によかったですね。
宗像大社にも参拝してきましたが
今回の地震による災害復興が日本の復興にも
繋がるように祈願してきました。
災害にいくら備えてもそれ以上のものが襲うのが今回のことで良くわかりました。
村の鎮守様への信仰を深めることが大切なのですが、そのことを理解できない人が増えて来ました。
鎮守様や産土様に100回程度祈願して初めて大社への
通行手形をいただけるのに
鎮守様を抜きにして参拝する人が増えたことが
大問題なのですが、
これをどう伝えていくかが悩みとなっています。
虹色巫女さまのように地元の小さな社に心を向ける人の願いしか大社では耳を傾けてもらえないことは日本神霊界の掟だったのですが
それが忘れられ破られていることが大問題です。
例で言えば大病院と町のかかりつけの地元病院との関係のようなものです。
今はちょっとしたことで掛かる患者が増えすぎて
大病院が機能しなくなってきてしまう状態です。
正直いろんな霊能者が神社をパワースポットと喧伝することが
どれほど大きな問題なのかを考える必要を感じています。
まあそれなりのメリットもあるので表立って上記のことを言えないところもあるのですが。
返信する
地道に普及していきませよ (虹色巫女)
2011-03-25 00:24:17
私は2001年より環境文化NGO活動に参加し「スローライフ実践普及活動」なるものをやってきましたが、10年目となる今年より新世紀の基盤整備として「日本のスピリチュアルの復興普及活動」を自然の流れからスタートしておりました。3/1に志賀海神社参拝にて発足したロハス志向の女性をメインとしたnoronoro隊でそういう日常的な祈りについてを伝えていけたらと思います。またロハス仲間の男子らは今年から植林や代替エネルギーや有用植物の研究が活性化しており、今週末はそれぞれ実践活動とMTGになりました。いよいよです。また、これまでもかかわっていた九州各地のまちづくりのネットワークも再構築しますので、熊本人とおつなぎします。本格的なエコを推進している前衛隊は熊本在住者ですので。福島にもあるのですが、今回かなりすごい汚染がおきてしまって移住をせまられそうなかんじです。今回の自然災害と原発事故によって経済とエネルギー問題にこれから食の安全への関心が高まらざるを得ず、西洋医学を崇拝し続けても解決にはならず(これは私の幼少時に経験した原因不明の難病がそうであったように)きっと医者も匙を投げ、患者も絶望を通り越すことで、みんなで余命を好きに生きるしかない=みんな自由を得ることでしょう。私も小学校一年のときに治らない病気であると宣告されてから、好きにさせてあげなさい という医師の指示通り生きたら元気になりましたので心配することはいりません(笑)しかしながら、私もそうであったように、自然療法による健康維持が主流にならないことにはますます社会が混迷しますので、そうなるしかないとおもうのです。そこでますます熊本が重要な場所になるのであります。
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こんにちは。 (あぶらばく)
2011-04-02 10:18:32
お二人の彗眼と姿勢に敬服です。
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油 獏さまへの返信 (吉田一氣)
2011-04-06 00:44:49
聡明で文学的才能あふれる油獏さまから
褒められるとは恐縮です。
これからも宜しくお願いします。
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ありがとうございます^^ (あぶらばく)
2011-04-07 09:58:16
産土神のお話は同感です。いちばん大切な氏神様や産土神様が忘れられつつあります。

追伸。面白い話、ありがとうございます。宇佐の比売大神については現状を分析しただけの状態です。今から推理を楽しむつもりでした。刺国若比売命、向津姫、面白いですね。
とくに>金田屋野姫命の子の三姫が宗像三女神の可能性。>品陀真若王が素盞嗚尊では。の話は興味深いです。いま出雲と九州の拘わりがテーマです。神話における時代の重構造は「投影」のなせるわざでしょうから。来週は八代、鹿児島の探索行です。楽しみです。
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