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1992調査/台湾には九族の先住民族が住んでいたが現代化でその痕跡を探すことは難しい

2017年02月27日 | 旅行

 1990年代に何度か台湾を訪れた。そのとき、九族に分かれた先住民がいることを知った。さっそく、その歴史を伝える九族文化村を訪ねた。それが下記の後半になる。しかし、台湾各地には九族の歴史を伝える痕跡は見つからない。すっかり現代化したようだ。
1992 台湾を知る・九族の住まい /1996.2 図写真はホームページ参照。
台湾を知る
 台湾は北回帰線あたりに位置していて、亜熱帯気候区に属する。・・略・・
 台湾の土着の民族はマライ・ポリネシア語系に属する人々で、かつてはかなりの部族に分かれていたらしいが、近年は10数族とされる。台中から山間に入ったところに九族文化村があり、ここにはアタイヤル、サイセット、ツオウ、ブヌン、ルカイ、パイワン、ヤミ、アミ、ピュマの伝統が紹介されている。
 彼らは、フィリピンに続く諸島に近いことや言語の区分から、バタン諸島を介して現在のフィリピンやインドネシアの民族と交流があったと推察できる。

 ・・略・・ 先住の部族は(地図参照)、当初、平地に住み漁労、狩猟を営んでいたと考えられる。しかし、中国大陸に近いことから中国人が少しずつ移り住み始めた。
 中国は政変が再三あり、そのたびに漢民族の移動が発生した。・・略・・ 福建省や広東省の中国人が台湾に大挙して移り住むことも少なくなかった。
 こうして次第に中国系台湾人が勢力を拡大、対して先住の族は徐々に平地を追われ山地や東海岸沿いに移り住むようになった。

 台湾が中国の版図に書かれるようになったのは13世紀初頭、の時代で、この頃には台南、高雄を中心に中国人の町が形成されていたと推察できる。
 ・・略・・
 ところで台湾はFormosaと呼ばれた。これは16世紀ごろにアジアに進出したポルトガル人の命名で、美しい島を意味している。
 ・・略・・
 西洋諸国のうち台湾に本格的に上陸したのはオランダで、1624年、台南近くの安平に砦や城の築き、植民地の建設を開始した。植民地経営には人手が必要なことから福建・広東省から大勢の中国人を移住させた。台湾で本格的に農業が経営されたのはこの頃である。
 ところで、当時の台湾は日本の和冦や中国系の海賊の基地にもなっていた。明は海賊に頭を悩ませていたこととオランダを追い出したく、国姓爺合戦(近松門左衛門の人形浄瑠璃・歌舞伎)で知られる鄭成功の父で海賊の筆頭である鄭芝竜に官位を与え海賊の討伐を依頼した。
 早速、鄭は福兼・広東省から大勢の中国人を移住させ、勢力を拡大、一時は日本からマカオあたりまでを制覇するに至った。

 間もなく中国は明からの時代に代わる。清は明の残軍であり強大な水軍をもつ鄭芝竜を策謀で幽閉、怒った鄭成功は清に対抗すべくまずオランダを撃破、台湾政府を樹立した。時に1662年、オランダは36年で撤退したことになる。
 鄭の台湾政府は積極的に福建・広東省からの移住を奨励し、台湾の開拓に努めた。しかし、1683年、清の大軍の前に全面降伏することになる。この間22年、以降、台湾は清の支配下に入るが、北京と離れているためか清は台湾の内情にあまり関心を示さなかったといわれる。

 ・・略・・ 一方、清は1911年、辛亥革命により崩壊、代わって孫文を臨時大統領とする中華民国が成立した。しかし、1921年には中国共産党が成立、主導権を巡って抗争が続いた。そして、1948年、共産党が北京に入城し、中華人民共和国が成立する。
 この間、台湾には、日本の敗戦によって台湾が解放された時期と中華人民共和国が成立する時期に、大陸から再度、中国人が移住している。前者は政治・経済の安定のためで数は少ないが軍人や官僚、財界人が大半であり、後者は中華民国を是とする大勢の人々である。

 以上はにわか勉強による台湾略史のため誤りがあればご容赦を。

九族の住まい(九族文化村)

アタイヤルAtayal族 (写真) 主に台湾の北・東部の海岸から山地にかけて住む。住まいは木造であるが竪穴式と平地式がみられる。竪穴式は木造架構にスレート葺きの屋根、横板張りで、室内は一段下がり、ベットがおかれる。平地式は木造架構にドーム状の草葺き屋根、横板張りでやはりベットがおかれる。
サイセットSaisiyat族 主に台湾北・中央部の山地に住む。最も人口の少ない部族。木造架構で屋根は板に竹葺き、壁は竹仕上げで、室内は高床の竹簀の子になっている。
アミAmi族 主に台湾東側海岸沿いに住む。農耕を営んでいるが、都会に出る者も多く、同化が進み伝統的な住まいは少ない。住まいは木造で、草葺き屋根、竹・茅壁である。室内は高床で、竹簀の子である。方位が重視され、男の座、女の座の区別もみられた。
ブヌンBunun族(写真) 主に台湾東・中央部の山地に住む。住まいは石造と木造がみられる。石造は、壁が石の乱積みで厚さは70cmほど、住まい正面には大版のスレートが張られ、屋根は木造架構にスレートを張る。室内には屋根を支えるための柱が立つ。床は石張りで、前面の庭の石張りと連続する。前面壁際に石台がつく。木造は、屋根、壁ともに板張りである。
ツオウTsou族 (写真)主に台湾中央の山地に住む。住まいは木造架構で草葺き屋根、竹簀の子壁である。集会所は胸ぐらいの高さの高床で、壁はなく吹き放しである。
ピュマPuyuma族 主に台湾南・東部の海岸沿いに住む。住まいは木造架構で、草葺き屋根、土壁である。集会所は背丈より高い高床で、草葺き屋根、竹簀の子壁で、円形平面である。
ルカイRukai族 主に台湾東・南部の山地に住む。住まいの外観は石造だが、集会所は木造架構に草葺き屋根、竹壁である。住まいの壁は石の乱積みで70cmの厚さになり、住まいの正面には大版のスレートが張られる。屋根は木造架構にスレートを張る。室内の床は主にスレートを用いた石張りで、前面の庭の石張りと連続する。前面壁際に石台がつく。間取りは2室が基本で、台所空間と居間・寝室空間に分かれる。室内外に彫刻が施されるが、人間と蛇のモチーフが多い。
パイワンPaiwan族  (写真) 主に台湾南部の山地に住む。一般の住まいは壁、屋根ともに石造だが、頭目の住まいは石壁に板壁が併用され、屋根は草葺きである。いずれも住まい前面は石張りで、石台がつく。室内装飾には人間と蛇が描かれている。
ヤミYami族  台湾東南方のランユー島に住み、半農半漁を営む。住まいは竪穴式で、木造架構に草葺き屋根、一部を石積みとした竹簀の子壁、室内は転ばし根太に板床である。作業場は高床になっていて、草葺き屋根、竹簀の子壁、板床である。室内装飾には魚や波がモチーフに用いられる。

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