book495 殺人行 おくのほそ道 上下 松本清張 光文社文庫 2018
蔵王に出かけるのでこの本を持参した。
松尾芭蕉(1644-1694)は蔵王には寄っていないが、「五月雨を集めて早し最上川」など、山形で名句を詠んでいる。
行きの新幹線で読み始めた。P15「五月雨の降りのこしてや光堂」、P16「まゆはきを俤にして紅粉の花」などが登場し、清張の推理を楽しみながら奥の細道の俳句を学べるなどと思ったりした。
巻頭の松本清張(1909-1992)の注によれば、1964~1965年に連載した「風炎」が「おくのほそ道」に関連しているので、単行本では「殺人行 おくのほそ道」に改題したそうだ。・・読み終わってこのタイトルが推理の鍵だったことが理解できた・・。
巻頭にはおくのほそ道の略図も載せられている。芭蕉たちは江戸から北上し、平泉、尾花沢を抜けて、酒田から南下し、親不知を通り、大垣を経て、長島まで吟行している。
この本の最初の被害者は海野正雄で、上巻P157、杉並でタクシーにはねられ死亡する。主人公倉田麻佐子の調べで、茅ヶ崎出身と分かる。・・茅ヶ崎が事件に大きくかかわるが、この段階では清張の意図は読めない。
2人目は京都・四条河原町で金貸しを営む岸井亥之吉、P356、福島県須賀川の山林で絞殺死体として発見される。岸井は、麻佐子の依頼で隆子を調べていた。・・須賀川は芭蕉も歩いているが、清張は芭蕉の句を引用していない。おくのほそ道のかかわりはなさそうだ。
3人目は主人公麻佐子の叔母芦名隆子と仲のいい女優下沢江里子、下巻P155、鬼怒川温泉近くの山林で惨殺死体として発見される。すでに麻佐子は叔母隆子の不穏な動きを調べていて、後述の横山が怪しいとにらむが確証がない。・・鬼怒川はおくのほそ道とのかかわりは無い。
4人目は隆子が経営する高級洋裁店のマネージメントを担当している杉村武雄、下巻P177、東京のオリエント・ホテル612号室で青酸カリ服用で死んでいた。ホテル6階の眺めから麻佐子はあることに気づく。・・墨田区に芭蕉庵址があるが、このホテルとは無縁である。
5人目は羽村と推定される男、下巻P241、静岡県興津の海岸で溺死体で見つかる。羽村は仙台の山奥から出てきて北星交通のタクシー運転手となり、1人目の被害者海野をはねたが、その後、金回りが良くなり退社し、行方が分からなくなる。黒幕は横山だろうと推測する。・・物語では、興津の地形と親不知との類似が推理されるが、芭蕉は興津を歩いていない・・。
6人目は北星交通社長の横山道太、下巻P280~、静岡県清水の山林で毒物服用により死んでいたのが見つかる。犯人の目星をつけていた横山が死ぬ。・・なぜ清水かは結末で語られるが、芭蕉とはゆかりはない・・。
最後にもう一人死者が出る。最後の死者が事件の鍵であり、ほんとうの被害者でもある。
物語は、主人公の倉田麻佐子が大学2年のころ、叔父の芦名信雄に誘われ、芭蕉がおくのほそ道で5月ごろに歩いた平泉~尾花沢を旅する場面から始まる。
P24・・芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕もと」の尿前関址で、P31・・無遠慮な農夫に出会う。
その直後、清張はP32・・麻佐子の母の妹である隆子の美貌と、麻佐子が隆子に似ていることに触れる・・この話はそのまま立ち消えになったが、重要な伏線だったことが後半で明らかになる。
その5年後、25才?の麻佐子は、信雄の故郷である九州行きに同行する。信雄は3万石の大名の末裔で、地元では家臣の末裔から殿さまとして歓待される。その席で、信雄の山林が売却されていたことを聞く。
麻佐子は、高級洋裁店の事業を拡大している叔母隆子が信雄に無断で山林を売却したのではないかと不審に思う。
山林売買の仲介は茅ヶ崎の海野正雄であることが分かる。茅ヶ崎には麻佐子の母、叔母隆子姉妹の祖父の別荘があり、麻佐子と母、隆子はよく出入りしていた。
話は麻佐子が海野を調べる方向に展開するが、後段で信雄がこの別荘の写真を眺めている場面が出る。麻佐子は信雄が別荘の写真を見ていることに疑問を感じる。・・これも重要な伏線だったことが後半で明らかになる。
麻佐子が海野を調べ始めて間もなく、前述のように交通事故死する。そして、次々と殺人が起きていく。
海野は東京で交通事故、岸井は須賀川山林で絞殺、下沢は鬼怒川温泉近くで惨殺、杉村は東京のホテルで毒物死、羽村?は興津で溺死、横山は清水の山林で毒物死だから、松本清張氏が終始おくのほそ道に関連するから改題したというほどのかかわりはうかがえないように思ってしまう。
実際、海野、下沢、杉村、羽村はおくのほそ道を知らない人物が犯人だった。岸井の現場が須賀川なのは、清張が読者を混乱させるためであろう。
下巻P227、麻佐子に差出人のない速達で、印刷された文字を貼り合わせた芭蕉の句「一家に遊女もねたり萩と月」が届く。
麻佐子は、P230~、速達を送った人物の意味を考え、遊女が誰かを指していると推測したり、誰がなぜ「おくのほそ道」にこだわるのか、不安に感じる。
麻佐子とおくのほそ道を結びつけられる人物は誰か。その人物は一人しかいない、麻佐子は半信半疑で会いに行く。
途中から登場する麻佐子に応援を頼まれた西村五郎は、この句からP231、芭蕉が通った親不知子不知という場所を暗示しているのではないかと推測する。そして、興津と親不知との地形の類似性に気づく。
海野、岸井、下沢、杉村、羽村、横山はいずれもおくのほそ道に無縁に見え、どこが「殺人行 おくのほそ道」か??と思わせ、読者を五里霧中のなかに置いていくのが松本清張氏の狙いのようだ。
結末で、おくのほそ道にこだわった人物によって、事件の全容が語られる。
それにしても結末で明らかになるほんとうの被害者の無念、悲惨はつらい。
清張氏の結末は意外と悲惨である。悲惨に負けず明るい展望に生きろ、が清張のメッセージなのであろう。(2019.7)
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