池原義郎氏が1973年に設計した霊園の礼拝堂が賞賛されているのを読み、霊園に連絡を取ったところ、使用されていいなければ見学可との返事をもらった。仏滅の日を選んで見学をした。葬祭場、霊園の見学は気が引けるが、この礼拝堂ではすばらしい空間構成でを実感できた。写真はモノクロ、ホームページ参照。
1985 「所沢聖地霊園 礼拝堂」を見学 Tokorozawa Cemetory Park : chapel,channel house 設計:池原義郎 1973 埼玉県所沢市 /1986.2
人を送る儀式は、地方や民族の慣習によって異なる。例えば先年訪れたネパールのヒンドゥー教寺院パシュパティナートでは、寺院下を流れる聖なるバグマティ川に突き出た石台上で火葬が行われ、灰を川に帰していた。川は、生者と死者に懸け渡される流れ、即ち連続性の象徴なのであろう。
国立民族学博物館発行の季刊民族学によれば、様々な儀式の様子が紹介されており、多様な民族の多様な宇宙観を知ることができる。
いずれにしても古今東西を問わず、民衆の中でもっとも重んじられるのが、他のどんな儀式にも増して葬儀のようである。恐らくこれは、生者から死者への、存在と観念との全く異なった質をつなく唯一の結節点(あるいは分岐点と言えようか)における儀式の故であろう。
比して誕生の儀式がささやかなのは、観念から実在への結節点であり、10ヶ月もの心理的な準備状態が続くことと、母親の個人的力に大きく依存せざるを得ないことによるのではないか。
さらに冠婚の儀式が、ものものしさの割に重さが感じられ難いのは、実在から実在へのレールを乗り換える程度の連続した質の故ではないかと考えられる。
話しが遠回りしたが、この所沢聖地霊園の礼拝堂は、結節点=分岐点の儀式にふさわしい空間の質を、十二分に感じることができる。
聖地霊園の周囲は急速に市街化か進んているものの、霊園は、武蔵野特有の林に囲まれて静寂をどこまでも漂わせていル・・江戸時代の開拓新村三富新田はここからわずか数100mの近さ・・。
ゲートに立つと、雨上がりの天候のせいか、正面に武蔵野の林を背景に、際立つでもなく、消えいるでもない、静なたたずまいの礼拝堂が目に入る。
大きな屋根面はそのままゆるやかな大地の起伏に連なっており、あたかも大地が盛りあがって空間を創りだしているかの如く思わせる。
ゲートから直線的でなく、つづら折りに回りこんだアプローチの取り方は、神社などに見られる伝統的な空間手法に通じ、気持を高まらせてくれるようだ。
木の扉を押し開けると、そこは一瞬ためらわれる程の、暗く狭い入口ホールとなる。視線の短い、先に行くほど狭くなるホール空間は、高まった気持を整わせてくれる。
意を決して進むと、突然、祭壇の後の全面のガラスを抜けて、大地の緑と降り注ぐ光と澄みきった空気の中に気持が吸いこまれていく。
恐らく、断ち切れぬ思いは大地、あるいは天空を飛びかい、緊張は次第に静まり、気持を休まらせてくれるに違いない。
ゆっくり室内を見渡す。天然スレートの床は大地を思わせ、大きく吹き抜けた板張の天井と架け渡された集成材の梁は林の中を、大板ガラスのトップライトは天空を連想させる。光は木洩日の如く、静かに大地を照らす。
静かな中に、気持が大きく高まりそして休まる不思議さは、明と暗、空間のボリュームの構成の巧みさに他ならない。
昭和48年度建築学会賞を受けた作品である。
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