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奈良を歩く13 長谷寺1

2021年10月08日 | 旅行

日本の旅・奈良の旅>  奈良を歩く13 2013.3 長谷寺1 初瀬川・銅板法華説相図・十一面観世音像・仁王門・登廊

 室生口大野駅の次の次の長谷寺駅で降りる。どこにでもありそうな小さな駅である。北下がりの斜面なので風景が広がっている。斜面には住宅が軒を寄せあいながら建っているが、古めかしいたたずまいは少ない。軒を寄せ合ったなかを細い道が曲がりくねりながら下っているようで、参道らしい雰囲気が見当たらない。
 駅前の長谷寺観光案内図と書かれた看板を見る。
 谷筋を初瀬川が流れ、北の初瀬山の中腹に長谷寺が位置し、南斜面の中腹を近鉄大阪線が走っていて、長谷寺駅は南斜面に設けられている。長谷寺に行くにはいったん南斜面を下り、初瀬川を渡り、川沿いに伸びた町を北東に上らなければならない。徒歩で20分ほどかかるようだ。
 駅前から大きくカーブした車道が国道165号線、初瀬川に向かって下っているが、近道となる直線の下り階段も描かれている。家並みと擁壁のあいだの階段を下ると、大きくカーブした車道の途中に出た。そのまま下り、車の往来の多い国道165号線を超える。

 初瀬川に架かる参急橋は、コンクリート造だが欄干を朱塗りにして門前町の雰囲気を出している。参急橋を渡り、県道38号線=旧初瀬街道を右=北東に曲がる。
 「五木寛之の百寺巡礼第1巻奈良ガイド版」によると、源頼朝が現在の東海道を開拓するまで大和から伊勢に向かうには初瀬街道を経て船で渥美半島に渡ったそうだ。長谷寺は初瀬街道沿いに位置し、平安時代に伊勢詣でが流行ったときに長谷寺も参拝するようになり、「源氏物語」「更級日記」「枕草子」などに長谷詣でが綴られたそうだ・・どの古典も教科書で習うし、源氏物語は全巻を読んだつもりだが、長谷詣では記憶にない・・。
 県道38号線=旧初瀬街道には平入りが多く、うだつに似せた袖壁を設けた家並みに、ときおり厨子2階を虫籠窓にしたたたずまいが混じり、参道らしさをうかがわせる。
 商店、茶店、食事処が増えてきた。長谷寺は近い。旧初瀬街道と初瀬川が山あいに向きをかえるあたりの食事処で昼食を済ませる。

 寺伝などによると686年、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の丘に安置し(本長谷寺、後述)、727年、徳道上人が聖武天皇の勅命で東の丘に伽藍を造営し本尊十一面観世音像(後述)を祀った(後長谷寺)とされ、二つを合わせ長谷寺が成立したとされる。
 徳道上人は西国三十三所観音霊場を開き、平安時代以降は貴族のあいだで初瀬詣で、長谷信仰が広まり、中世以降は武士、庶民も長谷寺を参詣したそうだ。
 創建当時の長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺、平安時代中期990年に興福寺(法相宗)の末寺、1587年ごろ、新義真言宗の僧正専誉により真言宗に転じた。現在は全国に三千の寺を有する真言宗豊山派総本山である。
 境内は初瀬山の斜面に広がり(境内図web転載)、森に覆われている。「花の御寺」とも呼ばれ、春は桜、牡丹、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は冬牡丹が見ごろになるようで、パンフレットには花に彩られた風景が紹介されている。訪ねた3月は米ならぬ花の端境期で花は逃した。

 茶店、食事処、土産店などが軒を連ねる参道の坂道を上る。総本山長谷寺と刻まれた石柱からゆったりした石段が始まる。
 石段を上っていくと、急な石段の上にそびえるような仁王門(重要文化財)が待ち構えている(写真)。本瓦葺き、入母屋屋根の楼門で、仁王が不埒な者の入山は許さぬとばかりに、にらみをきかせている。創建は1000年ごろらしいが、長谷寺は何度も火災にあっていて、仁王門は1889 年の再建である。楼閣、屋根を支える斗供が複雑な組み方で大きく張り出していて、見応えがある。

 仁王門で一礼する。仁王門の先は登廊(重要文化財)と呼ばれる屋根付きの階段が、視線が届かないほど先まで延びている(写真)。仁王門からまずは一直線に北に上り、東に折れて上り、さらに北東に折れて上り本堂に至る(境内図)。上中下の三廊でのべ399段だそうだ。
 伝承によれば、1029年、春日社司の中臣信清の嫡男が七日の命の腫れ物にかかり、信清が長谷寺に参籠し祈りを捧げたところ、烏が飛び立って死にかかっている嫡男の腫れ物をつついて蛇を引き出し、嫡男は快癒してその後に出世、1039年、清信は99間の登廊を寄進した、そうだ。
 信清が寄進した登廊は度重なる火災で焼失した。主要部が江戸時代に再建され、1882年にも下登廊、中登廊が焼失し1899年に修復された。
 仁王門、下登廊、中登廊などは明治の再建だが、境内の歴史的景観を構成する要素として重要文化財に指定されている。
 登廊の石段は緩やかで、柱間から季節ごとの花を楽しめるらしい。とはいえ、のべ399段は一段の蹴上げを15cmとすると高さ60mになり、現在の一般的なマンションの20階分に相当する。
 学僧によって掃き清められた石段をゆっくりゆっくり上っているうちに、気持ちが集中してくる。登廊も心理的な結界である。上りきり本堂の前に出たとき、ひんやりとした空気が体を包んだような気がした。冷気=霊気を感じたのかも知れない。 続く(2021.10)

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