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2020.5 高麗・秩父を歩く3 鎌北湖は水無し→北向地蔵・物見山→五常の滝・・・宿へ

2020年08月03日 | 旅行

日本の旅・埼玉を歩く>   2020.5 高麗・秩父を歩く3 鎌北湖→北向地蔵→物見山→五常の滝→道の駅果樹公園あしがくぼ→はなのや別邸花水木

 昼時だが、聖天院、高麗神社あたりには食事処が見当たらない。八高線高麗川駅近くも走ったが見つからないので、県道30号線?、県道74号線?を北に走る。ほどなく峠の元六というそば・うどん屋を見つけた。のれんも出ていて、駐車場に数台止まっている。店内は数組の先客がいた。
 奥の席に座ってとろろ蕎麦を注文したが、30分も待たされた。忙しそうな店員の話では、長く営業を自粛していたがなじみ客からの強い要望で数日前からテイクアウトに限り営業を開始し、今日から来客も受け入れたが、テイクアウトの予約がかなりあって遅くなってしまった、ということだった。そういえば、先客もテイクアウト、次々と出入りしていた客も予約のテイクアウトだったらしい。営業自粛の余波で待たされたが、食べられただけでも感謝しなければならない。

 食後、県道30号線から山あいの県道186号線を走る。すれ違った車は1台だけで、空いている。13:40ごろ、鎌北湖の駐車場に着く。数台しか止まっていない。人影もない。外出自粛の余波かと思いながら鎌北湖をのぞくと、なんと水がない。湖底をさらけ出し、白茶けた地肌に粗大ゴミのような残骸が顔を出している。
 鎌北湖は別名乙女の湖と呼ばれ、奥武蔵自然歩道に組み込まれた景勝の地のはずだが、目の前の醜態からはとても乙女は想像できない。工事車両が止められていて、黄色いロープが張ってあるから、改修工事をすすめているらしい。加えて、新型コロナウイルス感染予防で工事が中断したままになったようだ。
 鎌北湖は周囲2kmほど、水を満々にたたえていれば緑陰のハイキングによさそうだが、白茶けた地肌の湖では歩く気分になれない。鎌北湖を早々に立ち去る。

 国道299号線・武蔵横手あたりに出ようと、くねくねと曲がる山道=通称奥武蔵グリーンラインを南に走る。車にも人にも出会わない。15分ほど走り、右に北向地蔵の道標、左に物見山の道標を見つけた。奥武蔵自然歩道の道標らしい。
 車を脇に止め、北向地蔵の道標に従い、尾根筋を歩く。左は林、右は崖の散策路は木の根が現れているところもあるが、土はしっかり踏み固められていて、歩きやすい(写真)。
 5~6分で北向地蔵尊の祠に着く(写真)。説明坂によれば、1783年の浅間山噴火に続き疫病が流行った、1786年、有志が、現栃木市の岩舟地蔵尊の分霊をここに祀り、村の守護神とした、岩舟地蔵尊に対面するよう祀ったので北向きになり、北向地蔵尊と愛称された、そうだ。
 祠は掃除が行き届いている。赤い上掛けも新しい。いまでも守護神として大切されているようだ。合掌。
 参拝していると林の下を通り抜ける車が見えた。祠の裏手を下ると、奥武蔵グリーンラインだった。足腰にきつい人は車で参拝することができる。元気なら、尾根筋を歩こう。すがすがしいウォーキングになる。

 尾根筋を北向地蔵の道標まで戻る。物見山の道標から婦人が下りてきた。山道は楽とのことだが、山頂の展望は全開ではないらしい。
 斜面は杉林に覆われ、踏み固められた道が伸びていて、婦人の言うとおり歩きやすい(写真)。林のすき間から空が見えるが、右手も、左手も、前方も、どこまでも木立が続いている。ときどき道がくねっと曲がるが風景は変わらない。10数分歩いても風景が変わらないので、物見山はあきらめ車に戻った。

 奥武蔵グリーンラインを下る。風景はあいかわらず針葉樹林である。対向車にも出会わない。何度かカーブを曲がったところで、下山する人を追い抜いた。軽装で、リュックもバッグも背負っていない。このあたりにはバス停もないから、八高線高麗川駅か毛呂駅から山越えをして、西武池袋線武蔵横手駅に下るウォーキングだろうか。風景に変化がないと、余計なことを想像してしまう。

 左手の渓流の向こうに祠が見えた(写真)。道路に説明坂が立っている。その先に五常の滝受付と書かれた簡素な建物が建ち、塀が伸びている。五常の滝を見ようと駐車スペースに車を止めるが、受付には外出自粛期間中は閉鎖といった意味の説明が貼られ、門も閉じていて誰もいない。
 説明坂には、儒学者の孔子を唱え、孟子義、礼、智を加えて儒学思想を発展させ、前漢時代の儒学者薫仲舒がを加えて、五常の教えとして完成させ、それが朝鮮を経て日本に伝わり身につけるべき徳目として重んじられた、と記されている。
 さらに続けて、南北朝時代、高麗一族の武者が高麗川支流の落差12mの滝で身を清め必勝を祈願し戦場に向かったという伝説を紹介しているが、五常の滝と呼ばれた由来には触れていない。
 中国・前漢時代はBC206~8年だから、高句麗を始め朝鮮半島に五常の教えが広まっていて、高句麗滅亡後の716年に高麗王若光を首長とする高麗郡が成立したときも五常の教えは引き継がれたはずである。
 南北朝時代1336~1392年に高麗一族の武者が参戦するとき、五常の教え=仁・義・礼・智・信を貫こうとして身を清めたのだから、それを聞いた日本の儒学者が儒教の教えの好例としてこの滝に五常の滝と名付けたのかも知れない。そう考えると、歴史が雄大に感じられる。木立のすき間から見えたのは、仁、義、礼、智、信を象徴する祠なのであろう。

 ほどなく国道299号線に出た。国道299号線、西武池袋線、高麗川がつかず離れず、絡みながら並行している。さほど長時間の運転ではないが、3時のコーヒータイムで一息しようとカフェを探すが、休業しているのか、見当たらない。
 正丸トンネルを抜けると、国道、西武池袋線は横瀬川と並行し、少し先に道の駅果樹公園あしがくぼが見えた(写真)。道の駅なら紙コップのコーヒーがあるだろうと駐車場に入った。車は数台しか止まっていない。空いているはずで、道の駅を始め施設はすべて営業自粛中で稼働しているのは自販機だけである。
 缶コーヒーは好きではない。持参の水を飲み、一息する。秩父あたりは特別なイベントやシーズンで無い限り、都会に比べ過密なほど混み合うことはない。何でも自粛は行きすぎではないだろうか。人数を制限したり、予約制にしたり、開放的な営業は認めたりすれば、感染を抑止しながら営業ができると思うのだが・・。

 国道299号線を北上し、秩父市で国道140号線=秩父往還に左折する。ナビに従い、道の駅あらかわの標示で左に折れ、そのまま走り、秩父鉄道白久駅あたりで鉄道を渡り、山道に入る。なんと、人家が全くないところでナビは目的地あたりと告げる。??、宿に携帯電話で連絡したところ、宿は道の駅あらかわの目と鼻の先だという。ナビも間違いがあるようだ。
 16:30すぎ、はなのや別邸花水木に無事チェックインする。 (2020.8)

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