yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

サグラダ・ファミリアの東のステンドグラスは午前に緑~青色を帯び、西のステンドグラスは午後にオレンジ~緑色に輝く

2017年09月14日 | 旅行

スペインを行く55 2015年ツアー13日目 続サグラダ・ファミリア ステンドグラス ヴォールト天井 塔に上る 司教冠・司教杖・指輪・供え物
 生誕のファサードから堂内を振り返る。伸び上がった円柱のあいだから射し込む光は、森の中の木漏れ日のようだ(写真)。
 写真の向こう側は受難のファサード側で西面になり、ステンドグラスは穏やかな色合いのオレンジ色~緑色である。反対側の生誕のファサード側は東面で、ステンドグラスは緑色~青色に彩られている(写真)。朝は東の緑色~青色を通して日が射し、夕は西のオレンジ色~緑色が輝きを増す。

 多くの聖堂でステンドグラスが用いられていて、鮮やかな彩色で聖書の物語を教えている。それはそれで感嘆させられるが、サグラダ・ファミリアのステンドグラスは来る者を穏やかな光で包み込み、幻想の世界へ導いていく。午前は東面の緑色~青色が光を帯び、午後は西面のオレンジ色~緑色が輝く。この幻想的な光の変化を演出したガウディは、異能の人としかいいようがない。
 バルセロナは地中海に面している・・グエル公園からも地中海を眺めることができた・・。ガウディは地中海に降り注ぐ光の千変万化に親しんでいて、その光に神の降臨を感じたに違いない。その千変万化の光の再現に成功している。

 林立する柱を見上げると、上部が枝分かれしたように分岐している(前頁下写真)。高さ45mを超えるヴォールト天井を支えるには枝分かれした構造が安定する・・ゴシック建築ではリブ付きヴォールト天井が普及した・・。
 ガウディはいくつもの模型で構造的安定を確かめたことはよく知られている・・最後に地下の工作室+展示室でスケッチや模型を見た・・。
 リブ付きヴォールト天井の構造を踏まえ、自ら模型で構造的な安定を確かめたうえで、ガウディとその弟子たちは、聖堂上部に神々しい光を演出しようとした。側壁上部に設けられたハイサイドライトから光が射し込む。その光は、円柱上部、梁、側壁の白色で反射し合い光の束になってまぶしく輝く。輝きは神の光をイメージさせよう(写真)。

 ヴォールト天井にはいくつものお椀を伏せたような丸い突起が出ている(前頁写真)。その突起の絵文字はイエス、マリア、聖人を意味するそうだ。多くの聖堂ではクーポラやヴォールト天井にイエス、マリア、聖人、聖書の物語などがモザイク画やフレスコ画で描かれている。
 ガウディたちは、モザイク画、フレスコ画に代わって絵文字で天上界を表そうとしたらしい。椀型の突起の上にはトップライトが設けられていて、絵文字が浮かび上がるように仕組まれているらしい。

 絵文字の回りのカサのような覆いは、ナツメヤシの葉=日本では棕櫚の葉のアレンジだそうだ。イエスは受難を予感しながらエルサレムに入城する。人々はナツメヤシの枝葉を道に敷いて、救世主イエスを迎えた。そして受難を受け、磔刑となる。
 この日を受難の主日=枝の主日と呼ぶ。つまり、ナツメヤシの葉=棕櫚の葉はイエスの受難のシンボルである。
 その覆いはさながら太陽の光のように黄色みがかっている。天上界のまぶしい光のなかに、太陽の光を背にしてイエスやマリアや聖人のシンボルである絵文字が浮かび上がる。これまでの聖堂のあり方を踏襲しながらも、斬新な構想力で神の家を演出している。ガウディの異能さはただならない。

 受難のファサード~生誕のファサードの身廊交叉部北側が祈りの空間 Espaco de Oracaoで、卵形に円柱が並んだ主祭壇が設けられている。
 身廊交叉部の南側は内陣Interiorになり、椅子が並んでいて、大勢が祈りを捧げている。私も椅子に腰を下ろし、瞑想する。大勢の観光客の靴の音が消える。目を閉じていても淡い光を感じる。優しく包まれているような気になる。キリスト教の祈りの言葉には疎いので、若く旅立った妹や父母を思いながら、心のなかで 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減・・・を唱える。神の世界は一つであろうから般若心経も通じよう。

 瞑想を終えて受難のファサード横のエレベータホールに集合する。1994年ツアーでは、仮設のような工事用のリフト?で生誕のファサード側の塔に上った。塔から未完だらけのサグラダ・ファミリアを見下ろすと、完成まで100年も200年もかかりますというガイドの言葉が信じられた(写真、1994年当時、生誕のファサードが出来上がっただけ)。
 受難のファサード側のエレベータは本設で、ガラス張りであり、スペースにもゆとりがある。上りながら見渡すと工事が急ピッチで進んでいる様子が実感できる(写真、完成に近づきつつある)。
 2010年のローマ教皇ベネディクト16世による献堂式は、世界にガウディの建築のすばらしさを伝えた・・教皇と司祭は混用されているが、キリスト教会は教皇の呼び方を推奨している・・。
 寄進だけで工事が進められるので完成まであと100年、200年はかかる、というのも関心を集めたようだ。世界から寄付が集まり、技術も格段に進歩して、完成はガウディ生誕100年の2026年と宣言された。エレベータから眺めると、2026年完成が確信できる。

 
 生誕のファサードの4本の塔、受難のファサードの4本の塔、栄光のファサードの4本の塔、計12本の塔は12使徒を表す。その頂部には、お菓子のようなモザイク彫刻が施されている(写真、受難のファサードの一部)。
 これは、司教が頭にかぶる司教冠=ミトラ、司教が手に持つ司教杖=パクルス、司教の指輪=アヌルスがモチーフになっているそうだ。
 キリスト教では、教皇、司教、司祭の位階がある。12使徒は司教の位階であることを意味しているようだ。
 外周壁の頂部にもモザイク彫刻が飾られている(前頁下写真)。果物を連想させる飾りで、これは供え物を表しているらしい。どこを見ても、デザインには意味が込められているし、多くは自然に由来している。ガウディの意志とそれを引き継いだ弟子たちの思いが、サグラダ・ファミリアに結実しつつある。


 エレベータを降りたあとは、階段で下ることができる(写真)。サグラダ・ファミリアのデザイン、職人芸を間近に眺め、バルセロナの街並みや地中海を遠望しながら階段を下った。
 下をのぞくだけでも足がすくむ。いくら慣れているからとはいえ、職人の苦労はたいへんだったと思う。神の加護を信じていれば、これほどの高所でも力を発揮できるのかも知れない。
 その後に読んだ逢坂剛著book424「幻の祭典」の終盤は、工事中のサグラダ・ファミリアでの死闘である。工事中の高所で飛びはねたり、剣を振り回したり、追いつ追われつしたり・・、結局、犯人は墜落する。神を冒涜した罰かな?。サグラダ・ファミリアやバルセロナの市街を見学したあとだから、「幻の祭典」は現地を思い出しながら読んだ。

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