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2024.4東京芝 増上寺・旧芝離宮庭園を歩く

2024年05月18日 | 旅行

日本を歩く>  2024.4東京芝 増上寺・旧芝離宮恩賜庭園を歩く

 JR浜松町駅で下りる。北口改札の東に旧芝離宮恩賜庭園があるが、腹ごしらえをしようと北口改札から西に歩いた。増上寺参道になる通りに増上寺大門が建つが、今日は紋入りの幕が下げられていて、警備の人も出ている(写真)。
 参道に並ぶ塔頭寺院には正装した僧侶や身なりを整えた婦人が出番を待つように並んでいる(写真)。警備の人によれば、間もなくお練り=練行列が始まるらしい。
 増上寺では毎年4月、今年は4月2日~7日に浄土宗の元祖・法然上人の忌日法要が行われる。本堂では大法要や舞楽、双盤念仏などが催され、練行列では唱導師を先頭に、大門から本堂までおよそ300mを僧侶、信徒など200~300名が一歩一歩ゆっくりと進むそうだ。
 昼食を取ったあと、大松原の名残を残す緑地を眺め(写真)、日比谷通りを渡り、増上寺三解脱門=空門・無相門・無願門の3種の修行で悟りの境地を開く三門で一礼する(次頁写真)。
 三門は徳川家康(1543-1616)の寄進で1611年に建立、1622年に再建された間口10間≒19m、奥行き5間≒9mの壮大な門構えで、国の重要文化財に指定されている。
 もともとの増上寺は1393年、浄土宗・酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって現在の千代田区に創建された。1590年、江戸に転封となった家康は増上寺を菩提寺とし、1598年、現在の芝に移し、本堂=大殿、三門などの堂宇が建てられた。
 1616年、家康は、葬儀は芝・増上寺、遺体は駿河・久能山、位牌は三河・大樹寺、1年後に日光山に勧請と遺言し、家康没後、芝・増上寺で天海大僧正を導師とする盛大な葬儀が行われた。
 以降、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂が増上寺を墓所とした・・3代家光は日光大猷院、ほかの将軍は上野・寛永寺(天台宗)を墓所とする・・。
 大殿はその後、大火、再建、大火、再建を繰り返し、1945年の空襲で焼失後、1971年に現在の大殿が建立された。

 三門を入る。参道の正面に本堂=大殿が建つ(写真)。参道には桜が舞い、屋台が並び、参拝客、観光客で賑わっている。大殿の右奥に貴婦人のようなたたずまいの東京タワーが建つ。桜、大殿、東京タワーを収めようとポーズを取る外国人が少なくない・・大殿の裏手の高台に上がると桜+東京タワーを独り占めできる(HP「2017.4増上寺参拝」参照)・・。
 大殿への階段はお練りを待つ人で混み合っていた。大殿に入ると唱導師による法要が行われていた(前頁写真)。後ろの方から、本尊・阿弥陀如来に合掌する。私の家族の葬儀は親鸞聖人開祖の浄土真宗にお願いした。親鸞は師の法然上人の説く顕浄土真実を継承していて、浄土真宗の本尊も阿弥陀如来である。

 法要の声を聞きながら大殿を出て、境内を見下ろす。ほどなく、唱導師を先頭にして僧侶の一団、続いて信徒の一団が一歩一歩、仮設された敷物を踏みしめながらしずしずと現れた(写真)。仮設舞台で唱導師がお経を唱えた?あと、僧侶、信徒が再び大殿に歩みを進める。
 お練り=練行列を始めて見た。厳かな時間がゆっくりと過ぎる。僧侶、信徒の浄土往生を信じる気持ちが伝わってくる気がする。偶然にお練りに出会えたのも仏の導きと思う。
 練行列の一団はゆっくりと階段を上り、大殿に入る。境内は仮設された敷物、幟、舞台が片付けられ、もとの賑わいに戻る。
 大殿をあとにし、三門で一礼して、参道を下り、旧芝離宮恩賜庭園に向かう。

 東京都には旧芝離宮恩賜庭園を始め9つの文化財庭園があり、浜離宮恩賜庭園、小石川後楽園、六義園、旧岩崎庭園、旧古河庭園などは機会あるたびに訪ねている。旧芝離宮恩賜庭園は、高校が隣の駅だったので寄ったことがあるが、記憶は薄い。
 徳川4代家綱の時代、1657年の明暦の大火で江戸は火の海になり、市街のおよそ6割が焼失し、江戸の人口およそ30万人の2割にあたる6万人が犠牲になったといわれる。
 幕府は大火を教訓に防災都市造りを進める。たぶん、このときにそれまで海面だった芝も埋められ、1678年、埋め立て地に老中・大久保忠朝の上屋敷が作られた。幕末、この屋敷は紀州徳川家の屋敷になり、明治維新後の1871年に有栖川宮家の所有となり、1875年、宮内庁が買い取って芝離宮とする。
 1923年の関東大震災で芝離宮の建物、樹木が焼失し、1924年に東京市に下賜された。東京市は庭園の復旧整備を進めて、同年、「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開した。現在は前述の東京文化財庭園の一つであり、国の名勝に指定されている。

 庭園はおよそ43,175㎡、東西1.1kmほど、南北1.5kmほどの広さで、なかほどに約9000㎡の大泉水を配置した池泉式回遊式庭園である。入口は庭園の北東に位置し、入るとすぐ左に、まだ花は咲いていないが藤棚が設けられ、ベンチが置かれていて、庭園を一回りした人が一息している。
 右回り=南の園路を歩くと雪見灯籠が据えられていて、その先に大泉水が広がっている。雪灯籠の足下は州浜になっている(写真)。
 大泉水に沿って園路をさらに南に歩くと、左に花の終わった梅林に続き大山があり、右は起伏のある芝生広場になる。芝生広場には桜が植えられていて、観光客が花見を楽しんでいる(写真)。散り始めだがまだまだ薄いピンクが空を覆っている。
 芝生広場辺りが南の外れで、大泉水に沿って西の園路を進み、庭園の東外れで北に折れ、根府川山、唐津山を過ぎ、庭園の中ほどで、大泉水に架けられた八つ橋を渡り、大泉水中央の中島を過ぎ、西湖の堤を渡って、先ほど歩いた庭園西の園路に戻り、雪見灯籠を眺め、藤棚に戻って一息する。
 東西1.1kmほど、南北1.5kmほどの庭園は空が広い。気持ちが大らかになる。浜松町駅辺りは再開発が進められているが、庭園にいると町なかの喧噪が聞こえず、のんびりできる。のんびりすぎて、高校生のときは物足りなく記憶に残らなかったのかも知れない。
 駅近でコーヒータイムを取り、家路についた。 (2024.5)

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