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2016京都を歩く ⑦鞍馬寺本殿金堂前の六芒星を図象化した金剛床で宇宙のエネルギーを感じる?

2016年09月14日 | 旅行

2016年5月 京都を歩く ⑦ 本殿金堂 金剛床 六芒星 毘沙門天王 阿吽の虎 祥雲台 護法魔王尊 与謝野晶子・寛の歌碑
 鞍馬寺本殿金堂前には「金剛床こんごうしょう」と呼ばれる石が敷きつめられている。六角形の石を中心にして放射状に三角形を交互に組み合わせた石が三重に配置され、全体で直径5-6mの円をなしている。六芒星という図象である。
 人間も宇宙の一つの存在で、六芒星の中心に立つと宇宙に通じるエネルギーを感じ取ることができるそうだ。来訪者が次々とここに立って合掌していたので、私も六芒星の中心に立ち合掌してみた。年のせいか感じ方が鈍く?なっているが、宇宙のエネルギーに通じたかも知れない。

 本殿には毘沙門天王を中心とし、千手観音菩薩、護法魔王尊が祀られている。内陣は暗い。黒光りする毘沙門天王は目だけが光って見える。心のなかまで見透かしているようだ。

 朱塗りの本殿金堂の左右には、通常は獅子をイメージさせる狛犬の阿吽の石造が飾られるが、ここでは阿吽の虎が飾られている。本尊の毘沙門天が助けに現れたのが寅の月、寅の日、寅の刻だそうで、虎=虎が毘沙門天の神獣として崇められたらしい。獅子も虎も猛々しく、守護力は変わらなさそうだが、ここの虎は猫顔でどことなくユーモラスでもある。

 境内の谷側に「祥雲臺」と書かれた石が置かれている。本尊の毘沙門天が天より降り立った石だそうで、しめ縄が巡らされている。
 ここから見下ろす眺めがいい。緑の山並みが幾重に重なりながら彼方まで続いている。
 毘沙門天が現れたときは堂宇はおろか草庵もなかったが、夢のお告げで山を登ってきた鑑禎は、ここから山並みを見下ろし、京の都の俗な暮らしから決別した世界を実感できると確信したに違いない。
 
 本殿金堂右手の閼伽井護法前神社、左手の光明心殿を参拝する。
 光明心殿は緩やかな勾配の方形屋根を乗せた間口3間の小さな堂だが、本尊は650万年前に降臨した護法魔王尊である。ここで護摩供の修業が行われるそうだ。手前の、しめ縄が貼られた砂地で火が焚かれるらしい。

 光明心殿の左に、一見すると平屋の本坊・金剛寿命院が建つ。鞍馬山案内のパンフレットでは、斜面に柱を立てた懸造りがけづくりになっていて、4階建てらしい。
 前庭に砂が円形に盛られていたが、護法魔王尊の乗り物の天車のイメージだそうだ。鞍馬山案内パンフレットにはそうしたエピソードが無いので、チラリと眺めて通り過ぎた。
 
 本坊・金剛寿命院の右手に「奥の院参道」と書かれた門がある。くぐると先に石段があり、途中の鐘楼を通り過ぎた先に与謝野晶子・寛の歌碑がある。
 晶子の歌碑には円形のブロンズ?がはめ込まれていて、なんとなく きみにまたるる きもちして・・が彫られているが、達筆で読み切れなかった。
 隣の寛=鉄幹の石碑は荒々しいままの石碑に歌が彫られているが、さらに読み取れなかった。草書を読む訓練をしておけば何とかなったかも知れない。時遅し。
 与謝野晶子・鉄幹は全国を旅しながら歌を詠んでいるから、鞍馬寺にも来て、毘沙門天や護法魔王、義経に思いを馳せ、歌にしたのかも知れないが、もう少し説明が欲しい。
 できれば、石段の途中の見晴らしのいい場所に、一休みできるようにして、歌碑と説明を配置したらどうだろうか。呼吸を整えながら石段を上っていると、左右に注意が向きにくく、見落としてしまう。
 
 石段を上りきった先に、コンクリート造の霊宝殿が建っている。
 国宝の毘沙門天像などが展示され、晶子記念室もあり、鞍馬山自然科学博物苑も併設されているようだ。しかし、コンクリート造のデザインは仰々しく、鞍馬山の風景から浮き上がっている。入ろうか一瞬迷ったが、道を急ぐことにした。
 その先に、晶子が使っていた書斎=冬柏亭が移築されていた。
 東京からの移築らしいが、大阪生まれの晶子と京都生まれの鉄幹は東京でいっしょに暮らしたから、そのときの書斎だろう。想像力を働かせて、母屋に鉄幹の書斎があり、晶子は離れを書斎にした、という推理ははどうだろうか?。公開されている書斎は小さいが、落ちついた佇まいである。

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