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2018.7富士を歩く3 冨士浅間神社+富士登山口

2019年02月11日 | 旅行

<静岡を歩く>   2018.7 富士を歩く3 冨士浅間神社+富士登山口

 須山浅間神社Pを出る。まだ14:00過ぎなので、ホテルに戻る途中の須走にある冨士浅間神社を目指す(図参照)。国道469号線を北東に走り、国道138号線で北西に向かう。
 15:00ごろ、須走IC近くに富士浅間神社駐車場を見つけた。通りに面した駐車場は広々としているが、車は数台しか止まっていない。食事処?土産屋?があるが閉まっている。奥はうっそうとした樹林である。
 駐車場の中ほどに石造の鳥居が立ち、石碑には富士山東口 本宮冨士浅間神社と書かれている(写真)。
 観光地図をにらむと、富士急大井町線富士山駅、富士吉田IC近くに、北口本宮冨士浅間神社が見つかった。どうやら富士山の東側の浅間神社が東口本宮で、北側やや東寄りが北口本宮である。
 富士山の南側には本宮浅間大社がある。富士山との位置関係で、南の本宮、東の東口本宮、北の北口本宮と名付けられたようだ。しかし、西口本宮は見つからなかった。
 本宮浅間大社の湧玉池で富士登山者は禊ぎをするらしいから、東口、北口の本宮富士浅間神社も登山者が禊ぎで参拝するのかも知れない。とすると、登山路と関係しそうだ。

 富士山登山ルートを調べた(画像web転載)。一般向けは、富士山北側の富士スバルライン五合目から登る吉田ルート、富士山東側の須走口五合目から登る須走ルート、富士山南東側の御殿場口新五合目から登る御殿場ルート、富士山南側の富士宮口五合目から登る富士宮ルートになるそうだ。これらはそれぞれ五合目まで車を利用するらしい。
 麓から歩く場合は、吉田ルートに繋がる吉田口登山道と精進口登山道、須走ルートに繋がる須走口登山道、御殿場ルートに繋がる御殿場口登山道と須山口登山歩道・下山歩道、富士宮ルートに繋がる村山口登山道などがあるそうだ。
 江戸時代は、現在の須走ルートに相当する須走口登山道、現在の御殿場ルートに相当する須山口登山道、現在の富士宮ルートに相当する大宮口登山道、村山口登山道が修験道として整備されたそうだ。江戸時代の富士講隆盛で、現在の吉田ルートに相当する吉田口登山道、船津口登山道が整備されたらしい。といわれても富士登山に縁が無いので、どれがどこかはちんぷんかんぷんである。
 富士は霊峰であり、富士山信仰が広まっていたし、富士山噴火の恐れもあり、無事の下山を祈るためにも、それぞれの登り口に神社が祀られたのであろう。
 本宮浅間神社は富士宮ルートに繋がる村山口登山道・大宮口登山道の登山口に、東口本宮冨士浅間神社は須走ルートに繋がる須走口登山道の登山口に建立されたようだ。
 前述の須山浅間神社は御殿場ルートに繋がる須山口登山道の登山口に位置するが、さらに麓の御殿場駅近くにも新橋浅間神社がある。
 観光地図だけではこれ以上の推測は難しいが、徒歩だけの時代、列車が利用できる時代、車社会の時代に合わせて登山ルートも変化し、応じて浅間神社も栄えたり衰退したのかも知れない。

 冨士浅間神社駐車場の鳥居をくぐると、うっそうとした樹林のあいだに鎌倉往還と書かれた小径、浅間の杜と名付けられた散策路、水路が奥に伸びている。
 珍しい根元を見せた根上がりの樅、県の天然記念物に指定されたハルニレ、富士講の登頂祈念だろうか富士講碑群、亀には見えなかったが長寿亀石を見ながら散策路を進むと、表参道の鳥居に出る。こちらが正面だったようで、改めて太鼓橋を渡り、「不二山」と書かれた石造の大鳥居で一礼する(写真)。
 由緒書き、webによれば、東口本宮冨士浅間神社=冨士浅間神社は802年の富士山噴火のとき現在の須走地区で鎮火の祭事が執り行われたところ噴火が治まったので、以来信仰を集め、807年に社殿が建立されたそうだ。
 須走は駿河と甲斐を結ぶ街道にあたるため宿場ができ、富士山登山の須走口、富士講の人気で大いに賑わったらしい。寄進を受け1622年に社殿が改修されたが1707年の富士山噴火で被害を受け、1718年にも改修されている。由緒書きの境内図には、神門、神馬舎、神輿庫、恵比寿大国社、社護神社が並び、正面に社殿が建ち、かつての賑わいを想像させる。

 大鳥居の先に堂々たる朱塗りの随神門が構えている(写真)。楼閣をのせた楼門形式で、左右に随臣がにらみを効かしている。
 説明坂には1685年に改修され、富士山噴火後の1767年に再度改修され、現在に至っていると書かれている。手入れが行き届いているので、250年の歴史がありながら、古ぼけた感じはない。
 随神門手前の右は小山のような自然石で、頂上の親狗が崖から子狗を落とす構図になっている。親獅子が子獅子を千尋の谷に突き落とすイメージのようだ。
 参道正面に社殿が構えている(写真)。入母屋屋根に千鳥破風をのせた拝殿、続く幣殿、奥の本殿が一体となった権現造である。
 2007年、鎮座1200年祭にあたり鮮やかな色彩に修復されたそうだ。

 冨士浅間神社、本宮浅間大社、須山浅間神社は、由緒、歴史、富士山登山道、富士講など、富士山の文化的価値に欠かせない存在のとして世界遺産構成資産に含まれている。今日は朝から静岡県富士山世界遺産センター、本宮浅間大社、続いて須山浅間神社、冨士浅間神社を巡ったので、富士山信仰、富士山登山と浅間神社の強い結びつきが理解できた。
 拝殿に参拝後、車に戻る。国道138号線を北に走ると山中湖に出る。山中湖の外れから北に向かい、ホテルマウント富士に帰った。今日は車移動が長かったので歩数は8000歩を少し超えたていどであり足の疲れはないが、ゆっくり温泉を楽しんだ。

 夕食まで部屋で富士山を見ながらくつろいでいるとき、子どものころ東京都大田区大森の浅間あさま幼稚園に通った記憶がフッと思い出された。幼稚園の隣には浅間せんげん神社があった。たぶん、浅間神社の敷地に浅間幼稚園がつくられたのだと思う。
 近くには富士見橋など富士見の地名があったから、富士山がよく見え、富士山信仰の人たちが多かったことから浅間神社が建立され、戦後、幼稚園ができ、私も通うことになったのだと思う。
 幼稚園児には浅間神社は遊び場の一部であり、神社の例大祭はお菓子付きの演劇会のようにしか感じなかっただろうが、今日の浅間神社巡りで浅間神社が身近になった。  (2019.2)

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