ウォーキング協会の教室も8月お盆過ぎまでお休み。
そんな中、ネットで博多阪急のウォーキングステーションを見つけ、7/26(日)イヤーラウンド15kmを歩きました。
本来なら博多阪急に行ってマップをもらえばいいのですが、阪急の開店は10時、その時間まで待てませんのでネットでマップを印刷しそれを持って歩きました。
15kmのコースは、博多駅をスタートし、渡辺通~薬院~護国神社~大濠公園~西公園~舞鶴公園~天神中央公園~櫛田神社~東長寺~崇福寺~博多千年門~博多駅というコースです。
福岡市内博多区・中央区の中心部を歩きます。
全日空ホテルを過ぎると「日本ハムファイターズ」と書いたバスが停まっています。今日まで福岡ペイペイドームでソフトバンクとの試合があります。
この近くのホテルに泊まっているのでしょうか?
住吉神社は底筒男神(そこつつのをのかみ)、中筒男神(なかつつのをのかみ)、表筒男神(うわつつのをのかみ)の住吉三神を祭神としています。
御出現は、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときにお生まれになったと「古事記」に記されています。
相殿(あいどの)には天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)を配祀し、これを併せて住吉五所大神とも呼ばれています。(福岡住吉神社HPより)
大阪の住吉神社、下関の住吉神社とともに「三大住吉」の一つと言われています。古図では、中世ごろまでは、この近くまで海岸線だったそうです。勿論、天神、中州などは海の中でした。
住吉橋を渡って清川・柳橋連合市場の方に行くと、面白い自販機がありました。「出汁」の自販機です。初めて見ました。
薬院駅に近づくと小雨が降ってきました。薬院駅でリュックから傘を取り出します。
薬院から警固を通りけやき通りに出ます。赤坂3丁目信号から護国神社に向かいます。雨は止んできました。
護国神社の鳥居は、木製で高さ13m、柱の直径160cmのヒノキ製で日本屈指の大きさです。
護国神社の横には、NHK福岡放送局です。NHKの前には、福岡市出身で第32代内閣総理大臣を務めた「廣田弘毅」の銅像があります。
城山三郎「落日燃ゆ」のモデルになりました。
コースはここから福岡市民のオアシス「大濠公園」に向かいます。
大濠公園がある場所はその昔、博多湾の入り海でした。日本最古の歌集「万葉集」には「草香江の入江」としてその名が挙がっています。その後、福岡藩初代藩主・黒田長政が福岡城を築く際、
この入り海を浚渫し、一部を埋め立て、福岡城の西側を守る「大堀」としました。
この福岡城の大堀の改良工事に福岡県が着工したのは、大正15年のことです。東京帝国大学の本多静六博士が「大堀を公園にすれば良い」と考えられ、中国・杭州の西湖を模した
公園の設計図を作りました。池の中に柳島、松島、菖蒲島の3つの島を造り、その間を北から順に観月橋、松月橋、茶村橋、皐月橋の4つの橋でつなぎました。
また、昭和2年には大堀の埋め立て部分を利用して「東亜勧業博覧会」が開催されました。
大濠公園は、周囲2kmのジョギングやウォーキングコースになっており、週末になるとたくさんの市民が楽しんでいます。
万葉歌碑「しろたへの 袖の別れを難みして 荒津の浜にやどりするかも」意味は、あなたとこのまま離れ離れになることが惜しいので荒津の浜で一夜の宿をとってしまった。
当時は、この周辺は大きな入り江になっていて荒津の浜や荒津の崎と呼ばれ、船が出入りしていた。この歌は、都に帰ろうとする、或いは唐や新羅へ派遣される宮人が送ってきた人と
この荒津の浜で別れを惜しんで詠んだもので、見送る人が「草枕旅行く君を 荒津までおくりぞ来める 飽きたらねこそ」という歌を詠んでいます。
大濠公園の中には、ロイヤルのレストラン「花の木」があります。元々ロイヤルは、昭和28年(1953)中州に一号店をオープン、その翌年昭和29年2月には、新婚旅行で福岡を訪れていた
マリリンモンロー・ジョーディマジオ夫婦がこの店に来店しています。もう中州店はありませんが、その時モンローが使ったテーブルと椅子がこの「花の木」にあります。
大濠公園を出て西公園入口の信号の所に福岡で行列のできるパスタ屋「らるきい」があります。現在10:30、開店は11:00ですが、もう行列ができています。
私も旧店舗の時一度行ったことがあります。この時は約1時間待ちました。おいしかったです。
コースは、福岡の桜・モミジの名所「西公園」に来ました。
52段の階段を上っていると左側に「平野二郎國臣」の銅像があります。彼が詠んだ「我胸の燃ゆる思いにくらふれは 煙はうすし桜島山」は有名です。
階段の上には、福岡藩祖黒田如水、黒田長政を祀った「光雲(てるも)神社」です。光雲という名前は、両公の法名から一字ずつとってつけられました。
光雲神社には、福岡民謡「黒田節」で有名な母里太兵衛の銅像があります。
黒田節は、筑前今様と呼ばれた福岡藩の武士たちに歌われたものが全国に広まりました。雅楽の「越天楽」のメロディに様々な歌詞を当てはめて歌っていました。
中学生の時、音楽の時間で「越天楽」を聴きましたが、まさに黒田節です。
ここまでが約半分です。長くなりますので「その2」に続きます。