7/15(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「南区ため池巡りウォーク」でした。
9:00 西鉄大橋駅集合。参加者は50人。
南区には、大和時代に朝廷の出先機関「筑紫宮家」がありました。現在は、南区三宅という住宅地になっています。
那珂川と樋井川に囲まれたこの一帯は、昭和25年までは、水田が点在する集落でしたが、福岡市の人口増加により、急速に住宅地として発展しました。
水田が多かったせいか、今でもたくさんの「ため池」が多く残っています。南区では、ため池をモデルにした「ため蔵君」というイメージキャラクターもあります。
最初の休憩は、鷹取延命地蔵尊。ここには、樹齢200年高さ20mのクスノキがあります。その横には、萵苣(ちしゃ)の木です。
都市高速の下を通り、2回目の休憩は、野多目拈渡(うちわたし)遺跡がある野多目中央公園。
この遺跡は、那珂川にそった標高15mの段丘の上に位置しています。公園を建設する前の調査で、旧石器時代から古代までの生活の跡が重なりあった複合遺跡であることがわかりました。
今から約3,000年ほど前の縄文時代後期のころ、食料としていたイチイガシの貯蔵穴50基が発掘され、弥生時代になると前期末から中期(西暦前2世紀ころ)の竪穴住居跡や
貯蔵穴があり、古墳時代(西暦6世紀ころ)には63棟の竪穴住居跡が認められ、一段と大きな集落に発展しています。
さらに、古代(7~9世紀ころ)には1間×2間や2間×2間ほどの大きさの掘立柱の建物24棟や土坑39基・柵列・溝などが確認されています。このような遺跡は、盛土をして公園の下に
保存されています。(説明文より)
野多目大池は、市内で最大のため池です。江戸時代に造られた可能性が高く、灌漑用水として利用されてきました。
しかし、歩いていてもこのあたりに水田らしきものはありません。ほとんど住宅地に代わっています。
やよい坂の信号を左折し箱の池に向かいます。箱の池は、柏原地区と屋形原地区の農業用水であり、昔はこの水を巡り両地区で争いが絶えず、そのため昔は、池の水の所有面積が少ない
屋形原側が米一俵と酒五升を柏原側に贈る習わしがあったそうです。戦後はそれが金一万円に代わり、やがて水田の減少とともにこの風習も姿を消しました。
箱の池を過ぎ、柏原高校前あたりから細かい雨が降ってきました。本来なら花畑園芸公園で休憩する予定でしたがパスして先を急ぎます。
柏原小学校の所に「羽黒神社」があります。えっ、山形の羽黒神社がどうしてここに???説明文を見ると、
創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(一五八六年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと
考えられる。江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その武運長久、家内繁栄、無病息災と五穀豊穣の祈祷所でもあった。社殿等の新改築はその寄進による。特に神殿は荘厳な桃山造りで
文化財に相当するものであった。また明治の初めまでは付近の集落の産土神であった。昭和二十年六月十九日福岡空襲によって社殿は焼失したが、昭和二十一年氏子によって再建され
現在の社殿は昭和五十五年に再建されたものである。現存する鳥居、燈籠等の石造は江戸時代に建造された物が大部分であり、当社の歴史を示す文化財である。
なを、文化、文政期における福岡藩主の信仰を示す文書も現存している。 (説明文より)
私は、2~3年前山形の羽黒神社を旅しましたが、約500年前、福岡から羽黒山迄はかなりの日数が要したでしょう。今でこそ飛行機と電車を使えば半日でいけるのですが・・・
桧原(ひばる)運動公園を過ぎ、ゴールの西鉄バス桧原(ひばる)営業所へ。
※福岡では、「原」を「ばる」と読む習慣があります。白木原(しらきばる)、前原(まえばる)、大原(おおばる)、春日原(かすがばる)等
距離は、9km、2時間30分のウォーキングでした。
今日のGPS