美保関というとすぐ思い浮かべるのが「美保神社」です。
美保神社は、ご祭神が大国主神のお子さんの事代主神(ことしろぬしのみこと)と大国主神のお后様の三穂津姫命です。
事代主神はえびす様の名で全国のえびす様の総本社です。
漁業、商業など広く生業の守護神です。
この神社の横に青石畳通りというのがあります。
その昔、美保関は朝鮮との交易、江戸に入ると北前船の寄港地として栄えました。
北前船が寄港すると積荷を載せるため大八車がこの通りを走ります。
そのためには、固い道路が必要となってきます。
住民が結集し海から天然石を運びこの石畳を造りました。
雨の日にこの石畳が雨に濡れると青く光る為青石畳通りと呼ばれるようになりました。
通りを歩いてみますと、
何か昭和の時代にタイムスリップしたような感じです。
この日は雨が降っていませんでしたが、雨で青く光る石畳も見てみたいです。
通りの奥には魚屋さんがあり、美保関で獲れた魚の干物を売っていました。
この中に山陰名物の「のどくろの干物」がありましたので即座に購入しました。
通りの中央には「仏谷寺」があります。
この寺は、浄瑠璃で有名な江戸の「八百屋お七」の恋人「吉三」のお墓があります。
お七が江戸駒場で火刑に処せられたあと吉三は出家し、西運と称して江戸から西へ向かい
各地の名刹にお七のお地蔵を建て遺品を納めました。
元文2年(1737)10月このお寺に於いて70歳の生涯を閉じました。
これが吉三のお墓です。
美保神社は、ご祭神が大国主神のお子さんの事代主神(ことしろぬしのみこと)と大国主神のお后様の三穂津姫命です。
事代主神はえびす様の名で全国のえびす様の総本社です。
漁業、商業など広く生業の守護神です。
この神社の横に青石畳通りというのがあります。
その昔、美保関は朝鮮との交易、江戸に入ると北前船の寄港地として栄えました。
北前船が寄港すると積荷を載せるため大八車がこの通りを走ります。
そのためには、固い道路が必要となってきます。
住民が結集し海から天然石を運びこの石畳を造りました。
雨の日にこの石畳が雨に濡れると青く光る為青石畳通りと呼ばれるようになりました。
通りを歩いてみますと、
何か昭和の時代にタイムスリップしたような感じです。
この日は雨が降っていませんでしたが、雨で青く光る石畳も見てみたいです。
通りの奥には魚屋さんがあり、美保関で獲れた魚の干物を売っていました。
この中に山陰名物の「のどくろの干物」がありましたので即座に購入しました。
通りの中央には「仏谷寺」があります。
この寺は、浄瑠璃で有名な江戸の「八百屋お七」の恋人「吉三」のお墓があります。
お七が江戸駒場で火刑に処せられたあと吉三は出家し、西運と称して江戸から西へ向かい
各地の名刹にお七のお地蔵を建て遺品を納めました。
元文2年(1737)10月このお寺に於いて70歳の生涯を閉じました。
これが吉三のお墓です。