よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

薩摩街道(豊前街道)を歩いています。 3日目 (その1)「羽犬塚(筑後市)~瀬高(みやま市)」

2021-05-26 18:33:19 | 薩摩街道(豊前街道)

5/25(火)今日は天気もいいので薩摩街道を歩こうと、車で出発。車を瀬高駅に置き、JRで前回ゴール地羽犬塚迄戻ります。

9:00街道歩きスタート。歩いていると「停車場公民館」というのがあります。普通公民館の名前は、その地区の名を付けるのですが、ここは、羽犬塚か山の井です。

停車場公民館とはどういう意味なんでしょうね?

 

羽犬塚の一里塚は、民家の庭先に建っていました。

 

山の井の信号から旧道に入ります。信号の所にも「羽犬」の像がありました。

 

ちょっとここで寄り道です。SNSの先輩の会津のKさん、女優・黒木瞳さんの母校「福岡県立八女高校」です。

 

再び旧街道に戻ります。二本松橋の所に山頭火の歌碑が建っています。「うららかな 今日の 米だけはある

筑後市には、街道の所々に「坊津街道」の道標がたっています。これは、大変役立っています。

  

「上妻郡・下妻郡」の郡境石があります。上妻郡は、現在の久留米市荒木、八女市大部分、筑後市大部分、八女郡広川町。下妻郡は、みやま市瀬高町、野町などです。

 

尾島上町の信号で国道209号線と合流します。右側にある天満神社には、「山門合戦の絵図」があるということで行ってみました。

山門合戦の意味はわからなかったが、境内には大きな楠があります。

尾島には、えびす様が沢山建っています。この写真は、文化年間のもの。あと、天明年間のもありました。昔は、商業でにぎわっていたのでしょうね。

  

天満神社の国道の反対側には、「一之塚源平古戦場跡の碑」があります。

壇ノ浦の戦いで生き残った平家の一団は船または徒歩で博多を経て、そこから大宰府に向かったものと思われます。ただ頼りの原田種直は「葦屋浦の戦い」で源範頼に敗れもう

平家の人々を守る力も気力もなかったのかもしれません。
そこから一行は源氏の追手を逃れるために行くあてもなく薩摩街道を南へ南へと急ぎます。
ただ女人を伴う行軍で思うように進めなかったと想像され、現在の筑後市尾島あたりで源氏の追手に追いつかれ戦闘が起こり、多くの平家の武者が討ち取られます。
現在その遺骸を葬ったといわれる地に「一之塚源平古戦場跡」の塚と碑が建てられています。

この供養塔の近くには、凄い数のお地蔵さまがあります。平家の兵士を供養のためのお地蔵様でしょうか?

  

尾島の信号から街道を離れ、船小屋鉱泉場の方に行ってみます。

船小屋は、旧名を東古賀原と称え、その昔福岡県筑後国下妻郡下妻村大字尾島でした。本来この地は藩政時代、柳川立花藩下に属していて、この時代に土木用の小舟をこの地に格納していた

仮の舟小屋が、矢部川の堤防上に設置されていました。この小屋は旧藩に属し、厳重な監視下におかれていました。附近の人々はみだりに立ち入ることが許されなかったので、

土地の人々はこれを「御舟小屋」といって祟めていたのですが、後に至って御の字が除かれて「船小屋」という今日の名に転じたとされています。(船小屋温泉郷HPより)

船小屋では昔からわき水が吹き出ており、この上を飛ぶスズメがよく落ちていたため、『雀地獄』と呼ばれていました。文化年間(1804~1818)、難病で苦しんでいた老人が病の苦しさから

いっそのこと死んでしまいたいと『雀地獄』の水を飲み、その中に浸りました。ところが、死ぬどころか気分がよくなり長年の病気が楽になり、一ヶ月もすると治ってしまいました。

この噂が広がり、近くの村々から湯治客がやってくるようになったため村の大庄屋が井戸を掘ることを決め、有馬藩の殿様に願い出て井戸を掘ったのが船小屋温泉の始まりとされています。

浴場が完成すると、鉱泉の評判が広まり、多くの人が集まるようになりました。明治19年の分析の結果、この泉は含有量日本一の含鉄炭酸泉で、飲用して胃腸病・貧血症・浴して婦人病・

神経痛などに効果があることが分かりました。その後、船小屋温泉は戦傷軍人の湯地場に指定され、そして多くの文化人にも愛されました。夏目漱石は結婚したばかりの妻・鏡子と共に

この地を訪れ、浴しました。鉱泉場の北側には漱石が読んだ句『ひやひやと雲が来るなり温泉の二階』の碑があります。また、昭和天皇や秩父宮殿下の訪問の際の宿泊もありました。

私も、手ですくって飲んでみました。何とも言えないような味です。お薬と思って飲んでみたら飲めます。

  

 

 

夏目漱石の歌碑「ひやひやと雲がくるなり温泉の二階

  

  

街道に戻ります。街道は、尾島の信号から斜め右です。水洗小学校を過ぎ、筑後広域公園の前を通ります。

 

歩いていると「秋津島浪右衛門の供養塔」があります。本名を村上浪右衛門といい、元禄10年(1697)当地で生まれました。幼少より身体が大きく、19歳で江戸に上がって力士となり

27年間も現役力士として相撲をとりました。最盛期には、6尺1寸8分(約187cm)38貫(約142,5kg)の巨体を誇り、二千数百番もの勝ちを重ねた彼は「天下第一」とうたわれました。

供養塔には、歴代力士の若乃花、柏戸、大鵬を始め多くの力士が地方巡業の際に立ち寄っています。

 

歩いていると民家の庭先に「歌碑」が建っています。俳句かなんかの先生の家でしょうか?

   

最初の休憩地は、九州新幹線筑後船小屋駅です。駅の向かい側には、九州芸文館がありますが、現在緊急事態宣言中の為休館していました。

  

筑後船小屋駅を出ると、福岡ソフトバンクホークスの2軍球場「タマホームスタジアム筑後」があります。

今日は13:00から阪神を迎えて2軍の公式戦が行われます。尚、タマホームの創業地は、筑後市です。

 

長文になりますのでこのあとは、(その2)につづきます。 

 

 


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1 コメント

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Unknown (ローリングウエスト)
2021-05-27 14:28:24
がんばって楽しく歩いておられますね!私も今年から平地ウォーキングに目覚めて今は最低でも1日15,000歩以上歩くようにしています。今月は社内のウォーキングレースがあって多分月間70~80万歩は達成できそうな勢いです。お互い健康保つためにも大いに歩きましょう!
(PS)屋久島の記事を公開していますのでぜひ覗いてみて下さい。
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