よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第36回瀬戸内倉敷ツーデーマーチ2日目「新熊野史跡コース20km」(岡山県倉敷市)

2023-03-20 15:33:53 | ウォーキング

3/12(日)瀬戸内倉敷ツーデーマーチ2日目「新熊野史跡コース20km」

8:30 倉敷市役所スタート。

 

 

新田中学校を通り吉岡川沿いに歩きます。

 

 

粒江小学校が給水所及びトイレ

 

先に進みます。途中、源平藤戸合戦沖激戦地跡の石碑があります。

平安時代末期、全国で起こった源平合戦。倉敷市藤戸は1184年に「藤戸合戦」があった地で、史跡が多く残っています。現在は干拓により陸地となっていますが、当時は海で島が点在して

いました。源氏の佐々木盛綱(ささきもりつな)が馬に乗って海を渡り、平家軍に勝利したことで知られています。

倉敷川はかつて海で、藤戸海峡があった場所。「藤戸合戦」までは海上合戦に慣れた平家軍が児島周辺を支配し、倉敷市粒江のあたりに城郭を構えていました。九州を目指し西へと

攻め進む源氏軍でしたが、舟を持っておらず、源氏と平家は藤戸海峡を挟んで対峙することに。どうしたら戦えるのか・・・頭を抱える源氏軍。
そんな時、源氏の佐々木盛綱は、地元の漁師に馬で対岸まで渡ることができる浅瀬の場所を教えてもらいます。なんと、盛綱は口封じのためにその漁師をその場で殺し、

海に沈めてしまいました。その情報のおかげで、盛綱を筆頭に源氏軍は藤戸海峡を馬で駆け渡り、平家軍の意表を突く形で勝利。
盛綱はその功績を称えられ、備前国の児島の領主となりました。(岡山観光WEBより)

 

  

藤戸寺が20kと10kの分岐点

 

20kコースは、山道を歩きます。

 

 

旧下津井電鉄線跡を通ります。先で県道21号線と合流。

 

第一農協前から歩道橋を渡り、熊野神社を目指します。

 

熊野神社では、郷内(ごうない)の少年野球チームのナインがお出迎えしてくれました。

 

熊野神社が最初のチェックポイント。ここで昨日のTV局のクルーと遭遇。またインタビューを受けました。(3/25に放送だそうです。岡山だけの放映)

西暦634年、役行者(役小角)は茅原(ちはら)の里、奈良県南葛城郡葛城村に生まれ、当時の仏教とは違い、直接、民衆を救い、自分も修行をしていくという宗教観を持っていました。
紀州、熊野大峯の山々で修行を重ね、修験道の開祖となりました。
ところが、役行者が民衆を惑わすという罪で伊豆大島に流され、高弟たちは紀州熊野の十二社権現の御神宝を奉じて瀬戸内海に逃れ、四国九州に浄域を求めた後、児島の柘榴浜に上陸し、
熊野道といわれている山道を通り、大宝元年(701)三月三日、福岡の里と呼ばれていたこの地に鎮座祭典をし、それが、現在の春のお祭り(五月十八・十九日)です。
天平12年(740)、聖武天皇は児島一円を本宮の御神領として寄進しました。現在地に社殿を建立したのが始まりです。
孝謙天皇紀(749-758)には、紀州熊野権現に対して日本第一の称が与えられ、当社もその号を称することになりました。
承久の乱(1221年)に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に配流され、その第四皇子で、鎌倉幕府第四将軍になる候補であった冷泉宮頼仁親王は、この地に配流されました。
また、弟の桜井宮覚仁親王は乱を恐れ、この地に赴任し尊瀧院の住職となりました。公卿山伏といわれる由縁です。
応仁の乱(1469)で開幕となった戦国時代の兵火のため、社殿をことごとく焼失してしまいました。
明応元年(1492年)、社殿は天誉長老により再建されました。国の重要文化財に指定されている第二殿が、その時建立されたものだといわれています。以後、復興を見ますが、次第に
社領は減少し、中国管領大内義興、毛利家父子の守護を受けましたが、児島一円の領地はわずか三ヵ村に減ってしまいます。
西暦1600年代半ば、池田光政公により、吉備津彦神社の大守家から神官が赴任され、祭祀を専らにさせるなど、あつい保護の下に明治に至りました。
慶応4年3月(1868)、神仏分離(神仏判然令)により、現在は、宗教法人熊野神社、宗教法人修験道五流尊瀧院と呼ばれています。
平成15年(2003)9月21日、所有の熊野神社長床拝殿を焼失しましたが、五流尊瀧院の寛大な配慮により、再度、氏子や近在の崇敬者により拝殿が再建されました。(倉敷熊野神社HPより)

 

 

 

熊野神社で休憩し再スタート。林の歩道橋を上ります。下りるとパン屋さんに行列ができています。(店名ラボ・コンパン)

 

 

 

 

2回目のチェックポイントは、天城小学校。

 

少し休憩の後、再スタート。倉敷川沿いに歩きます。ゴールまであと5,5km。

 

ゴールまで戻る所に何も見どころはないかな?と思っていましたら、倉敷川沿いの「いりふねの道」と呼ばれる場所に美しい桜道が見えてきます。
この道には、約1,000本の河津桜が植えられていて倉敷川千本桜と呼ばれています。

 

 

河津桜の下では、お花見をされている方がおられます。

こんなきれいな河津桜並木は初めて見ます。

 

私たちもここでお花見をすることにします。

 

 

 

ゴールまであと1,8km。

 

ゴールの倉敷市役所が見えてきました。

 

12:38 ゴールしました!参加者は、2日間で5167人、すべて事前登録者です。