よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

10月度例会「幻の糸島水道、汽水地帯を巡る」(福岡県糸島市)

2021-10-03 13:52:07 | ウォーキング

10月2日(土)ふくおかウォーキング協会10月度例会は、「幻の糸島水道、汽水地帯を巡る」でした。

8月からの緊急事態宣言が9/30で解除され、久しぶりの団体歩行です。参加者は、46名。

この日、福岡地方は、朝は少し寒かったけど、陽が上るにつれだんだん暑くなってきました。

集合場所は、JR波多江駅裏の「産宮(さんのみや)神社」。

産宮神社の由緒は、

御祭神奈留多姫命は御懐妊の際、胎児教育をとても大切にされ、祖神豊玉姫命・玉依姫命に産育の吉兆を祈られました。 そこで「わたくしのお腹にいる子が、月が満ちて生まれてきた時、健康であったならば、萬世産婦の守護神となりましょう」と誓いを立てられました。

そしてお産に臨まれ、心忘れたかのように皇子神渟名川耳命(第二代綏靖天皇)をお生みになられました。
産前の誓いを守られ「産婦の守護神」となり、安産育児の神さまとして多くの方々からの崇敬をあつめています。(産宮神社HPより)

 

9:30 ウォーキング開始。

池田川沿いを歩きます。ここは、桜の名所としても有名です。

 

まだ少ししか歩いていないのにもう汗が出てきています。板持の真行寺で最初の給水タイム。

 

志登神社に到着。志登神社は、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に十九式内社の一社として唯一記載された式内小社です。

 

志登神社は、古代糸島水道によって分離されており(下記の図参照)、島だった志登神社周囲はその糸島水道にあたり、海神である豊玉姫命、和多津見神を祀っています。

龍宮で身籠った豊玉姫命が彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)を慕って陸に上がったのが当地とされ、昔は浮島となっており、海上から参拝するようになっていました。

この糸島市には、彦火火出見命を主神とした「高祖(たかす)神社」があります。

 

太陽観測石は、伊都国時代の祈祷師が太陽を測るために用いたとされています。

福岡市西区今津には「登志神社」という神社があります。登志という言葉は、韓国語で日の出という意味だそうです。

では、「志登」という名は?と境内でグラウンドゴルフをされていた方に聞きましたが、不明とのこと。

やはり、太陽に関係しているのでしょうね。

 

  

次に向かったのが、「志登支石墓群」。コトバンクによると、福岡県糸原市志登にある墓群。福岡平野の西、玄界灘に突き出た糸島半島の付け根に広がる平野のほぼ中央部に所在する。周辺の水田面より約1m内外高い場所に、10基の支石墓が1~2mの間隔を置いて並んでいる。

1952年(昭和27)に発見され、1953年(昭和28)の発掘調査で、支石墓4基と甕棺(かめかん)8基が見つかり、支石墓は朝鮮半島南部に多い「基盤形支石墓」であることが判明した。1954年(昭和29)に、稲作農耕の伝播とともに伝わった外来墓制を示す好例であり、わが国の墓制史を知るうえでも貴重であることから国の史跡に指定された。支石墓は、1~3個の支石で、径1.5~2m、厚さ50cmほどの平らな石や亀甲状の大石を支える形式のもので、下部構造は塊石によって長方形の石囲いをしたものと、浅い土坑をもつものがあった。副葬品として、黒曜石製石鏃(せきぞく)6、朝鮮製と判断される柳葉形磨製石鏃4が出土。上石の大石は玄武岩と花崗岩が使用され、甕棺は単棺・合口甕棺で、弥生時代前期~中期のものと推定されている。

西洋では、支石墓のことを「ドルメン」と呼んでいます。

 

 

次の給水ポイントは、東風(はるかぜ)公民館。今日は30度を超えているのか、とにかく暑いです。しっかり給水します。

 

産直店の一番田舎(いちばんでんしゃ)で買い物休憩。

一番田舎の近くが可也山(かやさん 通称糸島富士)が最も綺麗に見えるスポットです。

 

11:58 JR筑前前原駅にゴール! 久しぶりのウォーキングで疲れました。

今日のGPSです。距離は約9kmでした。