よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「太閤水と遠賀川のコスモス」ウォーク(福岡県遠賀郡水巻町他)

2021-10-28 18:01:51 | ウォーキング

10/24(日)は、下関ウォーキング協会主催の「太閤水と遠賀川のコスモス」ウォークに参加しました。

集合場所は、JR折尾駅。参加者は約20名。今日はお昼持参ということで折尾駅にある三日月でクロワッサンを買いました。

 

10:20 折尾駅スタート

 

折尾駅前には、福原学園の高校、大学が立ち並びます。

 

30分ぐらい歩いたところのコンビニが最初の休憩。休憩後江川沿いに歩きます。ここから若松区です。

 

太閤水は、秀吉が文禄元年(1592)朝鮮出兵のため肥前名護屋城に出陣したとき、大阪から名古屋までの道々に太閤水や給水所を設けました。

  

太閤水から芦屋町に向かいます。ここは、唐津街道かな?

林の左側に「安徳天皇行在所址」の石碑が立っています。「「寿永2年(1183)7月、平家一門は、安徳天皇を擁して九州太宰府へ都落ちしたが、豊後の緒方三郎唯義の軍に追われ、

悲惨な逃避行を続け、香椎、宗像を過ぎ、山鹿兵藤次秀遠のお迎えを受け、山鹿で過ごされた。
のち、秀遠は、この地、大君の茶臼山に幼帝のために行在所を造営した。」安徳天皇は、当時数えで6歳。このあと四国の屋島に行き、最後は下関の壇ノ浦で命を絶たれた。

行在所址は、現在「大君神社」となっています。

大君神社:寿永二年(一一八三)山鹿城主山鹿兵藤次秀遠茶臼山に行在所を設け、安徳天皇を迎え奉った駐輦の跡にして、何時の世からか此の地を社地として安徳天皇・大山祇大神を奉祀す。

後大君炭坑が開坑されるや明治三十九年(一九〇六)現在の此の地に社殿を移し、炭坑の主護神として祭祀を厚くす。此の里を大君と呼ぶは他所にかゝる地名なく、安徳天皇の在わせられた

聖地による地名にして、此の里に限り水田に蛭を生せず毒蛇文人に毒せずとか、或は社地の下の谷を「稚子が谷」と呼びて幼帝の駐彗し給える故に呼ぶとの伝説あり。

  

小高い山の所に山鹿兵藤次秀遠の城があった「山鹿城址」です。

 

  

河川敷には、傘を逆さまに置いたのがあります。これは、バードゴルフといい、ゴルフボールにバドミントンの羽をつけたボールをゴルフクラブで打ち、打数の少なさを競うスポーツである。

ホールには上部がかさを逆さにした形の直径110cmの「アドバンテージホール」と、地面に約86cmの輪を置いた「セカンドホール」があり、セカンドホールにホールインした場合には

スコアはそれまでの打数に1加えた打数になる。1969年、埼玉県の野嶋孝重が考案。1988年には日本ターゲットバードゴルフ協会が設立された。主に老人のスポーツである。

 

遠賀川河川敷のコスモス街道にやってきました。この河川敷には、約6kmの間に約500万本のコスモスが植えられています。

例年ですと、この時期「コスモス祭り」が行われるのですが、今年はコロナで中止になっています。

 

コスモスの花壇には、「MIZUMAKI」と書かれています。

コスモス鑑賞後帰途につきます。途中、伊豆神社に立ち寄ります。伊豆神社の鳥居の前は、昔の国道3号線でした。

 

伊豆神社由緒によると、ご祭神は彦火々出見命、玉依姫尊、塩土老翁、でした。元亀二年(1571)頃、古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立。

よって、この山を明神ヶ岳という。大正三年(1914)にこの地に遷座、現在に至っている。

本殿中央には、「ヤタガラス」があります。

  

この神社の狛犬は、面白い形をしています。

   

14:10 ゴールの水巻駅に到着。

 

今日のGPSです。12kmでした。