よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

山陽道(西国街道)を歩く「吉田~厚狭」3日目

2013-01-07 19:55:23 | 山陽道(西国街道)を歩く
1月3日、青春18きっぷを利用し、旧山陽道「吉田宿~厚狭(あさ)」まで歩きました。
今回はこの街道最初の難所「蓮台寺峠」を歩きます。

博多発7時10分の快速に乗り小倉、下関で乗り換え9時03分に小月駅到着。
小月駅前からは、サンデン交通バスで東行庵入口前で降り前回ゴール地点の吉田宿「道標」まで歩きそこからスタートです。
今回から地図を見るために新兵器「タブレット」を持ってきました。

9時40分スタートです。
吉田の町には旧家が立ち並んでいます。
  
町のはずれには、庚申様が立っています。

この旧山陽道を歩くとよくこの庚申様を見かけますが、道祖神としての役割もしているんですね。
  
しばらく歩くと蓮台寺、常関寺の分かれ道に来ます。ここは蓮台寺の方へ。

その道を歩いていくと「蓮台寺」の看板があります。
せっかくですので蓮台寺に立ち寄ってみます。
  
哲学の道を歩きやっと着きました。
    
  
この寺あたりが蓮台寺峠の頂上でしょうか、小雪が舞っており、かなり寒いです。
寺の横に置いてある流し台には氷が張っています。ここには下関指定文化財の「木造十一面観音坐像」があります。

蓮台寺で少し休憩しまた街道に戻ります。
この峠を下りると「山陽小野田市」になります。
峠の降り口にも庚申様が・・・・・隣にはよく解らないのですが、伊藤初五郎氏の顕彰碑でしょうか、大正5年と
書いてます。

峠道を下りてくると泥濘の所に出てきました。
NHK街道てくてく旅では原田早穂さんもこの泥濘を見てびっくりされていましたが、
ここは山の水の通り口になっています。それも何か所も。
ここだけのために長靴を持っていくわけもできませんし、考えた挙句このようにしました。
   

   
  

何とか滑らずに渡ったかと思ったら前方には道が崩れています。
深さは50~70cmでしょうか、他に行く手段はないかあたりを見回しますが何もありません。
仕方なく下りてまた上りました。手袋を持って行って正解でした。


この難所?を越えると右の方に民家が見えてきます。
ここが福田という所でしょうか?
   
峠を下りた所に庚申様が建っています。ここを左に歩くと道標が建っています。右吉田、左埴生。
   
福田八幡宮の先の踏切を渡り線路沿いに歩きます。
  
この街道を歩かれた方の記録を見ていますと山の方に入ると書いてありますがその入り口がわかりません。
もっとも歩かれた先輩たちは、西宮からの下りの旅、一方の私は西宮に向かっての上りです。
また街道の標識がなく、あるのは先輩たちの地図のみです。
その地図を見るとまた合流となっていますのでここはこのまままっすぐに歩くことにしました。
永福寺の前を通り山野井に出てきました。山野井神社の手前には「庚申」ではなく「幸神」が建っています。
  

しばらく歩くと左側に道標が見えてきました。左吉田道、右はぶ?この道標の裏側を見てみますと明治10年と
なっています。

大正川を渡り田園地帯に入ります。遠くには新幹線の高架橋が見えてきます。
今日の目的地厚狭まではあと少しです。
  
  
1時過ぎましたので何か食べようと新幹線厚狭駅に入りましたが食堂らしいもの(売店含む)が一切ありません。
正月休みだから新幹線側だったらどこか開いているだろうと思ったのですが見当違いでした。
厚狭駅の新幹線は平成11年に開通しましたが、止まるのは「こだま」のみ。
ここから電車で30分も行けば「のぞみ」も止まる「新山口駅」です。
個人的な意見ですが厚狭駅の新幹線はあまり意味がないと思います。

また街道に戻ります。
新幹線のガードをくぐりまっすぐ歩くと厚狭天満宮があります。
菅原道真を祀っています。
   
  
吉武医院の所には道標が。
※あつというと美祢の厚保でしょう。
ここから駅に向かって歩くと古い建物が残っています。

ここなんか看板は右から読むのでしょうね。
駅前には「寝太郎之像」が建っています。

WIKIPEDIAによると
 庄屋の息子である太郎は、ろくに仕事もせず寝続けていたため、周囲からは「寝太郎」と揶揄されていた。
 三年三月の間寝続けた太郎がある日突然起きだし、父親に千石船と船一杯の草履を造ってくれるよう頼む。
 父親は他ならぬ息子の願いでもあり千石船と草履を作って与えると、太郎は船をこぎ出していってしまった。
 数十日して太郎が戻ってくると、船の中の草履はぼろぼろのものになっていた。すると太郎は父親に
 大きな桶を用意してほしいと頼む。太郎は父親の用意した桶でぼろぼろの草履を洗い始めると、
 汚れた土の中から砂金が見つかる。実は太郎は佐渡島へ船をこぎ出し、佐渡金山で働いている者の草履を無料で交換していたのだった。
 太郎は集めた砂金を原資に堰を作り、灌漑水路を整備して田を開墾し、村の百姓に分け与えた

この寝太郎は大内氏家臣平賀清恒がモデルと言われています。厚狭ではお酒とかお菓子に寝太郎の名がついています。

再び街道を歩きだします。
鴨橋を渡るとお酒屋さん、お味噌屋さんがあります。
建物を見ていると中に入りたいと思うのですが今日はお正月の3日まだお店はお休みですね。
  
祐念寺に着きました。時間も2時過ぎです。今日はここまでにします。


今日のGPSです。