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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ビワイチ徒歩の旅(その2)「イオン草津~琵琶湖大橋~堅田駅」(草津市~守山市~大津市)

2023-01-24 12:26:22 | 琵琶湖一周徒歩の旅

1/17(火)京都駅から電車で瀬田駅へ。瀬田駅からバスで昨日ゴールのイオン草津へ。

バスを待っていると、龍谷大学、滋賀医科大学行のバスが分単位で発車しています。ここ瀬田駅は、学生の町です。

9:00 イオン草津スタート。すぐ帰帆(きはん)南橋を渡ります。

 

帰帆南橋からは、矢橋帰帆島です。矢橋帰帆島は、人工島で1978年(昭和53年)着工、1982年(昭和57年)下水道浄化センターとして運用開始しました。

島内には、公園施設があります。比良山系は、昨晩雪が降ったのでしょうか、雪を被っています。

 

琵琶湖湖畔を走る湖周道路は、大津市から長浜市まで「なぎさ街道」と呼ばれています。

 

島内には、芭蕉の句碑が立っています。「かくれけり 師走の湖の かいつぶり

意味は、世間の人々が慌ただしく働いている師走に、世間を離れた自分は、師走の湖に浮かんでいるかいつぶりを眺めている。そのかいつぶりは、急に水の中に潜って隠れてしまった。

かいつぶりも師走のことで何かといそがしいのかな。

 

伊吹山は(1377m)は、滋賀県最高峰。岐阜県との県境をなしています。

 

平湖では、淡水真珠の養殖がおこなわれています。ここで休憩します。

 

三上山(432m)は、別名「近江富士」と呼ばれています。藤原秀郷による大ムカデ退治伝説があります。

 

平湖の休憩所からの眺めも素晴らしいです。

 

 

烏丸半島にある「琵琶湖博物館」へ。

 

入園料800円を払い、「樹冠トレイル」という琵琶湖が一望できる所へ。

烏丸半島を一周します。

 

湖面では、淡水真珠の養殖かな?

 

先へ進みます。

 

 

佐川美術館を過ぎると「琵琶湖大橋」が見えてきます。

 

琵琶湖大橋入口を通り過ぎ、寄り道します。歩友大津市のO様紹介の第一なぎさ公園の「菜の花畑」へ向かいます。

第一なぎさ公園は、カンザキハナナ(寒咲花菜)という名前の早咲きの菜の花が、面積約4,000㎡に約12,000本咲き、わずかですが、雪の残る比良山系とのコントラストが素晴らしいです。

比良山も草津をスタートする頃は、一面雪でしたが、気温が上がり解けてしまったのかな???

夏には、キッズスマイルという小さめのひまわりが植えられるそうです。

 

第一なぎさ公園から琵琶湖大橋に戻ります。

琵琶湖大橋は、琵琶湖を初めて横断し、湖の東と西を直結させた有料橋です。昭和39年(1964)9月に開通しました。 琵琶湖でもっとも狭い部分である大津市の堅田(かたた)と

守山市の今浜を結び、この橋を境に琵琶湖は北湖と南湖に分かれます。長さ1350m・最大の高さ26.3mの鋼鉄製です。湖東や湖南を走る国道1号・8号・名神高速道路と、湖西の国道161号・

湖西道路を最短距離で結びます。また、橋の両側には自転車・歩行者専用道路が設けられています。 橋は、下を行きかう大型観光船のために大津寄りが少し高く、緩やかなアーチ型に

なっています。そのために、琵琶湖大橋はなだらかな曲線を描き、比良山を背景に湖面に美しく映えます。(琵琶湖観光情報より)

車両は、有料ですが、自転車、歩行者は無料です。

東行きの追い越し車線の一部に約60k/hで走行するとタイヤの振動音で「琵琶湖周航の歌」が流れる仕組みのメロディロードが約600mにわたり設置されています。

 

自歩道が設けられていますが、この歩道狭く、大型車が来ると飛ばされそうになります。また、自転車が来ると狭いので立ち止まって自転車が通り過ぎるのを待たなければなりません。

橋の一番高い所から湖面迄の高さが約26m、風が強い日なんかこわいでしょうね。

※後日、歩友から、反対側の車線の歩道は、広いですよと教えていただきました。また、通る機会がありますのでその時は、反対側の歩道を通ります。

 

橋の中央部が守山市・大津市の市境です。

15:52 JR堅田駅にゴールしました。約27km歩きました。

 

 

 

 


「ビワイチ徒歩の旅」その1(大津駅~イオン草津)

2023-01-20 06:55:30 | 琵琶湖一周徒歩の旅

1/16(月)大津駅に車を返却後、「ビワイチ徒歩の旅」スタート。

このビワイチ徒歩の旅に際して、大津市のO様、敦賀市のF様から資料を頂きました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

大津駅前には、「山吹地蔵」があります。

 

 

大津駅から商店街を進みます。朝日生命保険の所に「大津城石垣」があります。この一帯が大津城だったそうです。

  

大津城は、安土・桃山時代に、豊臣秀吉が、坂本城にかわり、新たに大津城を築城しました。
 現在、城跡碑が立っているあたりが本丸の跡で、広大な面積を持っていたと考えられています。城跡碑のほかには、ほとんど痕跡が残っていませんが、昭和55年(1980)に城郭の石垣と

思われる遺構が発掘されました。現在、大津祭曳山展示館横の駐車場に外堀の石垣と思われる遺構もあります。
関ケ原の戦で、東軍(徳川家康側)に味方した城主の京極高次(きょうごくたかつぐ)(1563-1609)が、関ヶ原に向かう毛利元康(もうりもとやす)の大軍を食い止めて時間稼ぎをしたと

いう「大津籠城(おおつろうじょう)」は、勝敗を決める大きな要素となったことで有名です。また、徳川家康(1541-1616)が大津城で戦後処理を行ったこともよく知られています。

この後廃城となり城は解体されましたが、天守閣の資材の一部は、彦根城に移されたといわれています。(びわ湖観光ナビより)

 

浜大津に来ました。ここから琵琶湖一周します。琵琶湖は、日本一の湖です。琵琶湖の面積は約670km2。琵琶湖岸の延長は約235km。ただし、道路沿いに進めば約200kmで、

自転車ではおおよそ1泊2日で一周できます。琵琶湖で一番深いところの深さは約104m。南北の長さは約60km、東西の最大幅は約20kmです。

水の量はおよそ275億トン。これは琵琶湖の水を利用する淀川流域の1450万人が1日に使う水の量の約11年分に相当します。

琵琶湖は世界でも有数の古い歴史をもつ湖です。約400万年前に現在の三重県伊賀市付近に浅くて狭い湖ができ(大山田湖)、その後、断層運動によって地盤が陥没する影響と土砂が窪地を

埋める影響を受けながら、形状を変えて移動し現在に至っています。現在の琵琶湖は、少なくとも約40万年間この場所に定まっています。

一般的な湖は土砂の堆積の影響を受けて1万年程度で消失してしまいますが、琵琶湖のように10万年以上の歴史をもつ湖はまれです。世界でも10万年以上の歴史をもち、

固有種がいる湖(古代湖)は、約20しかなく、日本では琵琶湖だけです。(滋賀県HPより)

 

歌手丘みどりさんが「鳰(にお)の湖(うみ)」という歌を歌っていますが、琵琶湖のことを「鳰(にお)の湖」とも呼びます。

この鳰が、カンムリカイツブリです。

 

対岸には、比叡山です。少し雪を被っています。

天気も景色も良く実に気持ちのいいウォーキングです。

 

「明智左馬之助湖上渡りのところ」という石碑があります。明智光秀の弟、明智左馬之助が湖上を馬で越えたという伝説にちなんだ石碑です。

 

  

プリンスホテルから近江大橋の方に向かいます。 

 

 

膳所城址・・・・膳所(ぜぜ)城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な

水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)

唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
戸田(とだ)・本多(ほんだ)・菅沼(すがぬま)・石川と城主が変わった後、本多6万石代々の居城として長く偉容を誇りましたが、明治維新で廃城になり楼閣(ろうかく)は

取り壊されました。城門は重要文化財で、膳所神社や篠津(しのづ)神社に移築されて残っています。
現在、本丸跡は、膳所城跡公園として整備され、春には桜の名所として花見客を多く集めています。(滋賀県観光ナビ)

昨年のプロ野球ドラフトで我がソフトバンクホークスに京都大学から育成で入団した水口投手の出身高校は、膳所高校です。京阪膳所駅近くにあるそうです。

 

 

近江八景「粟津の晴嵐」・・・東海道の膳所から瀬田までの松並木を描いた「粟津の晴嵐」は強風に枝葉がざわめく様子から晴嵐と言われたとか。「粟津の晴嵐」の風景を復元した、

松の並木が連なる静かな遊歩道を歩き、湖岸沿いに広がるなぎさ公園でひとときを楽しめます。(滋賀県びわ湖ナビより)

晴嵐とは、晴れた日に立ち上る霞のことです。

  

近江八景「瀬田の唐橋」・・・日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれ、日本書紀にも登場する。現在の状態は、織田信長により

現在の状況(大橋・小橋)に整備された。「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった。

現在の橋は昭和54年に架け替えられたが、緩やかな反りや旧橋の擬宝珠など往時の姿をとどめている。
「いそがばまわれ」の語源となったエピソードでも有名。(滋賀びわ湖ナビより)

いそがばまわれ・・・急がば回れの語源は、宗長(室町時代の連歌師)の歌「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」である。「もののふ」とは武士、

「矢橋の船」とは矢橋の渡し船を意味する。「矢橋の渡し」とは、東海道五十三次草津宿(滋賀県草津市矢橋港)~大津宿(大津市石場港)を結んだ湖上水運で、「瀬田の長橋」とは、

日本三大名橋のひとつ「瀬田の唐橋」である。当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が、瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、比叡山から吹き下ろされる

突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。

瀬田の唐橋と三上山の伝説 俵藤太のムカデ退治 (jisyameguri.com)

 

 

瀬田の唐橋を渡ってすぐ左折します。この道は「夕照(せきしょう)の道」と呼ばれています。瀬田の夕照は名前の通り夕日の美しいところです。

この風景はこの土地に住んでいる人々の誇りです。夕照の道は瀬田の唐橋を中心に北(萱野浦~瀬田1丁目)と南(瀬田2丁目~瀬田6丁目)に分かれます。

 

 

 

草津市に入りました。今日のゴールは、イオン草津迄です。16:47イオン草津にゴール!距離は11,3kmでした。

イオン草津からバスで大津駅に戻りました。

 

 

 

 


母方のルーツを訪ねて「ビワイチ徒歩の旅」プロローグ

2023-01-19 11:33:23 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5~6年前、母の50回忌の法要を前に母の遺品を調べていましたら、50数年前に取り寄せたの母方の戸籍謄本が出てきました。

それによると、母の母(わたしの祖母)は、滋賀県愛知郡東押立村(現在の東近江市小八木町)で生まれ、結婚して滋賀県高島郡大溝村勝野(現在の高島市勝野)に移り住みました。

その後、京都市内に住居を構えていましたが、母の弟が亡くなり、その京都の家も売却したようです。

若いころは、自分のルーツなんか全然興味がなかったのですが、NHKの「ファミリーヒストリー」ではありませんが、歩いて琵琶湖一周しながら母方のルーツを訪ねてみたいと企画しました。

尚、父方のルーツは、父の実家も近いし、親戚もほとんど近くにいますのでだいたい把握しています。

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1/16(月)博多発始発の新幹線で京都で乗り換え大津駅へ。大津駅でレンタカーを借り、ナビを頼りに東近江市小八木へ。

私の祖母は、明治31年(1898)この正連寺で生まれました。

挨拶に行こうとしましたが、呼鈴を押しても応答なし。近くの人に聞くともう何年も誰もいないそうです。(廃寺かな?)

 

  

この東近江市には、父方の従兄(父の兄の子供)が住んでいました。福岡にいましたが、結婚して東近江市に移りました。

福岡にいたときは、同い年の従兄でしたのでよく映画など見に行っていました。(まだ未成年でしたので一緒にお酒を飲んだことはありません)

ところが、約10年前、この従兄が亡くなったという知らせがあり、お葬式に参列しました。

場所は、近江鉄道八日市線市辺(いちのべ)駅前。ナビをそちらに合わせ小八木町から市辺町に移動。

家は、すぐわかりましたが、10年前に比べて新しくなっています。

奥様と娘さんとお会いし、従兄がしていた事業を娘さんが引き継いでいるそうです。

 

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今回の旅のホテルは、京都駅八条口の所。

叔父(母の弟)は、京都市南区東九条・・・・・・に住んでいました。ちょうど八条口に近い所です。

夜、東九条・・・・・あたりを探しましたが、50年前とはすっかり変わっています。新幹線側の角地にはパチンコ屋があり、烏丸には、スーパージャスコがありました。

いまは、新しいホテルが立ち並んでいます。叔父が亡くなり売ったのでしょうね。・・・・