近所のフェンスに絡まっていたナスカのつる植物です。図鑑で調べると、自信はないのですが、ヤマホロシではないかと思います。とても丈夫な植物らしく、フェンスが倒れはしないかと心配になるほど鬱蒼と茂っています。秋には真っ赤な実を付けるそうです。
ヤマホロシの花言葉は「同情」です。「同情」について、相手を蔑むことにならないかと心配する向きがあります。「貧乏で気の毒だから金品を恵んでやる」といった類です。幸せな人が哀れな人を見下すのが「同情」だと言うのです。「金品を恵む」のは「同情」に付随する行為である、「同情」そのものでは無いと思うのです。
「同情」とは、心を同じくして相手の立場を理解することだと思うのです。いわゆるカウンセリングが「同情」そのものなのではないでしょうか。苦しんでいる人がいたら、何を苦しんでいるのか語り合い理解してあげることが「同情」であり、精神的・経済的・物質的支援と言う行動につながるのです。東日本大震災で多くの被災者が生じました。皆「同情」してこぞって募金に応じました。「同情」して原発事故の放射線汚染で逃げ出した避難民を受け入れました。多くの「同情」は一過性に過ぎず、3年も経つと一部心無い住民は避難民を「無情」にも厄介者扱いするようになりました。
本当の「同情」とは、苦しんでいる人には手を差し伸べ、楽しいときには共に楽しむことなのです。それはやがて家族愛・友情・絆へとつながってゆきます。私は高齢者クラブに関係しています。付き合い難そうな老人が時々入会してきます。月末には夏祭りが始まります。新人にはクラブが担当する役をできるだけ担なってもらい、旧会員となじませるのです。そして祭りが終わると新旧会員がすっかり打ち解けるのです。私はそんな時に「同情した」という使い方をしたいのです。なぜなら一般会員と新入会員が苦楽を共にできる友情の下地が出来上がったからです。
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