アイ・ラブ みどり

逆境にもめげず、けなげに生きるみどり達がいとおしくてなりません。

2011年11月06日 | うちの庭では
 知人が先日笠間の菊まつりを訪ねたところ、まだ本格的な開花には至っていなかったとのことでしたが、庭で菊が開花し、菊の季節が到来です。近所でも見事に開花した自慢の菊鉢を人目につくところに陳列しています。菊作りには一年間の苦労が報われる嬉しい季節です。
 菊の花言葉は「高貴」です。貴族の制度がなくなり、「高貴」という言葉に遭遇する機会は減りました。考えてみれば貴族も一般庶民も同じ人間ですから、その違いは言葉使い、動作、服装、アクセサリーなどれ程お金をかけるかという後天的なものです。私が「高貴」を感じた人物は、映画「ローマの休日」に主演したオードリー・ヘップバーンでした。端正で華やかな容貌、相手の心を見透かすような澄んだ瞳、静かな声と言葉使い、美しいスタイル、整った立ち居振る舞い、に若かった私は陶酔させられました。自然界での「高貴」にも、彼女の要素がダブります。野鳥では丹頂鶴、動物では虎、花では芍薬、山では富士山、木では杉などに「高貴」を感じます。
 「高貴」の反意語は「庶民」です。人は自由にさせておけば、「男はつらいよ」の「寅さん」のような粗野な大人になってしまいます。子供は親兄弟、先生、友達など周囲の人たちに感化されて人格を形成してゆきます。子供時代の周囲の環境で「育ちの良い子」にも「悪たれ小僧」にもなるのです。それでも「寅さん」は人情味あふれる家族に感化され、単なる「粗野」を免れたと言えましょう。
 高貴な人も人である以上、子供時代に「高貴教育」を厳しく受けなければ「粗野」な大人になるはずです。「高貴教育」とは人の本性を隠す強い意思を育てることといえます。本性を隠すことから「神秘性」が生まれ、さらに行いが正しく庶民の支持を得れば「カリスマ性」が増し、「高貴」がツヤを帯びてくるのです。
 秘め事を 内にひそめて 菊は咲く
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