19歳・内田は厳しい自己採点「ふがいなかった」
右サイドバックとして代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。
内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。
代表デビューの内田は厳しい自己採点
右サイドバックとしてチリ戦で代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。
内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。
[ 2008年01月26日 22:16 速報記事 ]
内田“釜本超え”10代デビュー
<日本・チリ>前半、体を張った守備で奮闘する内田
【日本0―0チリ】19歳305日の“未成年DF”内田が、不動の代表右サイドバックの加地を抑え、堂々の先発でA代表デビューを飾った。前半17分に体を張った守備でシュートを阻止すると、右ひざを負傷して交代を告げられた後半26分まで、積極的にプレーした。相手の左ウイングのマークに追われる時間が長く、持ち味の攻撃参加ができなかったため「ふがいない」と自己評価は厳しかったが「次、チャンスをもらえればできる気がする」と手応えも口にした。
10代での代表デビューは、Jリーグ発足後では岡田政権下の98年のMF小野(浦和)、DF市川(清水)、オシム政権下の06年MF梅崎(当時大分)に続いて4人目。歴代でも戦後では釜本邦茂氏を抜いて14位の記録。先発を言い渡されたのは、試合当日の朝のミーティングだったが、鹿島では06年に高卒ルーキーで開幕先発出場をしている。「鹿島でのデビュー戦ほど緊張はしなかった。出るために来ているので、準備はしていた。それほど慌てないで試合に入れた」と振り返った。
フィジカルの強化が実った。昨年2月にU―22代表に招集された際にフィジカルの弱さを実感し、トレーニングに励んできた。最近は食べる量も3~4倍に増え、代表候補合宿に初めて呼ばれた昨年4月から9カ月間で体重が4キロ増えた。試合で当たり負けすることはほとんどなくなった。
右ひざに相手スパイクのポイントが入って途中交代した。だが、岡田ジャパン初陣での先発抜てきはジーコ、オシム政権下で不動の右サイドバックに君臨してきた加地への挑戦権を手にしたことを意味する。岡田監督は「どこまでもつかと思ったけど、結構もったなあ」とはぐらかしたが、期待していることに間違いはない。「まだ周りは年齢で見てくれている。でも、年齢に関係なく良くなったと言われるようになりたい」と内田。内容が乏しかった試合だったが、右サイドには新たな可能性が見えた。
[ 2008年01月27日付 紙面記事 ]
19歳内田 南アW杯の切り札…親善試合チリ戦
前半35分、センタリングを上げる内田(左)(右はルビオ)
◆国際親善試合 キリン・チャレンジカップ 日本0―0チリ(26日、東京・国立競技場) DF内田篤人(19)は先発に大抜てきされ、メキシコ五輪の英雄・釜本邦茂を抜き、歴代15位の年少記録となる19歳305日で代表デビューを果たした。
新しい星が生まれた。岡田監督は、南アW杯への切り札に、19歳のサイドアタッカーを指名した。内田が、ジーコ、オシム監督時代は不動だった加地に代わり、右サイドバックでいきなり代表デビュー。19歳305日での出場は、メキシコ五輪得点王のFW釜本を超える歴代15位の年少記録だ。
厳しい洗礼を浴びた。「ふがいない。何もできなかった」チリFWボセジュールへの対応を強いられ、持ち前の攻撃力は発揮できなかった。前半17分、滑り込んで決定的なシュートを阻止したが、その2分後には、右サイドのスペースに飛び出さず、岡田監督から身ぶりも交えて徹底指導された。「相手が強いから持ち味を出せないようでは、これから通用しない」試合後は、反省の言葉ばかりが口からこぼれた。
先発はホテルでのミーティングで告げられた。「俺かなぁと思っていたけど、大丈夫かなとも思った」鹿児島合宿での練習試合では主力組で出場するなど、指揮官の期待は感じていた。サプライズは、しかし岡田監督にとって当然だった。第1次政権のときも国際Aマッチ17歳322日の史上最年少デビュー記録を持つDF市川とMF小野を発掘した。指揮官は「ボールの持ち方、パスの出し方に非凡なものがある」と、鹿島のニューフェースを評した。
内田は後半26分、加地と交代し、ベンチに下がった。その直前、相手のスパイクがひざに入ったためだ。本人は「無理してもしょうがないと思ってくれたのかな」と話した。期待するからこそ、大事に育てたい。「自分のところから起点になれればいい。次、チャンスがあればできそうな気がする」手探りの初体験を経て、岡田ジャパンの新星は輝きを放つ準備を整えた。
◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南町生まれ。19歳。函南SS少年団でサッカーを始め、清水東高を経て2006年に鹿島入団。同年、クラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕先発出場を果たした。右サイドバックの定位置を確保し、U―20W杯(カナダ)でも主力として活躍。昨季はリーグ戦31試合出場し0得点もリーグ、天皇杯制覇に貢献。176センチ、62キロ。
◆U―23反町監督は合格 U―23(23歳以下)日本代表の反町康治監督が、内田のA代表デビューを歓迎した。「敵対する選手がいい選手だったので勉強になったはず」と話した。来月は五輪代表が米国遠征、A代表が東アジア選手権と日程が重なるが、優先問題について、「岡田さんと話をしたい」と、話すにとどまった。
(2008年1月27日06時01分 スポーツ報知)
【日本代表 vs チリ代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
1月26日(土)
日本代表 0 - 0 チリ代表 (19:10/国立/37,261人)
----------
●内田篤人選手(鹿島):
「今日は何となく出そうかなというのがあった。練習をやりながら何となくそう思っていた。とりあえず終われてよかった。先発を言われたのはここに来る前のミーティング。指示は特になかったけど、ただ、練習でやったことを試合でで居るようにみんな一生懸命やろう、ということは言っていました。終わった後は意外と持ったなと監督に言われた。体力面のことを言っているんじゃないか。今日は何もしていない。対面にいた相手の13番はテクニック系かと思っていたけど、意外と速かったから警戒するので必死だった。守備の意識が高い分、そこでボールはとれるが、取った後の攻めが良くないという感じはありました。向こうがヨコの間隔がひろく使ってボールを動かしていたので、取ったあとの攻撃がバラバラになった感じです。」
以上
名実共に日本を代表する右サイドバックとなった内田篤人である。
しかし日本代表よりも鹿島での輝きが最も似合う。
今季も右サイドを切り裂くのだ。
我等はそれを望んでおるのである。
ぜひ、このまま加地を押しのけて、代表スタメン定着を図ってほしいと思います。
次戦もがんばれ、篤人!
頑張れ!