伊野波雅彦選手が完全移籍で加入
標記の通り、伊野波雅彦選手が、FC東京からの完全移籍で加入することが決定しましたのでお知らせ致します。
■伊野波雅彦(いのは・まさひこ)
<生まれ>
1985年8月28日、宮崎県出身
<経歴>
宮崎東サッカースポーツ少年団―宮崎市立生目台中学校―鹿児島実業高校(2001)―阪南大(2004)―FC東京(2006)
<主な実績>
年度 クラブ リーグ カップ 天皇杯
出場 得点 出場 得点 出場 得点
2006年 FC東京 28 1 5 0 2 0
2007年 FC東京 20 0 4 0 0 0
通算 48 1 9 0 2 0
2006アジアカップ予選日本代表 本大会出場権獲得
2007北京五輪アジア最終予選(U-22)日本代表 北京五輪出場権獲得
2005ワールドユース(現U20ワールドカップ)日本代表 ベスト16
2005ユニバーシアード日本代表 金メダル
<ポジション>
ディフェンダー
<サイズ>
179センチ、73キロ
<伊野波選手コメント>
小さい頃からの憧れだったアントラーズに、移籍という形ですが、入ることができてうれしく思っています。FC東京で2年間やってきた経験をアントラーズで生かしたいと思います。結果を出さなければならない立場だと思っているので、チームに貢献できるように頑張ります。地域の方やサポーターの皆さんと、さらに歴史や伝統を作っていければと思います。
鹿島がU23代表DF伊野波獲得を発表
鹿島は15日、北京五輪に出場するU-23(23歳以下)日本代表の主力DF伊野波雅彦(22)を東京から完全移籍で獲得したと発表した。
宮崎県出身の伊野波は鹿児島・鹿児島実高から04年、阪南大へ進学。06年に東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア杯などで日本代表にも招集された。
伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
[2008年1月15日19時7分]
鹿島 伊野波を完全移籍で獲得
J1の鹿島は15日、北京五輪に出場するU―23(23歳以下)日本代表の主力DF伊野波雅彦(22)をJ1のFC東京から完全移籍で獲得したと発表した。
宮崎県出身の伊野波は鹿児島・鹿児島実高から2004年、阪南大へ進学。06年にFC東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア・カップなどで日本代表にも招集された。
伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
[ 2008年01月15日 18:39 速報記事 ]
伊野波「あこがれ」鹿島に完全移籍
鹿島はFC東京のU―23日本代表DF伊野波雅彦(22)を完全移籍で獲得したと発表した。今季はリーグ連覇はもちろん、アジア制覇も目標に掲げており、過密日程をにらんでボランチ、ストッパーなど、守備的位置ならどこでもこなせる伊野波に白羽の矢を立てた。伊野波は千葉など、複数のクラブからオファーを受けた中で鹿島入りを決断。「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしく思っています」とコメントした。
[ 2008年01月16日付 紙面記事 ]
鹿島 U―23主力DF・伊野波を獲得
J1の鹿島は15日、北京五輪に出場するU―23日本代表のDF伊野波雅彦(22)をJ1のFC東京から完全移籍で獲得したと発表した。伊野波は広報を通じ、「小さいころからのあこがれだったアントラーズに入ることができてうれしい。FC東京での経験を生かしたい」とコメントした。
伊野波は鹿児島・鹿児島実高から2004年、阪南大へ進学。06年にFC東京へ入団し、日本の五輪出場にも貢献。アジア・カップなどで日本代表にも招集された。
(2008年1月15日18時48分 スポーツ報知)
1月11日に報じられた通り伊野波雅彦が”完全”にて移籍してくる運びとなった。
登録ポジションもFC西東京時代とのMFからDFとなりCBの定位置を大岩から奪おうとする立場となりそうである。
本人のコメントは昨季のマルキーニョスに通じるものがあり好感度アップである。
それに見合うだけの活躍を望む。
ここで昨季までの対戦を思い起こしてみたい。
初対戦は2006年7月22日Jリーグ第14節である。
このとき3連敗中であった我等であるが遠く松本の地で撃破した試合でボランチとして出場しておる。
反スポーツ的行為でイエローをもらっているので記憶している者も多いであろう。
二度目は2006年9月24日Jリーグ第24節。
フェルナンドが最後の出場となった試合でハットトリックを記録しておる。
このときは左サイドバックの出場であった。
そして三度目は2007年6月30日Jリーグ第18節となる。
篤人をU-20で欠いた我等は聖地で逆転負けを喫し口惜しい試合であった。
この試合ではボランチとして出場しておる。
いずれの試合でもフル出場を果たしており、FC西東京に於いては戦術的に重要な位置にあったことを示している。
その男が望んで我等の元へ奔った。
喜ばしき事実である。
島津斉彬の命で若手藩士は江戸へ行けるようになるも、西郷吉之助は祖父、両親の死で思うようにならぬ。
行動すべき時に思い通りにならぬのは歯痒いもの、しかし耐えれば日本の夜明けはやってくるのである。