鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

U-22報道

2007年02月10日 | Weblog

18歳DF内田、当然の初招集

U-22代表に選出された鹿島DF内田は入念にストレッチ(撮影・井上満夫)

 北京世代に、期待の新星が加わった。日本協会は9日、U-22(22歳以下)日本代表の北京五輪2次予選メンバーを発表し、鹿島DF内田篤人(18)が「飛び級」で初選出された。昨季は高卒新人ながらリーグ戦28試合2得点と活躍。U-19代表でもアジアユース準優勝の立役者となるなど、選ばれて「当然」の選出となった。五輪2次予選を目前に、人材不足といわれるサイドバックの目玉として満を持しての招集。鮮烈デビューで北京の星を目指す。

 「飛び級」選出の吉報を聞かされたのは、この日の練習後。鈴木強化部長から「(代表に)入ったから」と聞かされ「エッ」と目を丸くした。周囲からすれば「当然」でも内田にとってはサプライズ選出だった。

 内田 U-20W杯出場を目指していたんで。驚いています。五輪は別にって感じていましたけど、呼んでもらったんで自分ができることを精いっぱいやりたい。

 清水東卒業後の06年に鹿島入り。アウトゥオリ前監督から評価され、元日本代表DF名良橋から右サイドバックの定位置を奪った。開幕広島戦ではクラブ史上初の高卒新人開幕スタメン出場を果たし、3月21日の甲府戦でJ初得点。高卒ルーキー最年少得点記録を樹立した。鹿島では主力として定着。U-22日本代表の反町監督は「鹿島でサイドアタッカーとして非常に献身的なプレーをしている」と選考理由を明かした。

 俊足を生かした積極的な攻撃参加、正確な右からのクロスが売りだ。俊足は、陸上選手だった母との幼少時の「駆けっこ」で磨き、50メートルを6秒台前半で走る。鈴木強化部長は「体もひと回り大きくなった。攻撃のセンスも抜群。まだまだ伸びます」と期待する。身長も入団時より3センチ伸び、体重も59キロから3キロアップ。甘いマスクで女性ファンから「ウッチー」の愛称で呼ばれる人気者には、プレーヤーとしての伸びしろも十分、残されている。

 今回のメンバーには昨年のU-19アジアユースでともに戦ったDF福元ら3人も入った。ほかの3人は招集経験があり、内田だけが初選出。「みんな頼りにしています。足を引っ張らないようにしたい」と言葉こそ謙虚だが、内心は違うはず。手薄な右サイドのレギュラー争いに、俊足を武器に割って入る。【井上満夫】
[2007年2月10日8時38分 紙面から]

U-22反町ジャパン23人発表!飛び級4人のサプライズ

鹿島DF18歳 内田篤人

 日本サッカー協会は9日、28日の08年北京五輪アジア2次予選初戦(対香港かバングラデシュ、国立)と、その前哨戦となる21日のキリンチャレンジ杯・米国戦(熊本)のU-22日本代表メンバーを発表した。反町康治監督(42)はGK林彰洋(19)=流経大=、DF福元洋平(19)=大分=、内田篤人(18)=鹿島=、森島康人(19)=C大阪=の4人をU-20世代から“飛び級”選出。10代カルテットに、期待をかけた。

 長くて険しい北京への道。率いる反町監督が緒戦の兵に選んだ23人に、GK林、DF福元、内田、そしてFW森島と4人の10代が名を連ねた。
 「待ちに待った五輪予選。本番モードです」
 いよいよ「本番」。反町監督は力強く口にした。オシム監督率いるA代表でもDF水本(千葉)ら“飛び級”の選出が当たり前になってきたが、今回は23人中4人。将来を見据えて経験を積ませる時期ではなく、大切な五輪予選初戦に向かうメンバー。大事な戦力と期待されてのものだ。

 「U-20の吉田監督とも話して、フレキシブルに対応する。(下の世代でも)実力のある選手はチャンスがあるときにはぜひとも招集したい」と反町監督は話した。

 1メートル92の長身を誇る林は、大学生ながら昨秋のアジアユース(インド)で正GKを務め、準決勝・韓国戦のPK戦で6人中2人しかゴールを許さないなど大活躍。世界ユース出場権獲得に貢献した。反町ジャパンの正GK格だった西川(大分)は左ひざ後十字じん帯損傷から復帰途上のため、この世代初招集の林ではあって、一気に正守護神としての期待がかかる。

 同じく初招集の内田は、故障離脱中の右サイドバック、中村北斗(福岡)に代われる存在。福元と森島はすでに反町ジャパンの経験があり、出番が期待される。

 「米国戦後に人数を絞って予選に備えたい。人数は言及できないが、J開幕前なので」。反町監督は21日の米国戦後にメンバー絞り込みを行うことを明言。10代カルテットが20代の先輩を刺激…いや、そのまま反町ジャパンの中心になるかもしれない。
(須田雅弘)

★流経大・林「レギュラー狙う」
 大学での練習終了後に吉報を知らされたGK林は「選ばれるとは思いませんでしたが、選ばれた限りは強い気持ちでやろうと思うし、レギュラーを狙いたい」とキッパリ。昨年11月のアジアユース選手権(インド)ではスーパーセーブを連発し、一躍脚光を浴びた19歳。1メートル93の長身を武器に、J1の先輩GK2人に挑戦状をたたきつけた。
(龍ヶ崎)

★鹿島・内田はびっくり「考えていなかった」
 鹿島のDF内田は宮崎合宿での午後練習後、鈴木強化部長から「入ったからな」と声をかけられ「びっくりしました。今年はU-20W杯があって、そっちに集中していたから五輪のことは考えていなかった」と驚きを隠せなかった。チームでも今季から元日本代表DF名良橋の背番号2を継承するなど、期待を背負う右サイドバック。「自分だけじゃなくて周りも納得するプレーをしないといけない」と気を引き締めていた。
(宮崎市)

★C大阪・デカモリシ「全力を出す」
 J2のC大阪からはデカモリシこと森島康と苔口の2トップが招集。昨年8月以来、2回目の飛び級となったデカモリシは「とりあえず最終メンバーに残れるよう頑張ります。自分としてはこれが最後のチャンスという気持ちで全力を出し切りたい。応援よろしく」とコメント。1メートル86、82キロの巨体を武器に、反町ジャパンで成り上がる。
(大阪市内)

★鹿島・増田「絶対に五輪出る」
 鹿島のMF増田は、北京五輪出場を力強く誓った。「五輪は自分と関係ないものだと思っていたけど、いまは絶対に出たいと思っています」。宮崎県出身の増田はこの日、チームを代表して大東社長らと東国原英夫知事を表敬訪問。同知事の名前が入ったユニホームをプレゼントした。「宮崎県から世界的なアスリートが出ていない」と話していた同知事だが、増田が最初の1人になる。

(宮崎市)

飛び級・内田 右サイドの穴埋める!

練習後、携帯電話で五輪代表メンバーを確認する内田

 U―22米国代表戦(21日、熊本県総合運動公園)と、香港―バングラデシュの勝者と対戦する08年北京五輪アジア2次予選初戦(28日、国立)に向けたU―22日本代表23選手が9日、発表された。U―20代表世代からDF内田篤人(18=鹿島)が初招集され、右サイドバックでの定位置獲得に意欲を見せた。18日から熊本で事前合宿に突入する。 【U―22代表メンバー】
 初招集の18歳DFが反町ジャパンの“穴”を埋める。宮崎で合宿中の鹿島の練習後に朗報を聞いた内田は「五輪代表は意識していなかったので、びっくりです。五輪予選は貴重な経験になるので、自分のできるプレーをして、周囲を納得させたい」と、右サイドバックでの定位置獲りに強い意欲を見せた。

 北京五輪世代で不動の右サイドバックだったDF中村が昨年11月に右ひざ前十字じん帯を損傷し、全治6カ月の重傷を負った。五輪アジア2次予選出場は絶望的で、最終予選も微妙な状況だ。昨年12月のカタール国際大会で本来はFWの辻尾を右サイドバックでテストするなど試行錯誤を続けてきた反町監督は内田について「チームで献身的な働きをしている」と、大きな期待を寄せている。

 昨季、内田は高卒ルーキーながら鹿島で元日本代表DF名良橋を退けてレギュラーを獲得。JリーグオールスターにDF最多得票で史上最年少出場を果たす快挙も成し遂げた。今季はJ2湘南に移籍した名良橋から背番号2を譲り受けるなどチームの顔に成長した。

 昨年1年間で身長は約2センチ伸び、筋力トレの成果もあり体重も約4キロ増加。進化を続ける右サイドのスペシャリストは「日の丸を背負って軽いプレーはできない。(U―22日本代表で)生き残るのはもちろん、自分が成長するために全力でプレーしたい」と目を輝かせ、08年北京五輪出場へ照準を定めた。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年(昭63)3月27日、静岡県出身の18歳。清水東高から06年に鹿島に入団し1年目からレギュラーに定着。U―16から各世代の代表を経験。趣味は音楽鑑賞。利き足は右。1メートル76、62キロ。血液型O。

 ≪サバイバル熊本合宿≫反町監督はU―22米国戦後に、さらに選手を絞り込む方針を明かした。五輪アジア2次予選初戦から中2日の3月3日にJリーグ開幕が控えることもあり「多くの選手を長期間、拘束することはできない。選手は所属クラブでポジションを獲得することも大切だから」と説明。熊本合宿の序盤は壮絶なサバイバルが繰り広げられることになる。
[ 2007年02月10日付 紙面記事 ]

増田1位通過誓う!同郷・東知事がサポート約束…宮崎県庁表敬訪問
 
東国原・宮崎県知事に名前入りユニホームを贈った鹿島・増田(左)

 U―22日本代表の「10番」候補、MF増田誓志(21)=鹿島=が9日、五輪予選を前に大物知事からパワーを注入された。同日、クラブ幹部とともに宮崎県庁を訪問。東国原英夫知事(49)と対面した。宮崎出身の増田は選手を代表して表敬訪問に同行し、話題沸騰の知事と初対面が実現。「地元出身ということは前から知っていた。会えてすごくうれしかった」と笑顔を見せた。東国原知事は増田の前で高校野球やサッカーの強力なバックアップを約束。「4、5年計画で強化したい」と構想を語った。「宮崎から世界レベルの選手がいない」とも話しており、日の丸を背負う増田への期待は大きい。鹿島での活躍を最大の目標を掲げつつも、五輪への思いは膨らむ。「予選? やっぱり1位通過しないと。日本は1位というイメージがある」と増田。宮崎から世界へ。飛躍への挑戦が始まる。
(2007年2月10日06時10分  スポーツ報知)

篤人と誓志の話題。
フル代表の発表が延期されたこともあって大々的に報道されている。
篤人の選出は本人にも驚きであったようだ。
まだ齢18歳である。
かの織田信長公が家督を継いだのは17歳である。
奇しくも篤人がレギュラーを得た年齢ではないか。
U-22を天下統一の足がかりとせよ。
しかしながら「ウッチー」の愛称は耳にしたことがござらぬ。
これは異な事を報じておる。
新潟へ流罪となった者と勘違いをなされている模様。
この者は深井を引き入れ少々頭にのっている様子。
いずれ成敗する所存である。

誓志は鹿島ではレギュラー争いから一歩後退もU-22では顔と成りつつある。
元犯罪者を訪問しサポートのお墨付きを得た。
一位通過とは大きな口を叩くようになったものである。
物事の上を見るのも悪いことではないが、足下を掬われぬようせいぜい気を付けることである。
謀反は常に起こりうる。
気を抜けば、いつ失墜するやも知れぬ。
心して励むのだ。


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2 コメント

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Unknown (のの)
2007-02-11 17:33:51
篤人の天下統一…いいですね!
U-20では選手から「うっちー」と呼ばれてるらしいですよ。
ちょっと呼び慣れていないので違和感を感じますよね。

誓志は確かに鹿島ではレギュラー争いからは後退気味ですので、そのぶんU-22に気合いを入れてスタメンを確保してほしいです。
大口をたたくのはきっと自信の表れなのでは?
おごらず頑張ってほしいです。
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Unknown (原理主義者)
2007-02-12 20:36:33
コメントありがとうございます。

代表の「内田」は篤人だけなので「うっちー」は正しいと言うことなんですね。
勉強になりました。

誓志ほどの選手がレギュラーを確約できない層の厚さが重要ですよね。
本当に応援しています。
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