鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

高卒ルーキー内定

2006年11月22日 | Weblog

新加入選手内定のお知らせ
2007年度の鹿島アントラーズの新加入選手として、この度下記2名の選手が内定いたしましたので、お知らせ致します。
氏   名:當間 建文(トウマ タケフミ) <東海大学付属第五高校/福岡県>
生年月日:1989年3月21日生まれ(沖縄県出身)
身長・体重:178cm・70kg
ポジション:DF
サッカー歴:U-18日本代表
特   徴:正確な技術と身体能力の高さをあわせ持つ

氏   名:遠藤 康(エンドウ ヤスシ) <塩釜FC/宮城県>
生年月日:1988年 4月7日生まれ(宮城県出身)
身長・体重:170cm・68kg
ポジション:MF
サッカー歴:U-18日本代表
特   徴:左利きのテクニシャンで攻撃センスがある

9月26日に練習参加した二人の高卒ルーキーの内定が発表された。
當間くんは11月18日に報道され周知の事実であったが、遠藤くんも同時に発表と相成ったことは至福であろう。
これで来季は大卒二人と遠藤くんでレフティ3人の加入である。
左サイドの攻撃が活性化するとことが予想される。
まずはサテライトで連携を見てみたい。
4/7生まれということは篤人と11日間の差である。
この差が「たった」なのか「大きな」なのかを我等に見せて貰おうではないか。
10日間の差がある石井コーチとチロ・フェラーラのように。


新潟戦試合前監督コメント

2006年11月22日 | Weblog
アウトゥオリ監督『新潟は戦術的な指導が徹底されているチーム。能力の高いFWや中盤で確実につなげられる選手が揃っているので注意しなくてはいけない。集中して試合に臨みたい。』

集中。
最も重要なファクターである。
アウェイの新潟戦ではフェルナンドの起死回生FKで勝利を得ることが出来た。
が、そのフェルナンドは蟄居中であり明日の試合には出場叶わぬ。
更に言わせてもらえばホームである以上、崩しての得点を重ねたい。
割れたも少々勝利を重ねたところで欲が出てきたことも事実である。
その慢心が集中力の欠如に繋がる。
何が何でもホームで勝つ意識を持ち、結果を望もう。
外堀だけでなく内堀も埋めてしまうのだ。

国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦 日本対大韓民国

2006年11月22日 | Weblog
増田が中国戦以来の得点/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 増田が反町監督の初戦となった8月7日のU-21中国戦以来の得点で、引き分けに貢献した。後半30分、水野のセンタリングに合わせてゴール前に走り込み、頭でねじ込んだ。「水野が持ったら中に入ろうと思っていた」と納得顔だった。
 それでも満足はしていない。ホームで白星を逃したことを悔やみ「後半の立ち上がりに入れたかった。ちょっと遅かった」と残念がった。
[2006年11月22日8時26分]

増田同点弾、墓前に誓った北京/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 ゴール前に飛び出したのは、U21日本代表MF増田誓志(21=鹿島)だった。右サイドを突破したMF水野を信じていた。「いいクロスが上がっていたから、飛びこめば必ず来ると思った」。後半30分、192センチの平山と180センチのカレン、2人のFWの間で、179センチがヘディングシュートを放った。反町ジャパンの不敗記録を伸ばす同点弾。背番号10を中心に歓喜の輪ができた。
 もともと攻撃的なMFだが、鹿島ではボランチ。あこがれるメッシーナMF小笠原と同じように、守備的な位置に入って、プレーの幅が広がった。守備の意識が高くなり、得点への意欲も増した。アウエーの中国戦に続く得点にも「前でやらせてもらっているから」。このチームでの激しいポジションに勝ち残るためにも、ゴールが必要だった。
 宮崎の鵬翔高から鹿島入り。プロへの最大の理解者だった母が今年7月に亡くなった。墓前に誓ったのは「北京五輪に出場して、A代表に入って活躍する」だった。その誓いを実現するためには、まだまだ十分ではない。「やっぱり勝ちたかった。決めるべきところで決めていれば、勝てた試合だった」。力強い言葉には、五輪にかける熱い思いが満ちあふれている。【荻島弘一】
[2006年11月22日8時42分 紙面から]

増田のヘッド弾でドロー/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 ほぼベストメンバーで臨んだ日本が、立ち上がりから韓国ゴールに迫った。中盤でパスを回し、MF水野とDF中村が右サイドからチャンスを演出。中央のFW平山に効果的なクロスを送るが、タイミングが合わずにゴールには結び付かない。前半ロスタイムにはFW梁東■に決められ、0-1で折り返した。
 1点を追いかけて、日本は後半も猛攻を仕掛ける。平山のポストプレーから、MF陣も積極的にミドルシュートを打った。30分、右サイドを突破した水野のクロスをMF増田がヘディングシュートを決めて同点。その後は両チームともゴールはなく、アウエー戦に続いて1-1で引き分けた。
※■は火へんに玄
[2006年11月22日8時49分]

反町ジャパンに闘争心が宿った!増田のヘッド弾で韓国にドロー

 日中韓U-21代表交流戦(21日、国立競技場)気持ちで戦った。U-21日本代表が1-1で韓国に引き分け。0-1で迎えた後半30分、MF増田誓志(21)=鹿島=の同点弾で追いついた。この世代での韓国戦初勝利こそならなかったが、反町康治監督(42)指揮下での“不敗”は継続。同監督はアジア大会を前に、改めて闘争心の重要性を強調した。
 神宮の杜から吹き抜ける木枯らしに、サムライブルーのユニホームが頼もしく揺れた。この世代では過去6戦で2分け4敗の韓国に、14日のアウエー戦に続くドロー。そして反町ジャパン発足以来、4試合連続の“不敗記録”を継続だ。
 「勝ちたいゲームだったね。日本の弱点だった闘争心が出てました。練習でやったことが出せていたし、チームとして及第点でしたね」
苦虫を噛みつぶしたような反町監督の表情が、徐々に笑みに変わる。
 前日20日の韓国の練習後、ピム監督から日本の精神面の弱さを指摘された。U-21代表を率いて約4カ月、常に『誇りと情熱』を選手に求めてきた指揮官に、これ以上の屈辱はない。この日の宿舎でのミーティングでも、同じフレーズを繰り返した。さらに先週末に所属チームでの試合を終え、休まずに大一番を迎えるメンバーを前に「疲労とかは見てるお客さんには関係ないんだ」と語気を強めた。
 熱いゲキに若きジャパン戦士が燃えた。前半ロスタイムに先制点を許しても、決して下を向くことはない。後半30分にMF水野(千葉)の絶妙なクロスに、MF増田が頭で合わせる同点弾を決めた。「先発で使ってもらったので、何とか結果を出したかった」と水野。敵将も「日本のメンタルの弱さはまったく感じられなかった」と前言を撤回した。
 08年北京五輪へ向けて、ライバル相手に“課題”を克服。次なるステップは29日、パキスタンとの初戦を迎えるアジア大会だ。「1試合でも多くやって、できれば優勝に近いところまでいければいいかな」と反町監督。日本スポーツ界の聖地・国立から世界へ-。戦う集団と化したU-21世代を、聖火台の炎が送り出した。
(佐久間賢治)
★母の死乗り越え決めた!増田が3カ月ぶり代表ゴール
 同点のヘディング弾を決めたMF増田(鹿島)は、「クロスが上がってくると信じて飛び込んだ」と胸を張った。守備的MFで先発も、後半途中からFWに近い攻撃的な位置へとシフトしてゴール。7月に母・啓子さんが43歳の若さで死去。その悲しみを乗り越え、8月のU-21中国戦に続く得点でチームを敗戦から救った。

増田同点弾!反町ジャパン無敗守った

 日中韓親善試合が21日、東京・国立競技場で行われ、U―21日本代表はU―21韓国代表と1―1で引き分けた。先制を許した後半30分にMF水野晃樹(21=千葉)の右サイドからのクロスをMF増田誓志(21=鹿島)が頭で合わせてゴール。シュート21本で1得点と決定力には課題を残したが、反町ジャパン発足後の対外試合は5勝2分けと無敗を守った。
 赤いユニホームの間を縫って、青い背番号10が頭を突き出した。0―1の後半30分だ。右サイドの水野が2人のDFをかわして絶妙のクロス。ファーサイドに走り込んだ増田がヘディングで左隅に叩き込んだ。「まぐれです。いいボールが来ました」。3ボランチの一角で先発出場。後半22分から攻撃的MFに位置を変えていたユーティリティー選手が、貴重な同点弾を決めた。
 天国にささげる一撃でもあった。7月に母・啓子さんが病死(享年43歳)。啓子さんは増田のプレーを見るのが何よりの楽しみだったという。増田は所属する鹿島での「10冠」を天国の母に贈ろうと3日のナビスコ杯決勝に臨んだが、千葉の前に屈した。現在は08年北京五輪で雄姿を見せることが何よりの恩返しと考えている。
 アシストを記録した水野も強い気持ちでピッチに立っていた。所属の千葉はリーグ戦で4連敗中。「チーム状態が悪い中で代表に呼ばれてもいいのかという気持ちはあったが、やるからには結果を出すしかない」と発奮した。再三の右サイド突破で好機を演出。前半40分には直接FKがバーを叩くなどゴールに迫った。視察したオシム監督はかねてから「水野は才能があるが、90分集中力が持たない」と話していたが、この日はA代表入りを引き寄せるには十分な活躍だった。
 チームはシュート21本で1得点と相変わらずの決定力不足を露呈。この世代の韓国戦の成績は3分け4敗と、またも初白星はお預けとなった。反町監督は「勝ちたいゲームだった」と悔しがった上で「内容は及第点。チームの幹の部分を描くことができた」と手応えを口にした。チーム発足後の対外試合は5勝2分けと無敗を継続。日韓戦で得た収穫と課題とともにドーハ・アジア大会(29日初戦)に向かう。
 ≪オシム監督注文「単調すぎる」≫韓国戦を視察したA代表のオシム監督は試合後、反町監督を訪ね「いい試合だった」とねぎらった。試合中はA代表のスタッフらとともに選手の動きを多岐にわたって分析。スタッフによれば指揮官は「ボールを持たない人の動きが単調すぎる。シュートを打てばOKというのじゃなくて、それに至るまでの過程を向上させるべき」と注文。前半のロスタイムにゴールを決めた韓国の勝負強さにも感心していたという。
[ 2006年11月22日付 紙面記事 ]

結果を残す。
最も大事な事柄。
しかしながら10番を背負う意味をもっと考慮せねばなるまい。
「所詮親善試合よ、花試合よ」
と、高を括る無かれ。
背負ってるモノが違う自責は重要なのである。
得点以外の存在感を求めている者共が多くいるのだ。
例え8番に憧れていたとしても、背負った以上はその働きぶりに視線が集まるの当然のこと。
もっと輝け、もっと光れ。
ただの便利屋で終わるな。
チームメイトの視野に入る動きをするのだ。
相手DFを引き寄せるのだ。
何よりも、まだこのチームに溶け込んでいないことだけが画面から伝わってきたことが悲しい。

フェルナンド帰国

2006年11月21日 | Weblog
フェルナンド選手の帰国について
フェルナンド選手はJリーグの試合において負傷しました左膝の治療のためブラジルに帰国することになりましたので、お知らせいたします。
帰国日は11月23日(木)の予定です。

10月29日のアウェイ大分戦より姿を見せなかったフェルナンドが怪我による帰国。
今季中の出場は無いと見て良いだろう。
それ以上に、二人の助っ人を得た現状に於いて、来季の契約も危ぶまれる。

昨季前半の好調も今季夏場の好調も全てこのフェルナンドに依存していたことは言うまでもない。
特に怪我から復帰したナビスコ杯準々決勝アウェイ・ガンバ大阪戦の2得点はフェルナンドを起点としたもので、素晴らしいの一言に尽きた。

地味なポジションにあり、他の派手な助っ人に比べると陽の目を見る機会は少なかったと思えるが、層の薄いボランチに於いては重要な選手である。
二月には再び相見えたい。
大怪我を押して一豊に土佐攻略を指示する直政の如く。

新助っ人ほぼ確定

2006年11月21日 | Weblog
サンパウロDFファボンらが鹿島移籍
 サンパウロDFファボン(30)が19日(日本時間20日)のブラジル全国選手権優勝決定後、MFダニーロ(27)とともに鹿島に移籍すると明かした。ランセ紙の取材に「鹿島とサインした。ダニーロも一緒に行く。仲がいいから、寂しくならなくていいね」と話した。
 2人は昨年12月に世界クラブ選手権(現トヨタ クラブW杯)を制した中心メンバー。ファボンは187センチ、85キロの大型DF。一方のダニーロは技巧と決定力を併せ持つ司令塔で、メッシーナに移籍したMF小笠原の穴を埋めるのに最適な人材だ。アウトゥオリ監督の愛弟子獲得で指揮官の続投に向けた動きも大詰めを迎えそうだ。
[2006年11月21日7時7分 紙面から]

昨年世界一サンパウロ・コンビが来季鹿島入り
 昨年のトヨタ・クラブW杯王者で、今季のブラジル全国選手権を制したサンパウロFCのDFファボン(30)とMFダニーロ(27)が来季、J1鹿島入りすることが20日、明らかになった。来季の去就が未定だったアウトゥオリ監督(50)の続投が決定的になり、獲得が決まった。鹿島は今季果たせなかったV奪回を「世界一布陣」で目指す。
 ファボンは19日、優勝を決めたアトレチコ・パラナエンセ戦(1―1で引き分け)後、鹿島と2年契約を結んだことを自ら表明し、「ダニーロも一緒に鹿島へ行く」と明かした。2人とも2004年にサンパウロFC入りし、05年にアウトゥオリ監督の下で、世界一を獲得。
 ストッパーとリベロをこなすファボンは、187センチ、80キロの体格で空中戦に強く、右足の強烈なシュート、中長距離からのFKが得意。A・パラナエンセ戦でもヘディングシュートで先制点を決めた。センターバックは鹿島の最大の補強ポイントだった。
 MFダニーロは背番号10を担うゲームメーカー。豊富な運動量と突破力、パスで攻撃のチャンスをつくる。指揮官の戦術を理解している2人の補強で、鹿島が来季、巻き返しを図る。
(2006年11月21日06時05分 スポーツ報知)

かねてから噂(9月7日11月9日)のあったブラジル人新戦力二人の加入が決まったとの報道。
その裏ではアウトゥオリ監督の続投が決定的であるとのこと。
大分戦の敗戦に於いては解任止む無しと憤りさえ感じたことは事実である。
が、ガンバ戦・大宮戦と光明の見える試合運びを垣間見せたこともまた事実である。
この二試合で来季に向けたチームの立て直しと、目的を見失いがちなこの時期における選手のモチベーションの向上を行った手腕は認めざるを得ない。
しかし、敗戦の将であることもそれまた事実であろう。
全ての試合に勝利することはほぼ不可能だとしても、負けられる試合にこそ我等に歓喜の知らせをもたらす仕事を請け負っていたのでは無かろうか。
それ以上に補強として来た二人は短期留学という結論になる。
Jに合わないかどうかを見定められなかった罪は重い。
今回の二人は実力こそお墨付きである。
選手としても最も脂の乗っている年齢。
申し分は無い。
しかし、不安に駆り立てられるこの気持ちを拭うことが出来ずにいるのである。
記憶に新しい2003~2004年である。
189センチの巨人が現れたFマリノス戦・競らず走らないロナウド二世の姿を見たPSM川崎戦・ベルギーリーグMVPの23分間出場…
鳴り物入りで入団も負の記憶を残した選手は少なくない。
まだ素直に喜ぶ時期では無かろう。
小山評定にて豊臣恩顧の武将の意思は確認出来た、だがそれだけでは不十分なのである。
最後まで忠誠を誓い、力を尽くすものは誰であるのか見極めねばならぬ。
城を明け渡した律儀さは認めようとも、ただの命乞い・恩賞狙いでは信用し切れぬというもの。
ここは土佐を平定せしめ、島津・黒田・毛利への防波堤として働かねばならぬのである。
例え、後に山内容堂なる時流に左右される藩主を生み出そうとも。

メッシーナ小笠原満男、ベンチウォーマー

2006年11月20日 | Weblog
小笠原ベンチ入りも出番なし/セリエA
<セリエA:ラツィオ4-1メッシーナ>◇19日◇イタリア・メッシーナ
 メッシーナMF小笠原満男(27)は19日、ラツィオ戦にベンチ入りしたが出番はなかった。試合もホームで1-4と完敗した。後半10分に同点としたが、同14分、37分に失点。終始追いかける展開に得点力のある選手が投入され、小笠原はベンチに座ったままで終わった。(佐藤貴洋通信員)

メッシーナ・小笠原は出番なし…チームは惨敗
 セリエA・メッシーナのMF小笠原は19日、ラツィオ戦(ホーム)にベンチ入りしたものの出場機会はなかった。「強い相手とやれるのは楽しみ」と強豪相手の一戦を待ちわびていたが、公式戦で3試合ぶりに出番がなかった。試合は1-4で惨敗した。
(ローマ=坂本万里雄)
小笠原、ベンチ入りも出番なし メッシーナは完敗
 サッカーのイタリア1部リーグ(セリエA)は19日、各地で行われ、小笠原満男のメッシーナは1-4でラツィオに敗れた。小笠原はベンチ入りしたが、出番はなかった。

小笠原出番なし、チームは大敗
 メッシーナは19日にホームでラツィオと対戦。MF小笠原はベンチ入りしたが、出場機会は与えられなかった。試合はリードされた後半12分にFWリガノのPKで追いついたが、14分に勝ち越し点を奪われた。同点に追いつくために20分から攻撃的な選手を続々と投入したが、小笠原に出番はなかった。結局、守備が崩壊し1―4で完敗。今季最多失点で公式戦4試合勝ち星がなく厳しい戦いが続いている。(メッシーナ・神尾光臣通信員)

小笠原は出番なし…セリエA
 MF小笠原満男(27)が所属するメッシーナは19日、ホームでラツィオに1―4で敗れ、4試合ぶりの黒星を喫した。ベンチ入りした小笠原は2試合ぶりに出番がなかった。前半10分に先制点を許したメッシーナは、後半12分に同点としたが、その後は3連続失点を喫し大敗した。

大きなメガホンで兵の撤収を叫ぶも叶わない。
井伊直政の入れ知恵の受け売りでは説得力も無かろう。
しかし、実直で律儀は大いなる才能であることだけは伝わってくる。
そう、実直であるのだ、そして律儀であれ、小笠原満男よ。
馬鹿正直に生きよ。
そして生真面目に行動するのだ。
他人に何と陰口をたたかれようとも、新たなるボスの評価がどのようなものであろうとも。自分は自分であれ。
実際ここまでそうして来たではないか。
そして、遠くに飛ばした意味を考えよ。
旨いカツオを食べさせるためだけではないのである。

大宮戦報道

2006年11月19日 | Weblog
ニッカン
鹿島が3-0で大宮に快勝/J1
<J1:鹿島3-0大宮>◇第31節◇18日◇埼玉
 鹿島が、序盤から猛攻を仕掛けた。開始約45秒にFW田代が頭で押し込んで先制した。その後もMF本山、野沢を中心に攻め続けた。大宮FWアリソンにゴール前まで攻め込まれる場面もあったが、DF陣が落ち着いて抑え込んだ。前半を1-0で折り返した。
 後半に入っても、鹿島は攻勢に出た。同9分、左サイドから攻め上がったFWアレックス・ミネイロのクロスを田代が頭で合わせ2点目を決めると、同39分にはMF本山が3点目を入れた。大宮の速攻にあい、危ない場面もあったが、無失点に抑えて3-0で快勝した。
[2006年11月18日17時17分]

鹿島本山が今季初ゴール/J1
<J1:鹿島3-0大宮>◇第31節◇18日◇埼玉
 鹿島MF本山が今季初ゴールを決めた。2-0で迎えた後半39分。DFファビオ・サントスのパスを受け、右足で3点目をたたき込んだ。同9分のFW田代の2点目にも絡むなど、快勝に貢献。「やっと入ったって感じですよ。1点取れたから、2点目を狙っていきたい」と喜んだ。
[2006年11月18日19時8分]

天皇杯獲りへ鹿島ノリノリ♪本山の今季初得点で2カ月ぶり連勝
 J1第31節第1日(18日、大宮0-3鹿島、埼玉スタジアム)先制、中押し、ダメ押し。すべてがキッチリ決まり、リーグ戦では9月24日のFC東京戦以来の連勝。プロ2年目のFW田代が試合開始45秒でヘッド弾、後半9分には公式戦初の1試合2ゴールを飾った。さらに同39分、MF本山が出場24試合目で今季初得点だ。「打っても打っても入らなかったからね。ホッとしました」と本山が言えば、田代は「いいゲームができました」とニッコリ。新旧戦力が噛み合い、通算10冠のかかる天皇杯へ弾みをつけた。

速報も重要であるが誤報となっては本末転倒である。
正しくはFSのアシスト。
FSとアレックス・ミネイロは似ても似つかない。
バルセロナのエヂミウソンと見間違えたのであればまだ納得のしようもあるのだが。

第三の男

2006年11月18日 | Weblog
鹿島が沖縄出身DF当間を獲得
 鹿島に沖縄県出身Jリーガーが誕生する。福岡・東海大五高のU-18日本代表DF当間(とうま)建文(17)を来季からの新加入選手として獲得することが17日、分かった。最終ラインのポジションからボランチ、FWまで幅広くこなし、身体能力も高く千葉も獲得に乗り出していた。クラブ関係者は「基本的にはセンターバック、サイドバックになると思うが、器用にいろいろできる」と高く評価している。
 沖縄県出身としては史上9人目のJリーガーとなる。今年、同県初の代表選手となった川崎F・我那覇と同じ宇栄原(うえはら)FC、小禄中の出身。兄正人(JFL琉球FC・MF)が我那覇と同級生だったこともあり、小さいころにともにボールを追いかけたことがある。当間の鹿島入団について聞かれた我那覇は「同郷の選手が増えるのはいいこと。小学校の監督は一緒だし、体は鍛えられていると思う。対戦するのが楽しみ」と将来の対決を心待ちにした。
 かつては野球、バスケ人気が高かった沖縄県だが、Jリーグ発足後は各クラブがキャンプを張るなどサッカー人気も上昇。我那覇のブレークはその勢いの象徴だった。当間も、鹿島に沖縄の風を送り込む。

来季内定選手第三の男は、鹿島初の海人(うみんちゅ)、琉球からの風であった。
9月26日に練習参加し認められたという訳である。
この時には出身校から九州と思いこんでいたが、更に南の沖縄とは朗報である。
CB、SB、ボランチ、FWをこなすこの男は、我が鹿島の弱点全てを補う、まさに補強と呼べる逸材である。
平成元年生まれ。
まさに未来を担うと呼べる。
車の右側通行も海洋博も知らぬ十七歳、南沙織どころか森高千里の十七歳も知らぬであろう。
當間建文、この男に鹿島の将来を託そうではないか。

  誰も知らぬ海 二人の愛を確かめたくて♪

大宮戦試合前監督コメント

2006年11月17日 | Weblog
アウトゥオリ監督『選手達の動きも意識もいい状態。相手の崩し方、そしてミスを減らすことを意識して試合に臨みたい。大宮戦に限らず、どの試合に対しても、90分間いかに努力できるか、最後まで集中して戦えるか、献身的なプレーができるかできないか、この3点が重要である。』

意識改革に成功したことは前向きに捉えたい。
90分の努力、集中、献身的プレイ。
3点に分かれているが全て同義である。
能力は十分、精神的に折れないことだけが求められているのである。
夏の陣直前に「伊勢に引いてはどうか?」と曰う淀に明日は無い。

難しい…

2006年11月17日 | Weblog
初期の本宮ひろしだと思うのだが、どの作品だか皆目見当が付かない…
確かに、捨て試合を公式戦で行った罪は重い。
続投するならその罪をどう償うかを見せる必要がある。
冬の陣で和睦を結びながら、夏を開戦に至らせた大野修理と同様に。

攻撃的であれ

2006年11月16日 | Weblog
鹿島は攻撃練習で調整
 鹿島が15日、茨城・鹿嶋市の鹿島グラウンドで18日の大宮戦(埼玉)に向けた練習を行った。主に攻撃中心の練習で、ゴール前での攻撃パターンを何度もも繰り返した。
 既にリーグ戦の優勝の可能性はなくなっているが、MF増田は「チームとしてはモチベーションは下がっていない。みんな1つでも上に行こうと思っている。それが天皇杯にもつながると思う」と話した。

攻撃陣では興梠・ダ・シルバ・康平がサテライトの試合に出場していたのでこの記事の攻撃練習には参加してないものと思われる。
つまり、攻撃陣としてはアレックス・ミネイロ、柳沢敦、本山、FS、増田誓志といったところであろうか。
野沢も無意味な代表に引っ張り出されて不在だったところから、野沢に頼らぬ攻撃を試したということかも知れぬ。
さて、サテライトの人選と天皇杯ホンダFCをみると、サイドアタックの熟成を重ねていることが読みとれる。
来季続投との噂も高いアウトゥオリ監督としては兼ねてから噂のあるダニーロをダ・シルバの位置に置き、田代(柳沢)の1TOPに野沢と深井(柳沢)のサイドアタックというところがプランであろうか。
思い起こせば、2月26日のPSMにおいても7月8日の練習試合においても4-2-3-1を試している。
この布陣が本来やりたい形なのでは無かろうか。
Jでは原博実氏が率いたFC東京がこの形でナビスコ杯を制している。
しかし、ルーカスとケリーがいてこその1TOPであった。
外国人助っ人の力を借りねば成り立たなかったことは語るまでもない。
噂では、来季はMFのダニーロとCBのファボンを獲得しフェルナンドが残留とのこと。
必然的に1TOPは国産であろう。
現有戦力では田代有三と柳沢敦が有力、そこに田中康平が続くところ。
悪くはない。
いや、魅力的である。
豊富な攻撃陣を使い切って戦って欲しい。
そして、そして今季の残り試合を「テスト」なぞには使わず、結果を追い求めるのだ。
邪悪なるさいスタで大量得点を記録するのだ。
その歓喜に酔いしれるため埼玉高速鉄道線に乗る。
無意味に高額な乗車券を買って。

ELGOLAZO蹴球風見鶏

2006年11月15日 | Weblog

鹿島嫌いで有名なとうこくりえ女史によるマンガ蹴球風見鶏であるが、今回は日本代表ネタであった。
そのフル代表部分であるが、81番が描かれている。

笑止。
似せる気さえもない。
資料も何も見ていないことは明白。
小学生の少女マンガもどきかと思わせるような筆である。
馬鹿にするとはこのこと。
浦和宣伝紙と成り下がった名ばかりサッカー新聞に期待した者に罪があるというのか。
この画像は永久保存して自戒に努める所存である。

野沢に託す

2006年11月14日 | Weblog

 オシム監督は練習の途中から中盤の選手だけを集めて付きっきりで細かい指示を与えた。「今度の試合は中盤の勝負になると言っていた」と、練習の狙いを漏らさなかったオシム監督の代わりに野沢(鹿島)が指示内容を明かした。
★野沢どん欲に!初招集も先発狙う
 初招集のMF野沢(鹿島)が紅白戦でレギュラー組とみられるチームでプレーした。4-4-2の右サイドMFに入り、“オシム流”の習得に必死。野沢は「きょうの(システム)がスタメンかわからないけど、出るつもりでやらないといけない。まだまだ挑戦者だから食い込んでいかないといけない」。鹿島からは唯一の代表戦士。この日発表された背番号は『81』とチームで一番大きいが、先発をどん欲に狙う。

右サイドのMFとはこれまで遠藤・羽生が務めておったポジションである。
これまでの試合から察するに、運動量を要求し2列目からの飛び出しとFWのサポートを強いている。
確かに本山よりは野沢の方が適任である。
しかしながら『81』とは縁起の良い番号である。
末広がりと一番、足してはエースストライカーの9にもなる。
鹿島で背負う25番もチェルシーでゾラの付けた番号。
ロベルト・バッジョやマンチーニと並ぶ90年代有数のファンタジェスタである。
2004年にゾラ最後の所属クラブとなったカリアリをナポリのスタジアムに観戦した。
結果的には敗れてしまったが、3TOPの一角を占め孤軍奮闘する姿は、かつての華麗なテクニシャンではなく飽くなき勝利の追求者であった。
そう、最後まで残る者は勝つためのメンタリティである。
今回の日本代表は消化試合である。
ここでポジションを奪えぬ、出場も叶わぬ、試合も勝たぬでは話にならない。
勝負に勝って帰ってくるのだ。
ナビスコ杯決勝戦前のリーグ戦やこの消化試合などテストマッチと捉え、指揮官を始め空気が軽い。
ここに一石を投じて、存在感を示して欲しい。
紅白戦で闘莉王を削るくらいのことをしてきて欲しいものである。

増田忠俊引退

2006年11月13日 | Weblog
元日本代表MF増田が今季限りで引退
 元日本代表の大分MF増田忠俊(32)が、今季限りで引退することが12日、明らかになった。柏から移籍した今季は持病の腰痛に悩まされ、リーグ戦3試合、ナビスコ杯4試合の出場だった。すでにシャムスカ監督とクラブ首脳に引退の意思を伝えており、近日中に発表される。静岡学園から鹿島入り。天才的なドリブルとパスで、97年にはリーグ戦とナビスコ杯、ゼロックススーパー杯、天皇杯とすべてのタイトルで優勝した。98年1月には「岡田ジャパン」に初選出された。同年8月に右すねを複雑骨折。その後は東京-市原(現千葉)-柏とクラブを移った。今後については未定。

鹿島史上最強の歌声高い96-97年の主力選手である増田忠俊が、最前線から去る決意を固めたとのこと。
当時の爆発的攻撃力の中心は言わずと知れたビスマルク、マークが厳しければボランチのジョルジーニョであった。
そして彼等から前線のマジーニョ・長谷川祥之・黒崎比差支・柳沢敦・真中靖夫に送られる。
という攻撃がクローズアップされていたが、中盤で増田忠俊の仕掛けるドリブルもアクセントになっていた。
アトランタ五輪では西野監督の起用法に不満を持ち帰国、日本代表ではフランス98候補止まりと代表とは縁遠かった選手ではあるが、能力を疑う余地は無い。
ここまで書き連ねて思うのだが、現在は2006年である。
流石に十年前、八年前の残像を追い続けることは出来ない。
永遠にトッププレイヤーであり続けることは不可能なのである。
今季は大分トリニータに在籍していた。
幸いなことにナビスコ杯予選リーグで聖地に凱旋した姿を拝むことが出来た。
スタメンに名を馳せたことに狂喜乱舞したものである。
最後のチャンスは天応杯決勝戦である。
願わくば元旦に国立競技場で相見えようぞ。