鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

増田忠俊引退

2006年11月13日 | Weblog
元日本代表MF増田が今季限りで引退
 元日本代表の大分MF増田忠俊(32)が、今季限りで引退することが12日、明らかになった。柏から移籍した今季は持病の腰痛に悩まされ、リーグ戦3試合、ナビスコ杯4試合の出場だった。すでにシャムスカ監督とクラブ首脳に引退の意思を伝えており、近日中に発表される。静岡学園から鹿島入り。天才的なドリブルとパスで、97年にはリーグ戦とナビスコ杯、ゼロックススーパー杯、天皇杯とすべてのタイトルで優勝した。98年1月には「岡田ジャパン」に初選出された。同年8月に右すねを複雑骨折。その後は東京-市原(現千葉)-柏とクラブを移った。今後については未定。

鹿島史上最強の歌声高い96-97年の主力選手である増田忠俊が、最前線から去る決意を固めたとのこと。
当時の爆発的攻撃力の中心は言わずと知れたビスマルク、マークが厳しければボランチのジョルジーニョであった。
そして彼等から前線のマジーニョ・長谷川祥之・黒崎比差支・柳沢敦・真中靖夫に送られる。
という攻撃がクローズアップされていたが、中盤で増田忠俊の仕掛けるドリブルもアクセントになっていた。
アトランタ五輪では西野監督の起用法に不満を持ち帰国、日本代表ではフランス98候補止まりと代表とは縁遠かった選手ではあるが、能力を疑う余地は無い。
ここまで書き連ねて思うのだが、現在は2006年である。
流石に十年前、八年前の残像を追い続けることは出来ない。
永遠にトッププレイヤーであり続けることは不可能なのである。
今季は大分トリニータに在籍していた。
幸いなことにナビスコ杯予選リーグで聖地に凱旋した姿を拝むことが出来た。
スタメンに名を馳せたことに狂喜乱舞したものである。
最後のチャンスは天応杯決勝戦である。
願わくば元旦に国立競技場で相見えようぞ。