鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

高卒ルーキー内定

2006年11月22日 | Weblog

新加入選手内定のお知らせ
2007年度の鹿島アントラーズの新加入選手として、この度下記2名の選手が内定いたしましたので、お知らせ致します。
氏   名:當間 建文(トウマ タケフミ) <東海大学付属第五高校/福岡県>
生年月日:1989年3月21日生まれ(沖縄県出身)
身長・体重:178cm・70kg
ポジション:DF
サッカー歴:U-18日本代表
特   徴:正確な技術と身体能力の高さをあわせ持つ

氏   名:遠藤 康(エンドウ ヤスシ) <塩釜FC/宮城県>
生年月日:1988年 4月7日生まれ(宮城県出身)
身長・体重:170cm・68kg
ポジション:MF
サッカー歴:U-18日本代表
特   徴:左利きのテクニシャンで攻撃センスがある

9月26日に練習参加した二人の高卒ルーキーの内定が発表された。
當間くんは11月18日に報道され周知の事実であったが、遠藤くんも同時に発表と相成ったことは至福であろう。
これで来季は大卒二人と遠藤くんでレフティ3人の加入である。
左サイドの攻撃が活性化するとことが予想される。
まずはサテライトで連携を見てみたい。
4/7生まれということは篤人と11日間の差である。
この差が「たった」なのか「大きな」なのかを我等に見せて貰おうではないか。
10日間の差がある石井コーチとチロ・フェラーラのように。


新潟戦試合前監督コメント

2006年11月22日 | Weblog
アウトゥオリ監督『新潟は戦術的な指導が徹底されているチーム。能力の高いFWや中盤で確実につなげられる選手が揃っているので注意しなくてはいけない。集中して試合に臨みたい。』

集中。
最も重要なファクターである。
アウェイの新潟戦ではフェルナンドの起死回生FKで勝利を得ることが出来た。
が、そのフェルナンドは蟄居中であり明日の試合には出場叶わぬ。
更に言わせてもらえばホームである以上、崩しての得点を重ねたい。
割れたも少々勝利を重ねたところで欲が出てきたことも事実である。
その慢心が集中力の欠如に繋がる。
何が何でもホームで勝つ意識を持ち、結果を望もう。
外堀だけでなく内堀も埋めてしまうのだ。

国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦 日本対大韓民国

2006年11月22日 | Weblog
増田が中国戦以来の得点/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 増田が反町監督の初戦となった8月7日のU-21中国戦以来の得点で、引き分けに貢献した。後半30分、水野のセンタリングに合わせてゴール前に走り込み、頭でねじ込んだ。「水野が持ったら中に入ろうと思っていた」と納得顔だった。
 それでも満足はしていない。ホームで白星を逃したことを悔やみ「後半の立ち上がりに入れたかった。ちょっと遅かった」と残念がった。
[2006年11月22日8時26分]

増田同点弾、墓前に誓った北京/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 ゴール前に飛び出したのは、U21日本代表MF増田誓志(21=鹿島)だった。右サイドを突破したMF水野を信じていた。「いいクロスが上がっていたから、飛びこめば必ず来ると思った」。後半30分、192センチの平山と180センチのカレン、2人のFWの間で、179センチがヘディングシュートを放った。反町ジャパンの不敗記録を伸ばす同点弾。背番号10を中心に歓喜の輪ができた。
 もともと攻撃的なMFだが、鹿島ではボランチ。あこがれるメッシーナMF小笠原と同じように、守備的な位置に入って、プレーの幅が広がった。守備の意識が高くなり、得点への意欲も増した。アウエーの中国戦に続く得点にも「前でやらせてもらっているから」。このチームでの激しいポジションに勝ち残るためにも、ゴールが必要だった。
 宮崎の鵬翔高から鹿島入り。プロへの最大の理解者だった母が今年7月に亡くなった。墓前に誓ったのは「北京五輪に出場して、A代表に入って活躍する」だった。その誓いを実現するためには、まだまだ十分ではない。「やっぱり勝ちたかった。決めるべきところで決めていれば、勝てた試合だった」。力強い言葉には、五輪にかける熱い思いが満ちあふれている。【荻島弘一】
[2006年11月22日8時42分 紙面から]

増田のヘッド弾でドロー/親善試合

<国際親善試合U-21日中韓3カ国対抗戦:日本1-1韓国>◇21日◇国立
 ほぼベストメンバーで臨んだ日本が、立ち上がりから韓国ゴールに迫った。中盤でパスを回し、MF水野とDF中村が右サイドからチャンスを演出。中央のFW平山に効果的なクロスを送るが、タイミングが合わずにゴールには結び付かない。前半ロスタイムにはFW梁東■に決められ、0-1で折り返した。
 1点を追いかけて、日本は後半も猛攻を仕掛ける。平山のポストプレーから、MF陣も積極的にミドルシュートを打った。30分、右サイドを突破した水野のクロスをMF増田がヘディングシュートを決めて同点。その後は両チームともゴールはなく、アウエー戦に続いて1-1で引き分けた。
※■は火へんに玄
[2006年11月22日8時49分]

反町ジャパンに闘争心が宿った!増田のヘッド弾で韓国にドロー

 日中韓U-21代表交流戦(21日、国立競技場)気持ちで戦った。U-21日本代表が1-1で韓国に引き分け。0-1で迎えた後半30分、MF増田誓志(21)=鹿島=の同点弾で追いついた。この世代での韓国戦初勝利こそならなかったが、反町康治監督(42)指揮下での“不敗”は継続。同監督はアジア大会を前に、改めて闘争心の重要性を強調した。
 神宮の杜から吹き抜ける木枯らしに、サムライブルーのユニホームが頼もしく揺れた。この世代では過去6戦で2分け4敗の韓国に、14日のアウエー戦に続くドロー。そして反町ジャパン発足以来、4試合連続の“不敗記録”を継続だ。
 「勝ちたいゲームだったね。日本の弱点だった闘争心が出てました。練習でやったことが出せていたし、チームとして及第点でしたね」
苦虫を噛みつぶしたような反町監督の表情が、徐々に笑みに変わる。
 前日20日の韓国の練習後、ピム監督から日本の精神面の弱さを指摘された。U-21代表を率いて約4カ月、常に『誇りと情熱』を選手に求めてきた指揮官に、これ以上の屈辱はない。この日の宿舎でのミーティングでも、同じフレーズを繰り返した。さらに先週末に所属チームでの試合を終え、休まずに大一番を迎えるメンバーを前に「疲労とかは見てるお客さんには関係ないんだ」と語気を強めた。
 熱いゲキに若きジャパン戦士が燃えた。前半ロスタイムに先制点を許しても、決して下を向くことはない。後半30分にMF水野(千葉)の絶妙なクロスに、MF増田が頭で合わせる同点弾を決めた。「先発で使ってもらったので、何とか結果を出したかった」と水野。敵将も「日本のメンタルの弱さはまったく感じられなかった」と前言を撤回した。
 08年北京五輪へ向けて、ライバル相手に“課題”を克服。次なるステップは29日、パキスタンとの初戦を迎えるアジア大会だ。「1試合でも多くやって、できれば優勝に近いところまでいければいいかな」と反町監督。日本スポーツ界の聖地・国立から世界へ-。戦う集団と化したU-21世代を、聖火台の炎が送り出した。
(佐久間賢治)
★母の死乗り越え決めた!増田が3カ月ぶり代表ゴール
 同点のヘディング弾を決めたMF増田(鹿島)は、「クロスが上がってくると信じて飛び込んだ」と胸を張った。守備的MFで先発も、後半途中からFWに近い攻撃的な位置へとシフトしてゴール。7月に母・啓子さんが43歳の若さで死去。その悲しみを乗り越え、8月のU-21中国戦に続く得点でチームを敗戦から救った。

増田同点弾!反町ジャパン無敗守った

 日中韓親善試合が21日、東京・国立競技場で行われ、U―21日本代表はU―21韓国代表と1―1で引き分けた。先制を許した後半30分にMF水野晃樹(21=千葉)の右サイドからのクロスをMF増田誓志(21=鹿島)が頭で合わせてゴール。シュート21本で1得点と決定力には課題を残したが、反町ジャパン発足後の対外試合は5勝2分けと無敗を守った。
 赤いユニホームの間を縫って、青い背番号10が頭を突き出した。0―1の後半30分だ。右サイドの水野が2人のDFをかわして絶妙のクロス。ファーサイドに走り込んだ増田がヘディングで左隅に叩き込んだ。「まぐれです。いいボールが来ました」。3ボランチの一角で先発出場。後半22分から攻撃的MFに位置を変えていたユーティリティー選手が、貴重な同点弾を決めた。
 天国にささげる一撃でもあった。7月に母・啓子さんが病死(享年43歳)。啓子さんは増田のプレーを見るのが何よりの楽しみだったという。増田は所属する鹿島での「10冠」を天国の母に贈ろうと3日のナビスコ杯決勝に臨んだが、千葉の前に屈した。現在は08年北京五輪で雄姿を見せることが何よりの恩返しと考えている。
 アシストを記録した水野も強い気持ちでピッチに立っていた。所属の千葉はリーグ戦で4連敗中。「チーム状態が悪い中で代表に呼ばれてもいいのかという気持ちはあったが、やるからには結果を出すしかない」と発奮した。再三の右サイド突破で好機を演出。前半40分には直接FKがバーを叩くなどゴールに迫った。視察したオシム監督はかねてから「水野は才能があるが、90分集中力が持たない」と話していたが、この日はA代表入りを引き寄せるには十分な活躍だった。
 チームはシュート21本で1得点と相変わらずの決定力不足を露呈。この世代の韓国戦の成績は3分け4敗と、またも初白星はお預けとなった。反町監督は「勝ちたいゲームだった」と悔しがった上で「内容は及第点。チームの幹の部分を描くことができた」と手応えを口にした。チーム発足後の対外試合は5勝2分けと無敗を継続。日韓戦で得た収穫と課題とともにドーハ・アジア大会(29日初戦)に向かう。
 ≪オシム監督注文「単調すぎる」≫韓国戦を視察したA代表のオシム監督は試合後、反町監督を訪ね「いい試合だった」とねぎらった。試合中はA代表のスタッフらとともに選手の動きを多岐にわたって分析。スタッフによれば指揮官は「ボールを持たない人の動きが単調すぎる。シュートを打てばOKというのじゃなくて、それに至るまでの過程を向上させるべき」と注文。前半のロスタイムにゴールを決めた韓国の勝負強さにも感心していたという。
[ 2006年11月22日付 紙面記事 ]

結果を残す。
最も大事な事柄。
しかしながら10番を背負う意味をもっと考慮せねばなるまい。
「所詮親善試合よ、花試合よ」
と、高を括る無かれ。
背負ってるモノが違う自責は重要なのである。
得点以外の存在感を求めている者共が多くいるのだ。
例え8番に憧れていたとしても、背負った以上はその働きぶりに視線が集まるの当然のこと。
もっと輝け、もっと光れ。
ただの便利屋で終わるな。
チームメイトの視野に入る動きをするのだ。
相手DFを引き寄せるのだ。
何よりも、まだこのチームに溶け込んでいないことだけが画面から伝わってきたことが悲しい。