【浦和】興梠慎三が示した鹿島サポーターへのケジメと「エース宣言」
塚越 始(サッカーダイジェスト)
2015年05月24日
プライドが激突し合った伝統の一戦、古巣相手の3年連続弾はならず。それでも勝利と久々のフル出場に確かな手応え。
埼スタでの鹿島戦3年連続ゴールはならなかった興梠だが、負傷からの復帰後初のフル出場。確かな手応えを掴んだ。(C)滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
古巣との激闘のあと、興梠慎三は満面の笑顔とまではいかないまでも、安堵と充実感の混じり合った表情を浮かべていた。
「点を取れなかったことは悔しいし、個人的にはなにもできずスッキリしないところもある。でも、90分フル出場できたことは、前進だと捉えている」
興梠のフル出場は3月22日の3節・広島戦以来だった。その広島戦後に首を傷めるなど再び戦線から離脱。そして5月10日の10節・仙台との復帰戦では、後半開始からピッチに立つと、いきなり2ゴールを決めた。先週のFC東京戦ではスタメンに名を連ね、堅牢なCB陣を翻弄し、大差がついた後にベンチへ退いた。
この日の古巣・鹿島戦はCFとして2試合連続でスタメンに名を連ねた。しかし前半は、絶対に前を向いたプレーをさせまいとする鹿島CB植田とファン・ソッコの徹底マークに遭い、「上手く守られた。トライできるようなボールが入ってこなかった」。
ただ「必ずスペースは空いてくるはず」と読んでいたとおり、後半に入り、徐々に興梠がボールに触る回数が増える。そして途中からはズラタンとの3節以来の“競演”が実現。シャドーに入った興梠の「ゴールよりも、ゲームを作ることを考えた」と言うスルーパスがズラタンにわたり、そのズラタンのクロスに武藤が合わせ同点ゴールが生まれた。
勢いづいた浦和は関根のドリブル突破から逆転ゴールを奪う。興梠も相手の嫌がる位置を巧みに突いてパスを受け、ボールをキープする時間を作りながら、危なげなく2-1のまま試合終了を迎えた。
興梠にとっては「自分がゴールを決めて勝ちたかった」という理想の展開にはならなかったものの、「勝ち切れたことは良かった。90分できることを見せられて、次につなげられた」と、課題だった体力面で成果を残せたことを収穫に挙げていた。
プライドが激突し合う伝統の一戦、浦和は13年に興梠が加入して以降、一度も鹿島に負けていない(リーグ戦は10年の開幕戦以降無敗だが、11年ナビスコカップ決勝で敗れている)。2年続けて埼スタの鹿島戦でゴールを決めるなど、「禁断の移籍」をした男は結果を残すことで、浦和に懸ける想いを見せつけてきた。
しかし、昨季10月のアウェーの鹿島戦で(1-1)、相手選手との接触により右足腓骨を骨折……。チーム最多12得点を決めていたエースの終盤戦での離脱は、結果的に浦和が優勝を逃す重大なターニングポイントになってしまった。
それだけに今回は一段と因縁めいたものがあったわけだが、興梠は「『鹿島戦だから』という試合数日前からの興奮は抑えられた」と、むしろ比較的冷静に試合に臨めたという。
なにより、この夜、2013年に浦和へ移籍してきてからずっと気にしていた胸のつかえを、ようやく取り除くこともできたそうだ。
「嫌いになったわけではないし…」。ようやく胸のつかえがとれた、鹿島サポーターへの感謝のあいさつ。
試合後、興梠は埼玉スタジアムのゴール裏にいた鹿島サポーターのもとへ行き、深々と頭を下げてあいさつをした。浦和の一員になってから、その行為は浦和サポーターへのケジメを示す意味でも自重していた。
「これまでは遠く離れたところからちょっと一礼していただけだった。別に移籍したからと言って鹿島が嫌いになったわけではないし、ずっと応援をしてくれた人たちに、お世話になった感謝を伝えたいとは思っていた」
おそらく興梠がゴールを奪っていたら、そのあいさつはまた持ち越されていただろう。
「何人かの鹿島サポーターが拍手をしてくれた。ブーイングはされなかったので、なにより良かったです」
「自分は周りのたくさんの人によって生かされている」と日頃から語る興梠らしい、自分自身のなかにあったわだかまりに対する、ケジメのあいさつとなった。
もちろん、そこには俺は浦和のために全身全霊を込めて闘うという意思表示も込められていた。ふと漏らした次の言葉が印象的だった。
「でも、やっぱり鹿島戦の時には頑張りたいかな(笑)」
過去ほど昂ぶりはしなかったとはいえ、やはり興梠にとって鹿島戦は、これからも特別な位置付けとなる。彼は浦和のユニホームを着続ける間、一度も鹿島に負けないつもりでピッチに立つはずだ。
「どこからでも点を取れるのがウチの強み。でもエースストライカーと言える選手がいないのはちょっと寂しい状況でもある。自分は一番前でプレーしているわけだから、サイドの選手のほうが得点を取っているというのは問題。でも……まあ、すぐに抜けると思う」
エースになる、という宣言にも受け止められる。そのさり気ない言葉に込められた人一倍強烈な負けん気が、開幕から12試合負けなしでも誰も満足せずに高みを目指す浦和の現在のチーム状況を象徴している。
浦和の興梠について記すサッカーダイジェストの塚越氏である。
試合後の挨拶について美談のように綴る。
浦和に移籍し3年が経った。
1年目はJリーグ史上最悪の誤審でのゴールに喜び、昨季はゴール後に鹿島ゴール裏にて浦和のエンブレムを叩いた。
そこまでした彼が、それらの試合では鹿島サポーターへの挨拶は出来なかったであろう。
それ以上に、浦和の一員として浦和サポーターが許さなかったとのこと。
何とも小さき人々なのであろうか。
今年に関しては、シュート1本に抑え込まれたことで、鹿島のゴール裏に来る勇気が出たということであろうか。
いずれにせよ、彼としては決別というケジメと塚越氏は記す。
それも良かろう。
次なる対戦では、また強い気持ちにて当たる。
興梠擁する浦和に勝利を目指すのだ。
次回は、鹿島が勝利した記事を載せさせるべく、厳しい練習を積み重ねるのだ。
対戦を心待ちにしたい。
塚越 始(サッカーダイジェスト)
2015年05月24日
プライドが激突し合った伝統の一戦、古巣相手の3年連続弾はならず。それでも勝利と久々のフル出場に確かな手応え。
埼スタでの鹿島戦3年連続ゴールはならなかった興梠だが、負傷からの復帰後初のフル出場。確かな手応えを掴んだ。(C)滝川敏之(サッカーダイジェスト写真部)
古巣との激闘のあと、興梠慎三は満面の笑顔とまではいかないまでも、安堵と充実感の混じり合った表情を浮かべていた。
「点を取れなかったことは悔しいし、個人的にはなにもできずスッキリしないところもある。でも、90分フル出場できたことは、前進だと捉えている」
興梠のフル出場は3月22日の3節・広島戦以来だった。その広島戦後に首を傷めるなど再び戦線から離脱。そして5月10日の10節・仙台との復帰戦では、後半開始からピッチに立つと、いきなり2ゴールを決めた。先週のFC東京戦ではスタメンに名を連ね、堅牢なCB陣を翻弄し、大差がついた後にベンチへ退いた。
この日の古巣・鹿島戦はCFとして2試合連続でスタメンに名を連ねた。しかし前半は、絶対に前を向いたプレーをさせまいとする鹿島CB植田とファン・ソッコの徹底マークに遭い、「上手く守られた。トライできるようなボールが入ってこなかった」。
ただ「必ずスペースは空いてくるはず」と読んでいたとおり、後半に入り、徐々に興梠がボールに触る回数が増える。そして途中からはズラタンとの3節以来の“競演”が実現。シャドーに入った興梠の「ゴールよりも、ゲームを作ることを考えた」と言うスルーパスがズラタンにわたり、そのズラタンのクロスに武藤が合わせ同点ゴールが生まれた。
勢いづいた浦和は関根のドリブル突破から逆転ゴールを奪う。興梠も相手の嫌がる位置を巧みに突いてパスを受け、ボールをキープする時間を作りながら、危なげなく2-1のまま試合終了を迎えた。
興梠にとっては「自分がゴールを決めて勝ちたかった」という理想の展開にはならなかったものの、「勝ち切れたことは良かった。90分できることを見せられて、次につなげられた」と、課題だった体力面で成果を残せたことを収穫に挙げていた。
プライドが激突し合う伝統の一戦、浦和は13年に興梠が加入して以降、一度も鹿島に負けていない(リーグ戦は10年の開幕戦以降無敗だが、11年ナビスコカップ決勝で敗れている)。2年続けて埼スタの鹿島戦でゴールを決めるなど、「禁断の移籍」をした男は結果を残すことで、浦和に懸ける想いを見せつけてきた。
しかし、昨季10月のアウェーの鹿島戦で(1-1)、相手選手との接触により右足腓骨を骨折……。チーム最多12得点を決めていたエースの終盤戦での離脱は、結果的に浦和が優勝を逃す重大なターニングポイントになってしまった。
それだけに今回は一段と因縁めいたものがあったわけだが、興梠は「『鹿島戦だから』という試合数日前からの興奮は抑えられた」と、むしろ比較的冷静に試合に臨めたという。
なにより、この夜、2013年に浦和へ移籍してきてからずっと気にしていた胸のつかえを、ようやく取り除くこともできたそうだ。
「嫌いになったわけではないし…」。ようやく胸のつかえがとれた、鹿島サポーターへの感謝のあいさつ。
試合後、興梠は埼玉スタジアムのゴール裏にいた鹿島サポーターのもとへ行き、深々と頭を下げてあいさつをした。浦和の一員になってから、その行為は浦和サポーターへのケジメを示す意味でも自重していた。
「これまでは遠く離れたところからちょっと一礼していただけだった。別に移籍したからと言って鹿島が嫌いになったわけではないし、ずっと応援をしてくれた人たちに、お世話になった感謝を伝えたいとは思っていた」
おそらく興梠がゴールを奪っていたら、そのあいさつはまた持ち越されていただろう。
「何人かの鹿島サポーターが拍手をしてくれた。ブーイングはされなかったので、なにより良かったです」
「自分は周りのたくさんの人によって生かされている」と日頃から語る興梠らしい、自分自身のなかにあったわだかまりに対する、ケジメのあいさつとなった。
もちろん、そこには俺は浦和のために全身全霊を込めて闘うという意思表示も込められていた。ふと漏らした次の言葉が印象的だった。
「でも、やっぱり鹿島戦の時には頑張りたいかな(笑)」
過去ほど昂ぶりはしなかったとはいえ、やはり興梠にとって鹿島戦は、これからも特別な位置付けとなる。彼は浦和のユニホームを着続ける間、一度も鹿島に負けないつもりでピッチに立つはずだ。
「どこからでも点を取れるのがウチの強み。でもエースストライカーと言える選手がいないのはちょっと寂しい状況でもある。自分は一番前でプレーしているわけだから、サイドの選手のほうが得点を取っているというのは問題。でも……まあ、すぐに抜けると思う」
エースになる、という宣言にも受け止められる。そのさり気ない言葉に込められた人一倍強烈な負けん気が、開幕から12試合負けなしでも誰も満足せずに高みを目指す浦和の現在のチーム状況を象徴している。
浦和の興梠について記すサッカーダイジェストの塚越氏である。
試合後の挨拶について美談のように綴る。
浦和に移籍し3年が経った。
1年目はJリーグ史上最悪の誤審でのゴールに喜び、昨季はゴール後に鹿島ゴール裏にて浦和のエンブレムを叩いた。
そこまでした彼が、それらの試合では鹿島サポーターへの挨拶は出来なかったであろう。
それ以上に、浦和の一員として浦和サポーターが許さなかったとのこと。
何とも小さき人々なのであろうか。
今年に関しては、シュート1本に抑え込まれたことで、鹿島のゴール裏に来る勇気が出たということであろうか。
いずれにせよ、彼としては決別というケジメと塚越氏は記す。
それも良かろう。
次なる対戦では、また強い気持ちにて当たる。
興梠擁する浦和に勝利を目指すのだ。
次回は、鹿島が勝利した記事を載せさせるべく、厳しい練習を積み重ねるのだ。
対戦を心待ちにしたい。
三連覇に貢献してくれた事実は変わらないしね
だけど今は敵
次のホームでは絶対に鹿島が勝つ!
そして鹿島サポは嫌われる筋合いはない。
バイエルン気取りで他チームから引っこ抜いているチームですから、使い捨てにされないように気をつけろよという感じですね。
何人かの人が拍手をしてくれたって何千もの人数の中から何人かの人、ブーイングもされなくて良かったってされもしなかったのでしょう。
良いようにとるんですね。
興梠に鹿島やサポーターが嫌われる理由はないし挨拶したからといって許されるわけでもない。
厳しい鹿島の中で点が取れなくなる時期がきたりスランプになったりしてたのにサッカー以外でも誘惑が多く甘い浦和でエースになれるのかな?
ACL含め1stの悔しい戦いと今までの浦和戦での結果をホーム浦和戦でぶつけてやりましょう。
やられるだけではない!やるときは思いっきりやるのが鹿島!
知らなかったです。
かわいいじゃないですか(笑)、存在薄かったと思います。
自分は試合途中まで1トップが興梠だったこと忘れてました。
そんなことより緊急事態ですわ。ここぞという試合にもうことごとく勝てない。毎試合安定して2失点する。 鹿が負けてもああまたかですぐに納得するようになってしまった。恐ろしい、心底恐ろしい…。
出て行き方がよくなかったからか、ほんとに私にとってはどうでもいい選手の一人になってしまいました。
その後の本人の言動や、本人には関係ないかもしれないけどマスコミの煽りが、余計に滑稽で仕方ありません。
この記事にも何を今更というか、結局は彼の浦和サポーターに向けての、俺って好い人のアピールとしかとれません。
少なくともファミリーは名乗ってほしくないですね。
試合前の控えゾーンで、満面の笑みで鹿島の選手たちに声を掛けているとこ見て、古巣との対戦を楽しみにしていたんだなあ、と思いました。鹿島サポの自分への批判は重々承知のうえ、でも何もせずにはいられない、というのがこの記事の挨拶であったかと思い、好意的に受け止めています。私自身、浦和のことを他の17チームと同じ、倒すべきライバルチームのひとつに過ぎないと特別視していないからかもしれませんが。
今後も鹿島戦ではもちろん仕事をさせませんが、それ以外ではしっかり頑張ってほしいと期待しています。