鹿島アントラーズ原理主義

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中盤で威光を放ち続ける「東北のファンタジスタ」

2016年04月05日 | Weblog
【今日の誕生日】4月5日/中盤で威光を放ち続ける「東北のファンタジスタ」――小笠原満男(鹿島)
サッカーダイジェストWeb編集部
2016年04月05日


攻撃のスペシャリストから、攻守で中盤を司る絶対的な存在へ。


今季、5節終了時点で全試合にスタメンで出場。チームも3位と好位置につけている。自身7度目のリーグ制覇はなるか!? 写真:佐藤 明(サッカーダイジェスト写真部)


苦い思い出となったメッシーナでの1シーズン。得たものは少なくなかったが、本人はその後も海外でのリベンジの機会を窺っていたという。 (C) Getty Images


◇小笠原満男:1979年4月5日生まれ 岩手県盛岡市出身

 朴訥な人柄、内に秘めた闘志、多くを語らずとも仲間たちを惹きつけるリーダーシップ――。「東北のファンタジスタ」と呼ばれた男は37歳になったが、今季も主力として、ピッチ上でその雄姿を披露している。

 大船渡高校時代に注目を浴び、高校選手権にも出場した小笠原満男は、U-16日本代表にも選出され、以降、長きにわたって二足のわらじを履く生活を送ることとなった。

 1998年に鹿島アントラーズに加入し、プロとしてのキャリアをスタート。2000年にレギュラーに定着するが、その前年には日本代表の主力としてワールドユース(現U-20ワールドカップ)に臨み、準優勝という偉業を成し遂げている。

 プロの舞台でも、当初からその高い技術力は相手に脅威を与えたが、チームメイトの偉大な先輩たちを手本に、さらに彼は成長する。中盤でゲームをコントロールし、鋭いパスでチャンスを作り、技巧的かつ強烈な長短のシュートで貴重なゴールを挙げていった。

 代表選手としては順調にステップアップし、2000年シドニー・オリンピックは最終メンバー入りを逃したものの、02年日韓、06年ドイツと2度のワールドカップ出場を果たし、計3試合でプレーした。

 クラブレベルに話を戻すと、05年に初の2ケタ得点(11点)を挙げた小笠原は、この時までに3度のリーグ優勝をはじめ、多くのタイトルを獲得。充実したキャリアを鹿島で過ごしていたが、選手としてさらなる成長を求め、06年夏にイタリアのメッシーナに移籍する。

 三浦知良(ジェノア)、中田英寿(ペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナ)、名波浩(ヴェネツィア)、中村俊輔(レッジーナ)、柳沢敦(サンプドリア)に続くセリエAプレーヤーとなった小笠原。しかし、ここでは不遇をかこって6試合出場・1得点と不本意な成績に終わった。

 結果を出すどころか、その機会すらまともに与えられなかった苦い体験を経て、1年で鹿島に戻った小笠原だったが、これを糧にしてさらにプレーの幅を広げていく。特に守備力を向上させたことで、ボランチとしてのプレーに磨きがかかっていった。

 J復帰の07年から、リーグ3連覇に貢献。08年の秋に左膝に全治10か月の重傷を負ったにもかかわらず、09年に通年で活躍した彼はその年、Jリーグ最優秀選手の栄誉を授かった。

 ポジションを下げたことで、以前より得点は減ったものの、チームでの存在感が薄れることがない。30代の半ばに入っても中盤で動き回って相手を封じ、すかさず攻撃の起点となる様は、貫禄と安定感に満ち溢れている。

 2011年3月、未曾有の大災害によって、東北や関東の多くの地域が甚大な被害を受けたことに心を痛め、直後から支援や慰問などを続けている彼は、多くのものを背負いながら、まだまだピッチの王様として君臨し続けるだろう。

 それにしても、37歳にして中盤を司る体力と精神力、そして実力は大したものだが、彼ひとりが特別というわけでもない。99年のワールドユース準優勝を果たしたメンバーを見ると、以下の通り、19人(曽ヶ端はサポートメンバー)のうち引退したのはわずか6人である。

GK 榎本達也(FC東京)
DF 手島和希(引退)
DF 辻本茂輝(引退)
DF 石川竜也(山形)
DF 加地 亮(岡山)
MF 稲本潤一(札幌)
MF 酒井友之(引退)
MF 小笠原満男(鹿島)
FW 高原直泰(沖縄SV※選手兼監督)
MF 本山雅志(北九州)
MF 遠藤保仁(G大阪)
MF 中田浩二(引退)
MF 小野伸二(札幌)
FW 永井雄一郎(草津)
FW 高田保則(引退)
FW 播戸竜二(大宮)
DF 氏家英行(引退)
GK 南 雄太(横浜FC)
GK 曽ヶ端 準(鹿島)

 主力、サブ、監督兼と、チーム内での立場は様々だが、いまだ第一線で多くの選手が奮闘しているのは、非常に頼もしい限りだ。「黄金世代」と呼ばれた彼らが、残りのキャリアにおいて、可能な限り、その貴重な経験を日本サッカーに還元してくれることを期待したい。


日本サッカーの歴史に残る99年の大偉業。FIFA主催の国際大会において日本が決勝進出を果たしたのは、これが初めてのことだった。 (C) Getty Images


果たして黄金世代同士のマッチアップは、いつまでも見られるだろうか。写真は2004年のG大阪戦、遠藤と。 (C) Getty Images



チンチロリン


本日・4月5日の誕生日に特集記事を掲載したサッカーダイジェストWebである。
東北のファンタジスタと呼ばれ、世代別代表にも名を連ねた。
鹿島入団、主軸へと登り詰め、結果を残してきた。
イタリア・メッシーナへの移籍は、インパクトを残さなかったため、雑音を放つ輩もおる。
しかしながら、満男本人には大きな経験となり、その後の鹿島復帰後の活躍につながっておる。
そして、いまだにレギュラーポジションとして躍動を続け、鹿島の大黒柱として存在感を放っておる。
また、満男が参加し、準優勝を飾った99年ワールドユースメンバー19人のうち、13人が現役を続けておるとのこと。
全くもって素晴らしい世代である。
まだまだこれから。
光り輝くゴールデンエイジの活躍を楽しみにしておる。


チンチロリン

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (はる)
2016-04-05 22:45:05
本当にすごい世代ですね。
その中で切磋琢磨してきたからこそ、今なお主力としてプレーしているのでしょうね。

左ひざ前十字靭帯損傷・半月板損傷の大怪我をも克服して、今シーズンもまた彼のプレーが見られることをうれしく思います。
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Unknown (Unknown)
2016-04-05 23:31:50
さすがゴールデンエイジ、息の長い選手が多いですね。
しかもまだまだJ1主力だし。

でもG大阪戦の写真は2004年でなく2014年ですねw
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Unknown (Unknown)
2016-04-06 08:30:32
改めて本当にすごい世代ですね。

ガンバの遠藤もそうですがトップオブトップで今なお活躍を続けるうちの2人には恐縮です。

プラチナの4人(梅鉢も含む)にも頑張ってもらいたいものです。
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