小笠原、内田らを獲得…名スカウト“引退”
Jリーグを代表する名スカウトとして知られる、山形の強化育成部アドバイザー平野勝哉氏(67)が31日付で“引退”する。
鹿島の前身住金時代はフロントとして93年のJリーグ参加に尽力。Jリーグ開幕後は専任スカウトとなって全国を飛び回り、FW平瀬(現仙台)、MF小笠原、MF本山、FW興梠、DF内田ら有望選手を次々にスカウト。現在も主力の大半が平野氏の獲得した選手で、鹿島の黄金時代の基礎をつくりあげた功労者と言える。「補強は補充ではない。レギュラーを脅かす選手でないと」が信条で、鹿島のチームコンセプトにもなった。
06年に鹿島を退団。07年に山形入りし3年間強化育成部アドバイザーを務めた。運営なども兼務した住金時代を含め35年間のスカウト生活に終止符を打つことになった平野氏は「印象に残っているのは98年入団組。小笠原、本山、中田がそろって後に日本代表にもなった。鹿島で仕事ができたことが誇り」と話した。
[ 2010年01月31日 ]
平野さん、本当にお疲れさまでした。
我等の礎は平野さんのおかげで築かれたと言っても過言ではない。
感謝の言葉だけでは足りぬであろう。
平野さんの信条を忘れず、良い人材を確保していきたい。
Jリーグを代表する名スカウトとして知られる、山形の強化育成部アドバイザー平野勝哉氏(67)が31日付で“引退”する。
鹿島の前身住金時代はフロントとして93年のJリーグ参加に尽力。Jリーグ開幕後は専任スカウトとなって全国を飛び回り、FW平瀬(現仙台)、MF小笠原、MF本山、FW興梠、DF内田ら有望選手を次々にスカウト。現在も主力の大半が平野氏の獲得した選手で、鹿島の黄金時代の基礎をつくりあげた功労者と言える。「補強は補充ではない。レギュラーを脅かす選手でないと」が信条で、鹿島のチームコンセプトにもなった。
06年に鹿島を退団。07年に山形入りし3年間強化育成部アドバイザーを務めた。運営なども兼務した住金時代を含め35年間のスカウト生活に終止符を打つことになった平野氏は「印象に残っているのは98年入団組。小笠原、本山、中田がそろって後に日本代表にもなった。鹿島で仕事ができたことが誇り」と話した。
[ 2010年01月31日 ]
平野さん、本当にお疲れさまでした。
我等の礎は平野さんのおかげで築かれたと言っても過言ではない。
感謝の言葉だけでは足りぬであろう。
平野さんの信条を忘れず、良い人材を確保していきたい。
偉大な方です。感謝の気持ちでいっぱいになりました。
本当にお疲れ様でした。
言葉には表せないくらい尊敬と感謝をしております。 地道な仕事ゆえの御苦労もあったと思いますが…。
鹿島アントラーズFCの歴史と共に歩み、現在の鹿島アントラーズへと導いてくださいました。
ありがとうございました。そして、おつかれさまでした。