鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

誤審の責任はいずこへ

2012年04月13日 | Weblog
【小田嶋隆】誤審の周辺にある「責任の真空」
illustration by Odajima Takashi


ホームで浦和に負け、開幕から5試合勝利のない鹿島のジョルジーニョ監督

 今回の話題はちょっと重苦しい。私自身、居心地が良くない。でも、誰かが書かないといけない。でないと、望ましくない現状が、この先に続くことになる。
 私が書こうとしているのは「審判」の問題だ。より具体的には、Jリーグの審判のレベルが向上しない点について、その理由を考えてみようと思っている。
 Jリーグのサッカーのレベルは、明らかに向上している。
 もっとも、21世紀に入ってからのこの10年について言うなら、観客動員の低迷を受けて、選手に支払われる年俸も頭打ちの傾向にある。各チームが招聘する外国人選手の知名度も、一時期に比べれば、下がっている。
 それでも、総体として、ピッチの上で展開されるサッカーの水準は上昇している。理由は、ひとえに才能ある若手選手の台頭にある。おそらく、現在は、Jリーグ開幕直後のブーム期に生まれた子どもたちが、順調にプロ選手となって入団してくるタイミングに当たっている。この好循環は、この先しばらくは続くだろう。
 が、10年先のことはわからない。優秀な若手選手の供給が一巡すると、その後に出てくるのは、現在のリーグ低迷期に育った子どもたちということになる。
 と、好素材の供給はその時点で停滞するかもしれない。観客動員が回復せず、金銭面の危機が続いて、なおかつ若手までショボくなったら、それこそリーグの存続が危ぶまれる。なんとかしてほしい……というのは、実に深刻な話だし、誰かが真剣に考えなければならない問題でもあるのだが、今回の主題ではない。なので、その話はまたいつか。

 ともあれ、リーグにやってくる外国人選手や監督が異口同音に訴えるのは、Jリーグの審判のレベルの低さだ。

 Jリーグ全体について言うなら、選手の技倆(ぎりょう)は上昇し、観客のマナーは世界一とも言われている。悪評サクサクだったメディアの取材ぶりも、もちろん最高というわけではないが、改善しつつある。そのほか、スタジアムも、練習施設も、クラブハウスや街の人々の理解度も、一流国のレベルに近づいている。
 でも、審判のレベルだけは、一向に上がらない。というよりも、はっきりと「ヘタ」だ。
 どうしてなのだろう。
 たとえば、つい先日行なわれたJ1第5節の鹿島アントラーズ対浦和レッズのゲームでの判定は、およそひどいものだった。レッズサポである私の目から見ても、大迫勇也選手のプレイにファールが与えられて、得点が取り消された場面は、不可解過ぎて言葉が出なかった。
 間違いは誰にでもある。
 審判にだって、当然、誤審はある。これは、洋の東西を問わない。緯度の南北も問わない。誰であれ、人間である限りは、ある一定の確率で間違いを犯す。これはどうやっても防ぎようのない宿命だ。
 でも、間違いが起こった時の対応如何で、事後の状況はかなり変わる。そう信じないと、誤審に振り回される選手やサポーターは、とてもじゃないがやっていられない。
 誤審の問題を国民性の問題に還元することはできない。
 日本人が誤りを犯しがちな国民だという話は、ほかの場面では、あまり聞かない。われわれは、勤勉で、細心な国民だ。私たち自身その旨自認しているし、国際社会の人々もおおむね認めている。日本人はステディで、オネストで、コレクティブなハードワーカーだ。ごくたまに原発をワヤにする※ようなヘマもやらかすが、大筋としては信頼できる国民だ、と、世界のみんなはそう思ってくれている。
※関西など各地の方言で、ダメにするなどの意味
 なのに、サッカーの審判だけが、なぜか選択的に下手くそなのだ。それも、リーグ発足以来20年、一貫してその水準が向上していない。これはどういうことなんだ?
 ちなみに、野球の審判は違う。彼らはレベルが高い。私は、日米双方のゲームを恒常的に観察しているかなりマニアックな野球ファンだが、そのオダジマの目から見て、わが日本プロ野球の審判はメジャーのアンパイヤと比べて、まったく遜色のない仕事をしている。彼らの判定は機械みたいに正確だ。
「メジャーの審判は、それぞれに正確ではあるけど、全体の統一感はありません」
 と、たしか、野茂英雄だったかがそんなことを言っていた。アメリカの審判は、自分の判定基準をしっかり持ってはいるけれども、全体としては、バラつきが多いということだ。つまり、彼の国では、「外角に甘い審判」や「低めをとってくれない主審」が、それぞれにおのれの信念に沿った判定を下しているということで、だから、大リーグのマウンドに立つピッチャーは、その日の主審の傾向を早めに見抜く目を持っていなければならない。そういうお話だった。
 その点、日本の野球の主審は、全体の判定基準においても、きれいに揃っている。これは、ハタから見ていても見事な仕事だと思う。

 無論、サッカーの審判の仕事は、野球の主審のそれとはかなり性質が違う。より動的(ダイナミック)だし、アクシデンタルな場面に対応せねばならないケースが多い。何より、本人が走り続けている必要がある。ハードワークだ。
 でも、判定は判定で、責任は責任だ。
 そこのところで、日本のサッカーの審判は、日本の野球の審判に負けていると思う。
 原因は何だろう?
 ここから先は、私の仮説だ。当たっている部分もあるとは思うが、もしかして、根っこのところで見当外れかもしれない。でも言ってみることにする。この問題(審判問題)については、色々な人間が、色々な立場で、思うところを率直に述べるべきだと考えるからだ。最初の一歩はそこだ。誰もが、審判に対して、直言すべきなのである。
 思うに、Jリーグの審判は、スポイルされている。
 この「スポイルされている」状況には、ふたつの側面がある。ひとつは、「正当に評価されていない」ということで、もうひとつは「甘やかされている」ということだ。
 このふたつの側面は、一見、正反対の態度であるように見える。が、実は、両者は、底流でつながっている。以下、理由を述べる。
 まず、Jリーグの審判は、正当に評価されていない。なにより、その重責に見合う高い報酬を与えられていないし、退職後の生活や、ケガをした場合の保障も無いに等しい。社会的な評価も高くない。本来なら、その国のトップのリーグで審判を任されるということは、名誉であるはずだし、職責として高く評価されるはずの地位だ。なのに、うちの国では審判はあくまでも黒子だ。アマチュア的な、オマケの扱いになっている。これでは、マトモなモチベーションを持った若者が審判を目指す道理がないではないか。
 二番目の「甘やかされている」点は、一番目の「正当に評価されていない」ことを受けた反応だ。正当に評価し、貢献度に見合った報酬を支払い、相応のリスペクトを捧げている相手が、誤審を犯したということなら、サッカー界とて、それなりの釈明と反省と、ある場合には罰則を求めるはずだ。
 が、われわれは、審判に対して、然るべき待遇を与えていない。だから、その失敗を堂々と責めることができない。
 で、みんなしてごまかしている。

 解説者は言葉を濁し、アフターゲームショーのキャスターは何事もなかったかのようにリプレイをスルーし、記者たちも文句を言った選手や苦言を述べた監督の言葉を、一種冷ややかな論調で紹介するわけだ。
 当然、誤審の周辺には責任の空白が生じる。
 責任の真空。うちの国ではよくある展開だ。
 きちんとした権限を持たされていないアルバイトがやらかしたミスについては、そもそも責任を取る回路が設けられていない。だから、上司は見て見ぬふりをし、バイト仲間は伝染病を恐れる中世の市民みたいに押し黙り、客は客で、身にふりかかった不運をあきらめるのが大人の態度だという処世訓を自分に言い聞かせている――そういう風土がうちの国には根強く残存している。
 サッカーが行なわれている芝生の上で、こういうこと(ごまかし)が起こるのは、とても良くない。というのも、競技場の中で正義が貫徹されなかったら、この世界で正義が生き残れる場所は、ひとつも無いからだ。
 スポーツが果たしている最も大きな貢献のひとつは、法と正義という、市民社会を支える理念を市民の目の前で、目に見えるカタチで、繰り返し実演することだ。
 その意味で、正しいのは、喚(わめ)き散らしているサポーターや、両手を広げて抗議する選手や、ミックスゾーンで延々と不満を訴える監督の側なのであって、彼らの態度を「おとなげない」として、圧殺する勢力は、これは、反スポーツ的な悪の組織と見なさなければならないのである。
 サッカーは、おとなげない人間たちが勝利のために死力を尽くしている、おとなげない競技だ。それゆえ、おとなぶって黙っている人間は、芝の上に立つ資格を持っていない。
 黙っていていいのは、この場合、レッズサポだけなのだが、そのレッズサポである私が声を上げているのだから、これは、よほどのことなのである。
 審判の皆さんは、深く反省して、今後に活かしてほしい。
 リーグは、彼らに罰を与えるべきだが、その前に罰を受け容れることのできる環境を整えてあげてほしい。
 演説をしてしまった。ご清聴ありがとう。


レッズサポの視点から語る、先日の浦和戦のジャッジについてのコラムである。
ジョルジーニョ監督の怒りももっともと言ったところであろうか。
小田嶋氏も言うように、サッカーという球技に誤審はつきものであり切っても切れぬと言って良かろう。
しかしながら、誤審を無くそう・少なくしようという動きは必要である。
そのための自浄作用を否定しておるのが、現時点のJリーグである。
これは悪しき伝統となっておることは言うまでもない。
ここの改善を望むのは、当然である。
歴史としては短いJリーグの歴史に於いて、鹿島ほど誤審、あるいは偏ったジャッジに泣かされたクラブは無い。
歴史を紐解いて、ここに列挙したいところではあるが、それは別の機会に譲る。
しかしながら、その結果、涙を飲んでおることも事実なのである。
過去は変えられぬ。
だが、歴史に学び、良い方向に向かわせることは可能なはずである。
是非とも審判問題について改善を求めたい。
それが切なる願いである。

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9 コメント

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Unknown (米鹿)
2012-04-14 13:06:22
殆どの浦和戦のハイライトにはPA内での西へのタックルがカットされていました
大迫の謎のノーゴールも編集されていない映像もありました
(スポーツニュースのハイライトでもですよ!?)

つまりはそういうことなのでしょうね…
Jリーグの審判のレベルの低さもそうですが、
誤審を腫れ物扱いしているマスメディアには更にガッカリしました
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Unknown (PULP)
2012-04-14 00:58:40
個人的には誤審であった事すら疑っています。
仙台戦に続き鹿島に「だけ」不利となるジャッジ。
残念ながら意図したものではないかと。

彼には鹿島戦以外で笛を吹いて頂きたい。
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Unknown (コンチェルト)
2012-04-14 00:13:28
レッズサポのライターさんの記事なんですね。木村博之さんは八百長うんぬんではなくてただのヘタなんです。今年の高校サッカー選手権の決勝でも主審でしたが、物議を醸してましたよね。その他でも色々出てきますね。こんな方がプロフェッショナルレフリーとは…。これ海外のサッカーに熱い国だったら危なかったですね。日本でまだよかったですね、木村さん。
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Unknown (Unknown)
2012-04-13 23:23:00
我がジョルジュが言うことだけを信じます。
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Unknown (takabou)
2012-04-13 22:41:46
レッズ戦の事を書いてくれただけでもありがたい。大多数はシカトですもんね。こんな理不尽な判定は有ってはならない。リーグが腐ってしまう。
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Unknown (Unknown)
2012-04-13 21:31:00
「解説者は言葉を濁し、アフターゲームショーのキャスターは何事もなかったかのようにリプレイをスルーし、記者たちも文句を言った選手や苦言を述べた監督の言葉を、一種冷ややかな論調で紹介するわけだ。」

これが全て。
いったい何にそんなに怯えているのか。
誤審を指摘すれば仕事がなくなるとでもいうのか。
メディアも雑誌も全てスルーされている。
こんなので審判のレベルが上がるわけがない。
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Unknown (Unknown)
2012-04-13 19:59:51
得点に絡む場面で3回も誤審をした審判を見たのは初めてです。
そこが他の誤審と違うところです。
それがなんで正当な批判をしたジョルジーニョに向けられるのか。
選手はこの気持ちを怒りに変えてほしい。
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Unknown (Unknown)
2012-04-13 18:53:05
審判の改善待遇が良質な審判を増やす。
いい意見です。

でも、偏った判定の解決になるのかは疑問です。

Kリーグの八百長は薄給が原因ということなので、もし審判による八百長があるのなら判定の偏りもなくなります。
Jリーグ審判が八百長していれば、ですけど。
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Unknown (knt)
2012-04-13 18:50:20
小田嶋氏のことはあまり好きではなかったのですが、自分の思うことをタブーと知っていながら書けたのは物書きとして(敵ながら)あっぱれと思いました。しかし「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…」なことばかり。サポーターとしてはこれまで以上に応援したいと思います。
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