鹿島アントラーズ原理主義

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神戸、白黒ユニフォーム復活

2013年01月17日 | Weblog
9年ぶり白黒縦じまユニ復活!アウェー用で採用…神戸

2004年11月7日、鹿島戦でゴールを決めた神戸・三浦(左)に駆け寄る播戸

 J2神戸が今季、9年ぶりに白黒の縦じまユニホームを復活させることが16日、分かった。アウェーで使用するセカンド・ユニホームに採用される。チームカラー自体は現行のクリムゾンレッド(えんじ)から変更されないが、J2とは無縁だったチーム創立からの10年間、身にまとった懐古ファッションの“解禁”で、1年でのJ1復活を目指す。

 神戸に“不屈の時代”がよみがえる。95年の創立から10年、ユニホームは「ビアンコ・ネロ(イタリア語で白・黒)」と呼ばれるセリエAの強豪、ユベントスを模した縦じまを採用していた。しかし04年、楽天グループが営業権を取得。三木谷浩史オーナー(47)の強い意向で、翌05年から楽天の企業カラーであるクリムゾンレッドに変更した経緯がある。

 しかしサポーターにとって縦じまは、創立年のチーム始動日に発生した阪神・淡路大震災を乗り越えた象徴のカラー。「ユニホーム変更反対」の嘆願運動を展開し、1万7000を超える署名も集めた。クラブ側は折衷案としてエンブレムにゼブラ模様を残したが、一部サポーター団体はクラブと決別。現在に至っても多くのファンが旧デザインの復活を願っていた。ホーム用は従来通りクリムゾンレッド一色だが、アウェー用は昨年までの白を基調(ズボンは黒)としたものからの変更が実現した。

 “縦じま時代”は不屈の10年間だった。ホームタウンの震災復興と歩みをともにして、97年にJFLからJリーグ昇格。さらに2部制になった99年以降、いずれもJ1で2ケタ順位だったといえ、J2降格を食い止めた。01年からは元日本代表FW三浦知良(45)が加入(05年途中に移籍)。ラストイヤーの04年には、02年日韓W杯で国民的人気を博した元トルコ代表FWイルハン・マンスズ(37)もプレーした。

 95年途中から97年までDFとして在籍した元監督の和田昌裕副社長(47)がまとった伝統のストライプ。今季、神戸U―18からトップチームに昇格した三男のMF倫季(ともき、18)が着用することで、黎明(れいめい)期からのファンから、さらなる注目を集めそう。古き良き時代の粘り強さを再び身につけた神戸が、J2をワンシーズンで卒業する。

 ◆楽天とクリムゾンレッド 会長の三木谷浩史オーナーが卒業した一橋大と米ハーバード大大学院のスクールカラーは、いずれもクリムゾンレッドと呼ばれるえんじ色。企業カラーは思い入れの深い同色に統一されており、神戸の運営会社名も「クリムゾンフットボールクラブ」となっている。05年、プロ野球に新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスのチームカラーも同色を採用した。

(2013年1月17日09時30分 スポーツ報知)

経営母体の変更で消え去っておった神戸の縦縞白黒ユニフォームが復活するとのこと。
これは、サポーターには嬉しいのではなかろうか。
やはり、チームカラーを変更されてしまうのは辛く苦しいもの。
未だにカシマスタジアムに遠征してくるアウェイの神戸サポーターには白黒ユニを着用している者を見かける。
それほど愛着のあるものである。
しかしながら、これは、神戸のJ2降格による売り上げ減少への施策であり、ユニフォームを2着買わせる戦略と考えて良い。
とはいえ、サポーターとは、そういった思惑に乗せられながらも購入してしまうものである。
それはそれとして、以前の白黒ユニフォームの想い出として、鹿島との試合でのゴールシーンを使われるのは辛いところ。
2004年リーグ戦2ndステージ12節、この試合は大岩、満男、本山、隆行の4人が出場停止であり、ファビオ・ジュニオールが負傷欠場しておった。
主力が半数近くを欠いては名将のトニーニョ・セレーゾが手腕を発揮しても、勝ち点3を持ち帰ることが叶わなかったことは致し方ないところであろう。
それも鹿島の歴史である。
このような想い出を思い起こさせてくれたニュースを嬉しく思う。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-01-17 17:51:47
ワンマンオーナーにサポの声は届きませんし、スタッフの言葉も届かないでしょう。

宣伝はイーグルスがあるから、飽きたら身売りです。
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Unknown (Unknown)
2013-01-17 23:59:10
震災の日に神戸を取り上げていただき感謝します。
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