鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

7人目のFW

2008年09月30日 | Weblog
興梠初招集、反町監督を「見返したい」

初めて日本代表に選出された鹿島FW興梠
 「ビッグマウス」鹿島FW興梠慎三(22)が、日本代表に初招集された。日本協会は29日、親善試合UAE戦(10月9日、新潟)W杯最終予選ウズベキスタン戦(15日、埼玉)に向けた招集メンバー26人を発表。北京五輪世代から4人が初めて選ばれ、興梠は大分FW森島とともに「落選組」からのサプライズ選出となった。だが本人は「鹿島で先発で出ていたら、いつか選ばれると思っていた」とまったく驚きもせず、同五輪代表反町監督に対し「見返したい」とも宣言。北京五輪に行けなかった男が、南アフリカへの道を歩き出す。

 大物ぶりが言動に表れていた。午後3時からの練習を前にした同2時。昼寝中に強化担当者からA代表選出の一報を受けても「はあ…はあ…そうですか…」と興奮はなかった。驚かなかったのは自負があったから。「鹿島でスタメンで出てたら、いつか選ばれると思っていた」。日本代表は、はるかかなたの夢ではなく、間近な目標だった。

 過信ではない。鹿島のレギュラーFWは、日本代表FWに直結することを先輩が示してきた。長谷川、黒崎、柳沢らをはじめ、無名だった鈴木は鹿島で先発に定着し、一気に代表でブレーク。現在MFの野沢も05年にFWで10得点を挙げ、翌06年に初選出された。

 興梠には北京五輪代表の「肩書」はないが、今では落選をプラスにとらえている。五輪期間中に定位置を確保し、活躍した時には「将来のことを考えれば、鹿島の方が大事。本当に北京に行かなくてよかった」と言ったこともあった。もちろん心の奥底には五輪を体感したかった思いもある。だから選んでくれなかった反町監督の存在が、大きな力を生み出している。この日も「反町さんを見返したい。(落選当時の)あの悔しさは忘れない」と発言。五輪と同じ年に、A代表で活躍することでの「リベンジ」を目指す。

 岡田監督から評価された高速ドリブルは、国際試合で大きな武器だ。「外国人はやりやすい。速さで勝てるんじゃなくて、相手が遅いから」。そしてFWらしく「ゴール」にたどり着くことにこだわる。「五輪みたいに予選だけ出て本番に出られないなら、W杯は本番だけでも出たい」。予選を軽視しているわけではない。五輪落選の過去がそう言わせる。それほどW杯にかける思いは強い。興梠は南アフリカへ向け、スタートラインに立った。
【広重竜太郎】
 [2008年9月30日8時15分 紙面から]

鹿島・興梠「反町さんを見返したい」
2008.9.30 05:01
 サッカー日本代表・岡田武史監督(52)は29日、キリンチャレンジ杯・UAE戦(10月9日・東北電)、2010年南アW杯アジア最終予選第2戦・ウズベキスタン戦(同15日・埼玉)のメンバー26人を発表。FWに岡崎慎司(22)=清水、興梠(こうろき)慎三(22)=鹿島、森島康仁(21)=大分=を初招集し、北京五輪世代の“三銃士”に期待を寄せた。

 本領発揮はこれから。FW興梠(鹿島)はA代表初選出の報を受けると、まなじりを決した。

 「反町さん(北京五輪代表監督)を見返したい。あの悔しさは忘れられない」。五輪代表候補に名を連ね、最終メンバーから落選。しかし、五輪期間中に鹿島で定位置を奪い取った。

 「A代表? そんなにびっくりしていない。鹿島でスタメンで出ていたら、いつかは選ばれると思っていた」。鹿島の正FW=日本代表。鈴木(米ポートランド・ティンバース)や柳沢(京都)ら、今はチームを離れた大先輩が脈々と築いてきた道に続いた。

 DFの裏に抜ける動きが得意。「(神戸FW大久保に)よく似ているといわれるけど意識していない」。強気にA代表定着を狙う。
(須田雅弘)

興梠「W杯出たい」生き残り誓う…日本代表初選出
 日本サッカー協会は29日、親善試合UAE戦(10月9日・東北電ス)、W杯アジア最終予選第2戦のウズベキスタン戦(同15日・埼玉)ヘ向けた日本代表メンバー26人を発表。北京五輪代表の世代からFW興梠(鹿島)ら4人が初選出された。

 興梠は初招集にも平然としていた。昼寝をしている時に鹿島強化担当から電話を受け、「代表? アー、ハイ」と受け流したという。その真意は「そんなにビックリすることじゃない。鹿島で先発で出ていればいつかは選ばれるから」。北京五輪では直前で落選した経験があり、「反町さん(五輪代表監督)を見返したい。今回はW杯に出たい」と生き残りを誓った。

(2008年9月30日06時01分 スポーツ報知)

岡田ジャパン 鹿島から3人選出
2008/09/30(火) 本紙朝刊 スポーツ A版 6頁
W杯アジア最終予選に内田、青木、興梠
 日本サッカー協会は29日、ワールドカップ(W杯)アジア最終予選A組第2戦のウズベキスタン戦(10月15日・埼玉スタジアム)に向けた日本代表26選手を発表した。北京五輪代表のDF森重(大分)FW岡崎(清水)のほか、同代表から漏れたFWの興梠(鹿島)と森島(大分)の五輪世代4人が初めて選ばれた。

 10月9日に新潟で開催される国際親善試合、アラブ首長国連邦(UAE)戦(東北電力ビッグスワンスタジアム)のメンバーも兼ねた選考で、中村俊(セルティック)ら欧州組3人も選出された。アジア・チャンピオンズリーグ準決勝に進んだ浦和とG大阪の3人は10月10日から合流する。
 第1戦でバーレーンを破った日本は10月7日から新潟で合宿。UAE戦後にメンバーを絞り、東京都内などで合宿をしてウズベキスタン戦に備える。

■DF内田篤人
「鹿島から3人も代表に入って気が楽になった。みんなでW杯予選を勝ち抜けるように頑張りたい」
■MF青木剛
「篤人と慎三と一緒に、また選ばれてうれしく思う。海外で活躍している人に挑戦していきたい」
■FW興梠慎三

「鹿島でスタメンで出ていたら、いつか選ばれると思っていた。反町さんを見返したい」

鹿島のレギュラーFWは全て日本代表に名を連ねておる。
黒崎、長谷川、柳沢、平瀬、隆行、田代。
そして7番目の男が興梠慎三である。
本人も自覚しておったようで、報せにも平然としておる。
しかしながら、ここからがスタートである。
試合に出て得点という結果を残してこその日本代表FWであろう。
今回の招集は、テストにテストを重ね引っ張り回された反町氏に重ね合わせてしまう。
五輪に落選したことよりも、選出する気もないのに毎回のように呼び続けたことには不満が残ったものである。
興梠の悔しさはそのあたりにあろう。
幕府は朝廷に対し、攘夷の約束を強要されるのであった。

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